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【積読消化】ジェームス・ブラッドワーズ著『HIRED』(原題)

いきなり横道に逸れますが、邦題になると長くなったりモヤっとするものがチラホラあります。本作は『アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した 潜入・最低賃金労働の現場』という邦題なのですが、さすがに長い。

また、自分が以前読んだ本に、『平均思考は捨てなさい 出る杭を伸ばす個の科学』というものがありました。それが、文庫本で出版された時には『ハーバードの個性学入門 平均思考は捨てなさい』に変更されていました。”ハーバード”と名がつけば売れやすくなるのは分かるんですが、どうにも個性学というものが、胡散臭いものに思えてしまって……。一応、科学アプローチが従来の物とは異なる学問なのであって、自己啓発などの類ではないと思うんですけどね。


閑話休題。積読消化2冊目。ジェームス・ブラッドワーズさん著、濱野大道さん翻訳の『HIRED』(原題)の感想を書いていきます。

一章の真ん中くらいで止めていたのを、もう一度最初から読み直しましたが、もっと早く読んでおけばよかった!と思うほどすごいものでした。

ジャーナリストであるジェームスさんが、アマゾン、介護士、コールセンター、ウーバーで実際に働き、同僚や事情を知っている人への取材も併せ、労働環境やそこで働く人たちの実情に迫る作品です。これら以外にも、炭坑夫のように無くなってしまった仕事の従事者、大手企業がある街の住人の本音なども記されています。

個人的に刺さったのは、3章の元炭坑夫の取材、4章とエピローグ。アマゾンへの潜入取材も、その高い筆力と濱野さんの翻訳によって、重たい気分にさせられるものでした。また、2章の介護士も、政府の予算削減と民間企業同士のしのぎの削り合いのせいで、本来介護を受けられる側の高齢者が割を食う事態になっている実情に嫌気がさしまして。ただ、それ以上に、3章が「仕事というものは簡単に割り切れないもの」なんだと感じ、4章が「自由って何だろう」と思わせるものでした。


ジェームスさんが”フラッシュ”さんという元炭坑夫に取材した時の逸話。当時72歳のフラッシュさんは、15歳からいくつもの炭坑・鉱山で仕事をしてきた人でした。いつも危険と隣り合わせ。業務中に吸った埃によって肺はどんどん機能不全になり、取材当時では健康な部分が30パーセントしかない。ストライキに参加して執行猶予つきの判決を受けたり、業務中に仲間が崩落した岩の下敷きになって亡くなったりと、非常に激しい労働人生を送っていて。それでも取材の別れ際に、今でも炭坑の日々を思い出すと語るのです。

「仲間がいて、笑いが絶えなかった。悲しいこともあったけど、楽しい日々だった。強い仲間意識があった。それ以上の状況など考えられなかった(中略)……教育が大事なのは認めるとしても、それでも誰かがシャベルを使って働かなきゃいけない……ペンでは、泥を搔き出すことも何もできないからな」(p224-225)

同じく元炭坑夫のセルウィンさんは、機会があれば鉱山に戻りたいか?と聞かれると

「明日にでも戻りたいね。何があっても、みんなが協力し合っていたあの時代に」(p223-224)

おそらく、現代の方が快適な環境で仕事ができる。しかし、ゼロ時間契約というものにより、実際に働けば最低賃金スレスレの給与しかもらえず、いつクビを言い渡されるかも分からない恐怖心との戦いが続く。そんな時代より、炭坑での仕事の方が(懐古的であったとしても)よかった、戻りたいと答える。「仕事があって、仲間と協力し合えること」「稼ぎで他人を養えること」「次の仕事があること」の三点が、いかに大事で、いかにそろえるのに難しいか。しかも、”個人”を貴ぶこの時代で。

この三章では、筆者が体験したコールセンターの仕事が、元炭鉱夫の方々やサウス・ウェールズの住民の取材とともに書かれています。筆者が就いたアドミラルのコールセンターは、持ち株制度から配当が得られ、無料のお菓子やパーティー参加券が与えられる。でも、労働組合は無い。同じ業界でもホワイト企業寄りのアドミラルも、いつ他のコールセンターのように、業務を事細かく監視・追跡し、電話した相手の不備であってもこっちがペナルティーを受けるブラック企業になるかは分からない。

危険でも仲間がいて、経営者とも良好だった炭鉱夫の仕事。恩恵はたくさん受けられるが、いつそれが無くなるか不明瞭なコールセンター。何が良くて何が怖ろしいか。非常に考えさせられる内容でした。


また、筆者がウーバーのタクシー運転手として働くことになった4章。労働の柔軟性(フレキシブルさ)が魅力のウーバーでしたが、その新人研修では、

「あなた方がネットワークに接続する理由は、いかなるものであれ与えられた仕事を受け入れるためです」と講師は言った。「あなた方はえり好みすることはできない、それがウーバーの仕組みです。どんな仕事をしたいのか、取捨選択することはできません」(p280)

と言われたようです。「ギャグかよ」とツッコんでしまいました。パートナーであって従業員ではない、でも”自営業”なのに取捨選択することができない。ウーバー側は、この相反する状態を変だと思わないの?と。柔軟性を謳うものの、実際はアプリのアルゴリズムに振り回されるというものでした。企業が提示する自由は、それまでの組織的な閉塞感を本当に打破するものなのか?単にうるさい上司が、スマホのアプリに変わっただけじゃない?と。


エピローグでは、上述したセルウィンさんの言葉が印象的でした。

「マーガレット・サッチャーが炭鉱夫の労働組合を攻撃したとき、多くの人は屁とも思わなかった。けれど結局、この国で働くすべての人に影響が及んだ。そして、その影響は今日までずっと続いている」(p328)

政治選択により、解き放たれた自由は、必ずしも人々を幸せにするわけではない。そして、一部だけが傷を負ったように見えて、実はその痛みは少しずつ広がっている。

今回の取材旅行にて、「取り残された層」(レフトビハインド)の方々の政治的主張や、2016年当時に世間で起きたEU離脱問題に触れた著者のある一文が、肝に銘じなくてはならないなと思わせるものでした。

私たちに重要な事実を思い出させてくれた―ある特定の人々が歴史的な役割を果たしおえたからといって、彼らをただ物語から消し去ることはできない。(p329)


2019年初版刊行の本著は、イギリス国内で揺れ動いていたEU離脱問題、移民問題も内包しつつ、優雅に暮らす中流階級と貯金するどころかその日暮らしさえ難しい不安定な世界の差を描いています。著者は解決策を提示するのではなく、実際に体験し正確に記すことで、特定の問題の共通認識を変えることが目的だと述べています。

実際、2021年にイギリスはEUを離脱。この選択をした国民の思いは正しかったのか。それとも杞憂だったのか。これから分かってくることと思います。

これは日本も他人事ではないなぁ、と。政治、企業、イデオロギー、労働組合、個人。様々な変数の元に労働は成り立っていて、どれかを変えれば必ず解決するわけではない。そして、時には混ざり合ってしまい、目的が変わってしまうことも大いにあります。政治問題の主張が真っ先に目に飛び込んでくる労働組合のHPを見かけたことありますし。

移民もまた、「差別感情の発露」だけで片付けられる問題ではないな、と思いました。低賃金労働者にとって、より安価で働く人は脅威以外の何物でもないから。本来なら、長く働いてもらい、高いスキルの労働者による高いサービスを顧客に与えたほうが、長期的にはプラスに働きます。しかし、より安価で提供しようとすると、外国語が苦手な移民が取って代わり、そのせいで時には過剰投薬のようなミスにつながりかねない。そしておそらく、企業だけを是正させればゴールでもない。一体、何が正解なのか。


一個人にできることは何だろう?というのが、読了した自分の疑問です。投票や、労働組合の参入。自らの権利の主張。自分にスキルをつけること。そのどれもが正しく、そのどれもが危うさを有しています。予算削減からの民間企業の参入や増税。労働組合が別の主張をし始めること。その主張が労働や政治に反映されないこと。身につけたスキルが役に立たないこと……。

自分もそう若くなく、大したスキルを持ち合わせていません。このコロナ禍とそれ以降の目まぐるしい社会で、何ができるのか。分かりません。ただ、就労しつつ、筋トレしつつ。起こり得るか分からない”チャンス”を掴めるよう、鍛錬していきたいと思います。

長々と書いてしまいました。著者の率直な思い、住民の不満、国の諸問題など、よりたくさんのすごいものが描かれているのに、表面的にしか述べられない自分の言語能力の低さがとても無念です。ただ、非常に感情を揺さぶってくる様々な想いが込められた作品でした。

これにて終わります。お読みいただきありがとうございました。

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