食卓を囲むのは苦痛の時間:毒親のお話
私にとって食事は「試練」の時間だった。
まず食べ方、口を閉じて食べる、ひじをついて食べない、ここまではええよね。
ただ、口を閉じて食べるのも少しでも口の中の音が聞こえたら「口の中の音が隣まで聞こえる」などと言われたり
食べ方も、食べる順番、食べたあとの皿の綺麗さ
大皿から取るものだと食べる種類、食べる量も監視された
そう、ずっと監視される。
そして、食べた後の皿がきれいじゃなきゃ、食べる順番を間違えると
「育ちが悪いのがバレる」「嫁にいけない」「食事の席で1人だけ見下される」「作った人に悪い」
などと言われた。
また実家のキッチンは、ゴキブリの赤ちゃんやクモの子どもが大量にウヨウヨしていたり
コバエもたくさんいた。(今書きながらまじで気持ち悪くなった)
だから、ご飯の中に虫がいることや、ビニールが入っていたりすることもあった。
でも食べなければ「もうこれから一生飯食わんと生きていけ」「潔癖やな」などと言われた。
だから我慢して、でも我慢しているフリは絶対に顔に出してはいけなかった。
そんな状況だったから、とてもじゃないけどご飯はおいしいものじゃなかった
でもその上どうしても嫌いなものがあると、食べられなかった。
そんなとき、ずっとずっと一人だけ冷たくなったものの前で居させられる
食べ終わったら確認される。
だけど、辛くて、辛くていつも逃げたかった。
無理やり食べていたら、母親が何度か子どもにこういった
「もし吐いたら、吐いたもんを食わすからな」
この言葉が本当に、本当に恐怖で仕方が無かった。
自分がそうさせられることも、食卓で誰かが目の前で吐くのも、それを
本当に書きたくないぐらい、気持ち悪い。
中学生ぐらいになると、口の中に入れたものをティッシュでくるんで捨てにいった。
そんな日がずっと続いた。
今でも私にとって誰かとの食事は「ちゃんとしなきゃいけない場所」で、試練の時間だという印象がついて回る。