『電子戦隊デンジマン』第15話『悪の園への招待状』
◼️『電子戦隊デンジマン』第15話『悪の園への招待状』
(脚本:上原正三 演出:平山公夫)
導入
珍しく緑川とチーコのデートから始まるこの回だが、とりあえずこのセリフからわかることは緑川達也は言い訳がましい側面がある男だということだ。
そもそも「忙しい」と言って自分に好意を寄せてくれる元同僚の女性の誘いを無碍にする時点で、彼は男としてはまだまだ半人前ということではないだろうか。
別に忙しいのは構わないのだが、それを女性相手に振り翳す時点で緑川は男性として足りてない部分が多いのだが、まあデンジマンやってたら確かに仕方ない側面はある。
だとしてももう少し上手い言い訳の仕方はあるだろうし、しかも今回は結果的に緑川自身が一番知られたくない自分の正体を迂闊にもバラしてしまうことを言っていた。
そんな緑川メイン回なのだが、今回の話のメインはそこではなく、上松剛という若者の救済がメインだったわけだが、それにしてもローラースケートにディスコジョッキーとはこれまた懐かしい。
ちょうど前年の『3年B組金八先生』第1シリーズでもディスコジョッキーで先生が踊るシーンがあったのだが、今はもうほとんどなき物になりつつある昭和の文化が満載である。
ローラースケートに関しては、後に光GENJIがやっていたことで大ブームとなるわけだが、新宿の雑踏のなかでゲリラ撮影のようにローラースケート集団が潜り抜けるというのはなかなか見られない画だろう。
コンプライアンスや撮影上の安全法が今に比べると規制が緩かったというのも大きいのだが、平山監督がロケにこだわってやってくれているのが相当に面白く、こういう思い切りは今見ても古びない。
アクションシーンも今回はとにかくローラースケートで好き放題遊びたいという意図が現れているのか、バカみたいにとにかくローラースケートをこれ以上ないまでに映している。
ドラマに関しては完全にとってつけたような物であり、「ひとりぼっちの悲しみ」なんて言われても、たった1話のゲストで敵に洗脳されることを自ら望んだ奴に同情はできない。
したがってお話としては特別な面白みはないわけだが、その分撮影・演出にこだわった感じはすごくあって、演出の良さがほぼ半分以上を占めているといえるだろう。
評価はB(良作)100点満点中70点、緑川メイン回としてというよりもローラースケートとディスコジョッキーという今では見なくなったネタを懐かしむ回だと言える。
何ともない日常の中で襲われる怖さ
まず冒頭のシーンだが、上にも書いた通り緑川とチーコのやり取りだけを見ていると、まるで緑川がチーコに言い訳しているダメな男のように思えるが、2人は決して恋人同士ではない。
あくまでも刑事時代の元同僚に過ぎないわけだが、このシーンの意図はむしろそんな2人の仲を裂くように襲いかかってきた上松剛であり、何ともない日常の中で襲われる怖さが演出されている。
直後に緑川はデンジグリーンとしての顔つきと声色に変わって剛を止めに入るわけだが、このシーンにおいて大事なのは緑川の切り替えの速さであり、一瞬にして緊迫感のあるシーンへ変わった。
そしてまた、上松剛も名前とは違って見た目はそんなに強そうに見えないところもポイントであり、まさか自分に襲いかかってくるなどとは思いも寄らなかったチーコはなす術がない。
道路交通法では現在公道をローラースケートで走ることは禁止されているわけだが、その理由は突然にこうして襲いかかられると無辜の者たちは何もできなくなってしまうからだ。
特に、あんなに元気でやかましいチーコが剛に襲われた時の演出は見事であり、あくまで彼女は婦警をやっているだけのごく普通の一般人に過ぎないことがここで証明されている。
そして剛も剛で操られている時の記憶が全くないことから、いわゆる故意性が全くないというのもまた恐ろしく、ベーダーの「悪」が如何なるものかが示されているだろう。
初期からそうだったのだが、ベーダーの悪とは単に「美しいものを嫌い醜いものを好む」だけではなく、「人の心の弱みにつけこむ」のが得意な悪ではないだろうか。
デンジ星を滅ぼしたという設定の割にはやることがどうにもせせこましいというか陰険でネチネチした印象があるのだが、この回を見ているとそれが特に丸わかりである。
何ともない日常の中にそっと現れて普通だったら気づかれないような方法で人を陥れて世間を混乱させるという、これまでに比べると非常に間接的なやり方だ。
いわゆる「詐欺」に近いやり方なのだが、同時に組織のトップや幹部が女性中心だと直接的な破壊よりもこういう複雑なやり方になってしまうのだろう。
まあそのやり方がディスコジョッキーにローラースケートだったのは意外だが、まずはこの冒頭の5分で一気にサスペンスに持っていくやり方は平山監督の腕が垣間見える。
今とはすっかり違う昭和当時の新宿駅周辺
ローラースケートで一番面白かったというか印象に残ったのは人混みを掻き分けるように進んでいくローラースケート集団と緑川のゲリラ撮影のようなシーンだ。
こんな雑踏の中を迷惑かからないようにローラースケート集団が潜り抜けるのもすごいが、更に背景の部分にきちんと「新宿駅」が映るというこのショットの引き締まり具合が素晴らしい。
スーパー戦隊のようなシリーズだとどうしても画面に邪魔なものを映さないようにしなければならない関係上、こういう街中での撮影では大量に人が通っている雑踏のシーンは少ない。
そんな中で、今とはすっかり違う1980年当時の新宿駅周辺が行き交う人々とともに映されているのが素晴らしいし、何より内田直哉はこういう都会の中で撮っても絵になる俳優である。
デンジマンのメンバーの中でこういう洗練された都会の擦れた感じが似合うのはメンバーの中で緑川だけであり、後の4人はかっこいいのだが、あまり都会の街中での撮影が似合わない。
赤城一平は男臭すぎるし、青梅と黄山はどちらかというと3枚目気質な部分があるので鈍臭い田舎者の空気があるし、あきらに至っては美人だがおっとりした性格なので街中が絵にならないのである。
ここまで来てスタッフも緑川の扱いを心得てきたというか、「ゴレンジャー」のミドレンジャーの反省点があるのだろうが、内田直哉には他の4人にはないダンディーなかっこよさがあるのだ。
そしてそれと同時に激昂しやすい側面やチーコの元同僚という肉付けを行うことにより、1話から仕込んできた彼のキャラ付けが1つこの瞬間に完成を迎えた感じはある。
なぜわざわざ新宿を選んで撮ったのかはわからないが、1つ目には新宿は歌舞伎町があることからディスコジョッキーの持つ「大人の遊び場」と関連性を持たせやすいからだろう。
いかがわしい界隈というか夜の匂いがする場所だということもあり、「個室ヌード ボニータ」と呼ばれるものまであったのだから、なかなかに胡散臭い場所で撮られている。
私はすっかり関東から離れたこともあって、今更東京の方に好き好んで行こうとは思わないが、間違いなく1980年代の新宿には今よりも猥雑な雰囲気を醸し出していた。
そういう時代の流れを感じさせることも含めて、この新宿でのゲリラ撮影は非常に印象的であり、こういう雰囲気が似合う内田直哉はある種の武器というか飛び道具だといえる。
戦闘シーンのローラースケート遊び
今回はとにかくローラー・ディスコ・ブームの波にいち早く対応したかったのか、アクションシーンでも普段ではやらないであろうローラースケートによる遊びをやらせている。
特に画像のシーンはデンジマンで多用されている逆再生と早回しを組み合わせたシュールなローラースケートのシーンなのだが、デンジマン5人を軽々ジャンプするベーダー怪物のショットが非常に面白い。
そういえば、ローラースケートの戦闘シーンといえば、のちに『五星戦隊ダイレンジャー』の序盤でも使われていたが、この戦闘シーンのオマージュだったりするのであろうか。
いずれにせよ、普通の戦闘シーンでは考えられないようなショットが満載であり、これもまた表現自体がまだ固まり切っていないこの時代だからこそ出来た表現である。
そしてまた、ベーダーの戦闘員たちもローラーで動くことによってデンジマンたちを撹乱させることで、単なるやられ役にしたくないというのを表現したいのであろう。
スーパー戦隊シリーズをまともに見ていない人からは「戦隊は怪人1人に対して5人がかりで倒すのは弱いものいじめだ」というくだらない言い分があるが、そう感じさせないために戦闘員と5人揃っての必殺技がある。
ローラースケートで戦隊メンバーを撹乱することで、安易に倒させないようにしつつ、こうした戦闘シーンそのものをギャグっぽく演出することで話が重くなり過ぎないようにするという配慮でもあるだろう。
最終的に死人はほとんど出なかったとはいえ、ベーダーのやっていることは相当に胸糞悪いので、その胸糞悪さを多少なりとも緩和する効果があるようだ。
そこからトドメまでは良かったのだが、ラストのデンジマンや子供達と一緒に混ざってサッカーしている剛のシーンに関しては正直誰がどう映っているのかが非常にわかりにくい。
剛もやっとラストカットで出てきたことがかろうじてわかるくらいで、初見で子供達とともに学校でサッカーをしているこのカットでどうにも画竜点睛を欠いてしまった感じだ。
戦いの最中を面白く撮れるのは当たり前のこと、大事なのはそのシーンが終わった後の締めのシーンをどのように撮るかというところが大事なのである。
特に1話完結方式の場合はアイデア勝負なところがあるので、ラストのサッカーに関しては話として唐突以上に撮り方としてもう少し見やすく撮って欲しかった。