【短歌一首】 家といふシステムもはや機能せず墓地に草生す荒れ野増したり
10月は親兄弟の命日が続く。
久しぶりに墓参りに訪れた霊園。
子供の頃に、祖父母が家から遠く離れた他県の霊園の一画に墓を買い、そこに都内で手狭になった先祖代々の墓を移した。
そのころは大家族で、まだ祖父母や親兄弟はみな健在で、彼岸には家族や親戚総出で墓参りに訪れ、子供の自分はほとんど遠足気分でただくっついていた。
当時は霊園全体が開設された直後で、どこの区画にも建てられたばかりの新品の墓石がたくさん並んでおり、霊園にはいつも結構多くの人が繰り出していた。
しかし、それから何十年も経ち、時代も昭和、平成、令和と移った今は訪れる人がかなり減った印象がある。そして、最も変わったのは、誰も訪れず、手入れも全くされなくなり、蔓草が伸び放題の荒れ野と化したり、撤去されたりした墓の区画がとても多くなったこと。この数年でも霊園に来るたびにどんどん増えている。
昔は長男が家やお墓を継いで、それ以外の兄弟は別に墓を持つとか、そんな話をよく耳にしたので、長男でない自分には墓の管理など関係ないし、自分は別の墓に入るのだな、などと子供心に思っていた。
しかし、核家族化、少子化、家族の離散、兄弟間や男女間の差別の解消、維持コストや手間の負担困難などの影響もあり、今や誰が家を継ぐとか、墓を守るとか、結婚したら別の墓に入るとか、家制度というシステムそのものが大きく変容し、それに伴いお墓の在り方や埋葬方法も多様化している。
大家族が次々と亡くなり、末席の自分が墓守となることは予想だにしていなかった。これから墓をどう維持・整理していくかを考えておく必要がありそうだ。
猫間英介