独学という概念
経済学者・柳川範之氏の『独学という道もある』(ちくまプリマー新書)を拾い読みした。
筆者は自身が行ってきた学習方法を「独学」と規定している。
しかし柳川氏は大学・大学院に入学し、教授にも教わって学者になっている。
一体どこが独学?と思ってしまうが、大検を経て大学の通信教育部に入ったため、一人で工夫して勉強する必要があったようだ。
大学院でも講義が少なかったので、そのぶん自力で勉強して論文を書かねばならなかったという。
そういう意味では、どんな学校に通っていても独学の要素は多かれ少なかれ存在すると言える。
本書を読み、「独学」概念の刷新を体験した。
ただ、職業選択の決定時期が遅いと「それまで勉強してきたことが職業と直接には結びついていなかった」ことになり「すごくもったいない」という部分(p.81)には半分賛成・半分反対である。
勉強を頑張るだけでなく、職業について早くから考えるのは人生設計として合理的だ。
しかしながら、勉強したことと関係ある仕事に就くことに拘りすぎると九大爆死事件のようなことにもなりかねない。
目標が達成できず、結果的に勉強と職業が結びついてなくても全く問題ないと私は思う。
また、仕事の役に立つかどうかという尺度が絶対視されると、文系学部不要論のような殺伐とした風潮が醸成される。
だが、学校で習わなかったことでも、就職してから勉強してマスターできれば何の問題もない。
文系学部で「虚学」を修めた人が、会社に入ってマーケティングやらプログラミングやら何でも吸収できたら誰にも文句は言われまい。
とは言っても各分野の専門知識がより複雑化・細分化している現代社会では、そう上手くいかないのだろう。