左目の下の鼻寄りに大きなほくろがある。 産まれたばかりの写真には写っていないが、保育園のお遊戯会の写真にはほくろが認識出来るので、30数年共に歩んできたほくろだといえる。 そして私はこのほくろがとても嫌いだ。 クラスメイトと似顔絵を描きあう授業で、目が三個あるんじゃないかと間違うくらい真っ黒に塗りつぶされたあれが“ほくろ”と気付いたあの日から、ずっとずっと嫌いだ。 前髪は左を長めにして流すのが定着した。 写真ではピースを顔に近づけて指で隠す術を習得した。 メガネはほく
友人と会ってきた。動物好き仲間として、動物とふれあえる屋内型動物園に半日プランだ。 動物はいい。 シンプルに生きている。 よく食べ、よく寝て、よく恋をする。 撫でてほしければ甘えにくるし、触れられたくなければ逃げる。とてもシンプルに自分に正直に生きている。見た目も機能美がある。 人間より好きかもしれない。 友人とはよく話した。会って分かれるまで、動物愛、近況、知識、アドバイス、お互いが思っていることを話していたら8時間あっという間であった。 帰宅後に鏡を見たら笑いすぎ
やめたいこと ・過度な睡眠(10時間+昼寝2時間)←睡眠が浅い ・せめて就寝前のタバコ ・会話を早とちりすること やりたいこと ・聖☆おにいさんの読み直し(現在17巻) ・ダンジョン飯の読み直し ・眉毛の手入れ ・ポケモン盾クリア ・ポケモンsやりこみ ・美容院
22時半〜7時までしっかり寝たことが功を奏して、今日は身体が軽くなった。 世の人の体力平均を10あるうちの5としたら私は1なのであろう。本当に高齢者、もしくは赤子。 ここでまた張り切っては明日動けなくなる気がしたので、今日はジムを休んだ。休むと言う選択をした。 心の中の自分が言う 「そうやって足が遠のいて行かなくなるのがオチだ」 いつかはそうなるかもしれないが、今日のところは自分の体力を冷静に判断したのだから前向きでいたいところである。 1日を振り返ると、仕事も休みで
身体が動かない。 身体がとても重く感じる。 家事1つがとても重労働に感じる。 仕事は忙しすぎて逆に乗り切れた。 風邪などの感覚ではない。 たぶん、すごく疲れている。 ジムに通って健康になる予定だったのだが、さすが36年動かさなかった身体。反動で悲鳴をあげてるのかもしれない。私は自分の身体の動かし方が今もって分からない。そこに生えてる草を動かせ、と言われるくらい全く分からない。 22時半。もう寝てしまおう。 今日は入眠をがんばることを諦めて先にブロチゾラム服薬する。
早速昨日はnoteを飛ばした。 いいんだ。いい。それでいいんだ。 完璧主義を止めるための日記なんだから。 それでも、2回目の水泳はちゃんと行った。 よしよし。千里の道も一歩からだぞ自分。 ちょっとずつ自分が変わればいいんだ。
ジムに行ってきた。 水泳をしてきた。 筋トレやスポーツをするよりも時間の経過は早かったように感じる。水泳は汗を感じない。汗をかくことが嫌いな自分にはプールジムは正解だったと思う。 バスタオルと櫛を忘れたことが唯一の改善点だ。 プール内は年齢層は高かった。 初回で何がどこにあり、どういうルールがあり、着替えなどでももたついている私にとって、この場に居る全ての人がジムのヌシに感じた。 このヌシ達もきっと初回ではもたつき、忘れ物をし、トラキアンドエラーを繰り返して、堂々とし
NHKの“のど自慢”にて監獄ロックを披露する中学生が出場した。制服で堂々と歌いあげ、最高にロックで画面越しで痺れてしまった。 音楽は良い。 これだと区切ることは出来ないが、きっと良質な音楽というものはある。それに触れると、身体が聞く、見る、吸収することを喜ぶのだ。 久しぶりに監獄ロックを聴きたくなり、そのままの流れで夜はYouTubeで時間を消費してしまった。my wayはFrank Sinatraだけでなく、布施明や尾崎紀世彦、加山雄三、藤圭子、たくさんの歌手に歌われて
吹上ホールの《博物マニア》に行ってきた。 とても良いものを浴びてきた、それに尽きる。 大人が自分の好きを形にし、それを人に伝え、また受け手もそれを楽しむという循環があった。 私は好きなものを好きと言うのが苦手である。好きだと主張すれば笑われたり、その程度でなどと嘲笑されるのではないかと怖くなる。また好きだと口にすることで対象から嫌われるのではないかと怯えてしまう。そもそも私の好きって何だろう、とまで考える。 今日出会った人々は自分の好きをありったけに伝える術を持っていた
とうとうやってしまった。 この私がジムと契約してしまったのだ。 運動が嫌い 汗をかくことが嫌い 体を動かして楽しいと思ったことがない とにかく運動から逃げてきた人生だ。日差しも嫌いなので、アウトドアなんて以ての外、薄暗い部屋で昼寝することがこの上なく幸せだ。 しかし36歳後半ともなり、そろそろ誤魔化しがきかなくなってきた。 先日午前から遊びに出かけた際、夕方辺りになると足がもつれて、腰が痛い。息切れがする。食事も途中から疲れてくる。目もチカチカして焦点が合わない。ユニク
手記は寝る前に書くルーティンにしようと思っていたが、急ぎで脳内整理をするためにnoteを開いた。 職場の悩みに対し希望が見えたのだ。 あの人のヘイトが向くなら出勤曜日を変更したいとトップに相談したところ、兼てよりあの人がトラブルを頻発していたことや、怠惰な勤務態度などを参考にし私のことを守る選択をしてくれたのだ! 勤務年数で価値が決まると思っていたため青天の霹靂であった。日頃の積み重ねや人に対し真摯に向かい合おうと決めていた自戒がここで生きたのかもしれない。 聞いてく
人並みに近付けたと思っていた自己肯定感は、先日の仕事での出来事であっという間に弱気になってしまった。 日記をつけることでインプットとアウトプットを繰り返せば、頭の整理、思考の統一化、果ては自己肯定感の確立になるかと期待してnoteを始めることにした。 アナログの日記も用意した。 先程、記念すべき1ページ目に書いてきた。 でもきっと続かない。 分かりきっている。 アナログとデジタル、どちらかが残ればいい。 きっと私は自分を変えたい。 自分を分かってあげたいのだ その一歩