【短歌一首】 大空よ荼毘(だび)の煙の分子まで包みて明日の吾に届けよ
短歌はレジリエンス。
先日の久しぶりの墓参りで、亡くなった人にまつわる記憶がいつもよりも鮮明によみがえり中です。 本当にいろんなことを思い出します。
自分の大切な人たちの逝去はとても辛く苦しいものですが、葬式という儀式に入ったのちに一連の流れの中で私がいつも一番悲しくなるのは、火葬場で遺体が焼かれる直前のお別れの時です。もちろん私だけでなく、一緒に参列している人たちもこの時には一番涙を流しているように思います。
一方、子供の頃から感じていることですが、遺体が焼かれている間の火葬場の待合室や休憩室には、妙に静かな、穏やかな、ゆったりした空気が流れていると思います。久しぶりにあった親戚や友人などと故人との思い出を語りあったり、持参したお菓子でお茶を飲んだり、軽い飲食をしながら、火葬場の係の人からの連絡や館内放送で火葬が終了したことが伝達されるまでの1時間〜1時間30分くらいの間、談笑している光景をいつも目にしてきました。
私は、しばしばこの時間に外に出て火葬場の煙突を見ていました。そうするようになったのは、自分が学生の頃に父親が急逝したときの火葬からだと記憶しています。
あの煙突から出てくる煙のどこかに、焼かれた父の体の分子が形を変えて出ているのだから、その煙を見ていようと思っていました。そして、空気を思い切り息を吸い込めば、その煙の中にある父の分子が自分の体の中に入るような気がしました。
何か思い詰めてそういう行動をとっていたわけでもなく、その時はどこかとても穏やかな、落ち着いた気持ちで、空と煙突をしばらく眺めていました。
久しぶりの墓参りは、そんなことを思い出させます。
猫間英介