『ジュラシック・パーク』再考――大人になって改めて観た感想まとめ
TVのインタビューでスピルバーグは、登場人物が成長する姿を描きたいと言っていた。
そういう目で観ると、『ジュラシック・パーク』も違って映る。
子どもの頃には気づかなかったことを再発見したりもする。
まず、グラント博士は、ティムとレックスのおかげで子ども嫌いを克服している。
そのティムとレックスはインドア派のヲタクだったが、恐竜に追われて運動不足が解消された。
マルコム博士は孤高の天才肌だったが、脚を怪我して他人に助けられる経験をした。
サトラー博士は少々トゲのあるフェミニストだったが、電気系統の復旧後にラプトルに追われ、時には男性に頼りたい自分を認めるに至る(フェミニズム的には成長ではなく堕落?)。
ハモンドは金にものを言わせて好き放題やっていたが、恐竜が暴走し自分の傲慢さを自覚する。
以上のように、各人各様の成長を見せている。
しかし!
本作品中、全く成長を見せなかった人物がいる。
ネドリーだ。
オフィスの机にオッペンハイマーの写真を飾っていたサイコなケンブリッジ野郎は、最後の最後までゲスかった。
ところで、あのようなヲタク色の強いキャラが悪役というのは、当時のハリウッド映画では珍しかったのではなかろうか。
あるいは、サイバー犯罪を描いた作品として、スピルバーグの先見の明が光っているとも言えよう。
そして、強欲弁護士のジェナーロも特に成長せずに終わった。
それどころか、脱走したティラノサウルスを一目見ただけで、ティムとレックスを置いて逃げ出す始末。
レックスの「置いてきぼりは、もう嫌よ!」は、そのことを指しているのだと、大人になってから気がついた。