スーパー戦隊シリーズ第38作目『烈車戦隊トッキュウジャー』(2014)
スーパー戦隊シリーズ第38作目『烈車戦隊トッキュウジャー』は前作「キョウリュウジャー」の大駄作ぶりから見事に持ち直してみせた一作です。
メインライターは「ゴーバスターズ」ですっかり落ちてしまった小林靖子女史、そしてチーフプロデューサーは「ゴーカイジャー」以来3年ぶりとなる宇都宮孝明氏、要するに「シンケンジャー」のコンビでした。
「ギンガマン」から20年近く東映特撮で活躍し続けてきた小林女史の最後のメインライター戦隊作品でもあり、「ゴーカイジャー」とは違う意味での「集大成」と呼べる一作になっています。
それと同時に本作で私の中で長く続けてきた「スーパー戦隊シリーズの旅」が本作で綺麗に完結したような気がして、改めてスーパー戦隊シリーズのファンを続けていてよかったなあと思うのです。
まあそんな風に評価している本作ですが、ここで改めて告白しますと、リアルタイムで見た時はどうにも不安で、そんなに「高評価」でもないし「好き」とも言えない作品でした。
「シンケンジャー」以降徐々に陰りが見え「ゴーバスターズ」で完全に衰えてしまった小林脚本、そして前作「キョウリュウジャー」の大駄作っぷりと不安材料がたっぷりです。
また、序盤のストーリーも確かに悪くはないしポツポツ面白い話はあるのですが、それでも「ギンガマン」「タイムレンジャー」「シンケンジャー」の時ほどの魅力は感じませんでした。
だからこそ、年間を通して「つまらなくはないけど、さして面白くもない」、すなわち「可もなく不可もなし」みたいな出来だったらどうしようかと思ったものです。
今振り返ると全くの杞憂で、後半になるにつれてメキメキ面白くなっていき、3クール目から終盤に向けての脚本のキレはまさに全盛期の切れ味が戻ってきたかのようでした。
しかも本作はキャストで見てもまた豪勢で、今や国民的俳優と言える人気者になった志尊淳氏に横浜流星氏、そして車掌の関根勤氏に敵側も堀江由衣氏や日高のり子氏など大物声優が出ています。
そして今もう芸能界を引退してしまいましたが、カリスマ性溢れる耽美系俺様キャラを演じてみせた大口兼悟氏と、これまた素敵なキャストに恵まれたものだと思うのです。
というか、今振り返ると小林靖子女史がメインライターを務めた戦隊は照英氏、永井氏、松坂氏、高梨氏、小宮氏と誰かしら出世している俳優・女優がいて、それもまたすごいこと思います。
さて、そんな本作は売上と視聴率がどちらも前作より下でしたが、これはもう本作が子供達よりはどちらかといえば高年齢層のスーパー戦隊ファンに向けた作りだからかもしれません。
それに通常の戦隊とはまた違った設定と作風で序盤の掴みがいまいちだったことも尾を引いていたのだろうなと…その辺も含めて改めて本作をじっくり向き合って評価していきましょう。
(1)藪睨みのような前半戦
冒頭でも説明していますが、本作を評価するときにどうしても躓きのもとになっているのが前半2クールであり、尻上がりに面白くはなるのですが決め手に欠けるのです。
どうにもスルリと抜けてしまううなぎの尻尾を掴むような感覚というか、どうしてもライトたちトッキュウジャーのキャラも関係性もフワフワしてて掴めませんでした。
特に主人公のライトがこれまた癖が強いというか、大雑把にいえば「バカレッド」の類に入るかもしれませんが、いわゆる「ゴーオンジャー」までの単純熱血バカとは違うのです。
判断力やカリスマ性もそれなりにあるし、独断専攻も多いのだけれど、いわゆる生存本能や勝利のイマジネーションを誰よりも持っていて、そのために自然に体が動いています。
これはおそらく00年代の主流であったバカレッドを遠回しに皮肉っているのですが、それともう1つは前作「キョウリュウジャー」のキングが無自覚にやっていた酷いことの表れだと思うのです。
宇都宮Pがチーフを務める戦隊は本作以前だと「シンケンジャー」「ゴーカイジャー」とありますが、いずれもが前作の戦隊とは正反対のレッドを打ち出しています。
例えばシンケンレッドはゴーオンレッドの正反対で陰影が強いカリスマ型ですし、ゴーカイレッドの俺様キャラもゴセイレッドの柔らかいキャラとは真逆の路線なのです。
だから、本作の志尊淳氏が演じるトッキュウ1号・ライトもまた前作のキングとは正反対で言うことを聞かないワガママな子供ながら、その実的確にキングを皮肉っています。
また、ライト以外の4人もそんな風に作られていて、序盤の5人の幼馴染だけれどもフワフワしててよくわからない関係というのは前作「キョウリュウジャー」への遠回しな批判が少なからずあるのでしょう。
この辺りはもちろん後半に向けてあえて受け手に与えている違和感なのですが、そういう「実は高度なことをしている」ことがなかなか外には伝わりにくいのです。
まあそもそも小林女史の脚本自体が「ギンガマン」以外は子供を置き去りにしたような内容が多く、仕込んでいる伏線などが結構高度なものばかりというのもありますが。
何れにしても、私は初期2クールは本当に「トッキュウジャー」という作品自体も、そしてそれを象徴するライトというわんぱく小僧のこともよくわかりませんでした。
強いて言えば、序盤から私の中で親近感を持ちやすいというか好きだと言えたのはブルーのトカッチであり、彼はコメディリリーフとしていい味を出しています。
ガリ勉で慎重派タイプのいじられ役だけど、実は意外と本気を出して振り切った時の凄さは5人の中でもあり、また死にかけても平然と復活するのが面白いのです。
しかもミオのことが好きなのが周りにもバレバレですし、5人の中では典型的な陰キャであり、しかしだからこそすごく人間味のあるキャラだったといえます。
優等生気質のミオやわんぱく小僧のライト、影の実力者であるヒカリ、そして隠れた天然のカグラと他4人が浮世離れしすぎているのもあったのかもしれません。
2クール目で出てくるトッキュウ6号こと虹野明も「ここが俺の死に場所だ」とかいう中二病みたいなやつですし、最初は不安に思いましたが、これが後半でガラリと変わるのです。
(2)後半で明らかになるトッキュウジャーの秘密
本作がメキメキと面白くなるのは第32駅「決意」からであり、ここでトッキュウジャーの正体が判明してからはどんどん物語のピースがハマっていって面白くなるのです。
トッキュウジャーの5人は実は昴ヶ浜に住んでいる5人の小学生であり、シャドーラインに故郷を乗っ取られた時にレインボー総裁に大人の体にされたという設定でした。
これは「体は大人、頭脳は子供」の逆コナンみたいなもので、しかもそれを茶化してギャグにするのではなく、トッキュウジャーというヒーローの歪み・欠落に繋げたのです。
「シンケンジャー」でもそうだったのですが、やはり宇都宮Pと小林女史がタッグを組んだ作品で、ただのんべんだらりとヒーローをやって終わるわけがありません。
しかも、シャドーラインと戦い続けていた影響でライトたちの体の中に闇が侵食していき、このまま戦い続ければライトたちは元に戻れなくなってしまうかもしれないのです。
また、これは小林女史が述懐していたことですが、当初はライトたちが子供に戻ることなく故郷にも帰れなくなるという「フラッシュマン」ばりのビターエンドになる予定だったとのこと。
それくらい重たい自己犠牲を払うヒーローが本作だったわけですが、それを覚悟の上でなおライトは「トッキュウジャー続ける」と言い放ち、これがもうとんでもなくカッコいいのです。
つまり、ライトは本来決してただ食い意地が張っていて突撃しか能がない単細胞なのではなく、子供に戻れなくなるというリスクを己に課してなお戦い続ける覚悟と決意をしました。
そしてまた、トカッチたち4人もそんなライトの背中に勇気づけられ、無茶苦茶だけどその突破力があったからこそ今まで一緒に旅をしてこられたのだと動くようになります。
そんな5人のトッキュウジャーを見守る明兄さんが後半黒騎士ヒュウガのような5人を厳しくも温かく見守る保護者のような立ち位置になったのも面白いところです。
後半になってやっと5人のバックボーンが明らかにされるとともにトッキュウジャーの5人が単なるギャグ戦隊じゃない本物の戦隊ヒーローになっていきます。
よく、小林女史が脚本を務める戦隊は「真のヒーローになる」までを描く物語といわれますが、本作もまさにそういう意味ではアプローチこそ違えど「真のヒーローになる」物語だったのです。
しかもここからもう一段階終盤にかけて物語は面白くなっていき、終盤でライトはトッキュウ1号に戻れなくなることを覚悟の上で4人を昴ヶ浜に帰してゼットと1人で戦います。
これは「タイムレンジャー」の終盤で竜也が未来人4人を1度未来に帰す展開のセルフオマージュ(というかリボーン)なのですが、そこからのラメ入りトッキュウ1号はもう悲惨でした。
あれだけ明るく、何があっても挫けなかったライトが闇落ちしてしまい、ゼットにぼろ負けして勝利のイマジネーションが見えなくなってしまったのですから。
そこから記憶をなくしたはずの4人が「絶対5人で助け合うこと!」をもとにまたライトの元に戻ってきて、絶望に打ちひしがれたライトを助けにくる展開がたまりませんでした。
やや駆け足気味の展開ではありますが、ここまで描いた上で虹野明もしっかり大人の役割を果たし、ラストでトッキュウレインボーに見せる大逆転がもうたまりません。
これこそまさに「陰極まって陽となる」であり、どれだけ絶望の展開に追い込んでも最後は必ず光というか「救い」を用意してくれるカタルシスが見事でした。
そうして旅を終えたトッキュウジャー5人の元に彼らの家族がやってきて、彼らはようやく「トッキュウジャー」というヒーローから解放されて日常へ帰還します。
このラストはそれこそ「フラッシュマン」がなしえなかった「肉親との再会」を約30年越しに実現したものであり、まさにスーパー戦隊シリーズとしても1つの終着駅となったのです。
(3)久々に面白い敵組織だったシャドーライン
このようにトッキュウジャー5人は後半に向けてどんどん面白くなっていくのですが、敵側であるシャドーラインもまた久々に面白いと感じた敵組織でした。
11話から登場し、闇に染まっているのに「キラキラ」を求め続ける「アンチライト」として描かれた皇帝ゼットはもう近年稀に見る耽美系ライバルとして見事です。
大口氏の演技力の賜物でもあるのですが、自分はキラキラを手に入れようとして、レインボーを見ることができても手に入れることはできません。
そんなゼットはライトとは対極の存在で欲や執着が強すぎて、それがあるがゆえに最も光からは遠い存在だったということではないでしょうか。
また、本作で面白かったのは何と言ってもグリッタ嬢とシュバルツ将軍であり、この2人の関係は姫と執事のようでありつつ、ある種のロマンチックな関係でした。
グリッタ嬢は見た目こそ決して綺麗だとは言えないけど、だからこそ中盤でミオと入れ替わった時の演技が見事ですし、本当にミオのビジュアルであのキャラなら最高のヒロインだったでしょう。
そんなグリッタこそが実はトッキュウジャー5人をあの大団円へ導いてくれた立役者でもあって、ある意味それは「ギンガマン」でヒュウガとの絆を育んだブクラテスにも近いものを感じます。
だからこそ彼女の最期には思わず感情移入していまし、敵でありながら決してなかせるわけでもなく、しかり立体的に見える造形にし仕立てたのは見事でした。
そして、そんなグリッタ嬢のために体を張り続け、最後には「愛」という人間の心を知ったシュバルツ将軍もすごくいいキャラしていて、しかもトッキュウ6号ともまた因縁があるのです。
彼は場合によってはトッキュウジャーの仲間入りをしてもおかしくないようなキャラではありますが、そこは流石に小林女史なので決して敵と慣れ合うようなことはしません。
シリーズの中には「チェンジマン」「カーレンジャー」「マジレンジャー」のように敵が味方化するパターンもありますが、そうなると善悪の境目が曖昧になってしまうのです。
そうした善悪の境目が決して曖昧にならないよう、あくまでも味方化するのはザラムこと虹野明だけという一線の守り方も見事で、中盤からどんどん敵組織も輝いていきます。
そんなトッキュウジャーとシャドーラインの戦いは「光VS闇」とも言えるのですが、もっと踏み込んで語ると「子供VS大人」ということでもあったのかなと思うのです。
そう、本作のトッキュウジャーがあの外道総裁も含めて何と戦っていたのかというと「大人のエゴ」であり、しかしまた同時に大人のいい面も否定していません。
実際トッキュウジャー5人の家族はどれも皆温かい大人たちでしたし、ライトたちが旅先でお世話になった大人たちもいい人たちが多かったのです。
中でもヒカリにライトを倒せると教えてくれたライトのおじいちゃんはとってもいい人であり、いい大人も悪い大人も含めて描いています。
それはまさに東映特撮のいい面も悪い面も見せてくれているようで、確かに東映特撮は大人の事情が絡むけど、その中からでもいいものは生まれると教えてくれたようです。
(4)小林靖子戦隊の集大成
こうして見ていくと、本作はまさに小林靖子戦隊の集大成と呼ぶに相応しい作品であり、諸手あげて傑作とは言えないまでも、後半〜ラストのまとめ方は見事でした。
最初は意味がわからなかったトッキュウチェンジの意味も物語の中で意味づけされていきましたし、イマジネーションも含めて物語の中の武器登場やロボの意味づけはきちんとできています。
少なくとも「ゴーバスターズ」で散々やらかしてしまい、さらに「キョウリュウジャー」の後だということを思えば、よくぞここまで持ち直したものだとさえ思うのです。
本作はそういう意味で私たち受け手にとってだけではなく、スーパー戦隊シリーズ全体をも見事に救ってくれた希望の光となる作品だったのではないでしょうか。
さて、こうして見ると小林女史のメインライター作品群は「ギンガマン」「タイムレンジャー」「シンケンジャー」「ゴーバスターズ」、そして本作とあります。
そのいずれもが強いテーマ性を持っていたのですが、同時に見ていくと後半からどんどん大人向けというか陰影が強くなって闇が見えてきますね。
まずは「ギンガマン」で理想のヒーローを描き、「タイムレンジャー」でそれを大人のドラマとして変化を加えて捻っていき、「シンケンジャー」でそれを「アンチ00年代戦隊」として使いました。
その後「ゴーバスターズ」ではひたすらに救いのない闇の世界を描いてもがき苦しみながらも、本作で闇から脱出してまた光の世界へという戻り方が見事です。
もちろんヒーローものは脚本家だけで作るものではないので、プロデューサーやスポンサーの意向も色々絡んではきますが、こと脚本家の作家性で見て見るとこのような位置付けとなっています。
つまり「理想」を描いたのが「ギンガマン」と本作だとするならば、後の3作はどちらかといえば「現実」と向き合い、その上で「ヒーローとは何か?」を考える作品群だったのかなと。
もっとも、後期になるにつれて00年代以降が「中身のない分かり易さ」が主流になる中で、小林女史が作り手にとっても受け手にとっても「中身のある面白さ」を求められたというのもあるでしょう。
何れにしても、スーパー戦隊シリーズ全体の歴史との兼ね合いも含めて作風の変遷を見ていくと、これまた違った視点で戦隊ヒーローがどういうものかが見えてきて面白いです。
(5)「トッキュウジャー」の好きな回TOP5
それでは最後にトッキュウジャーの好きな回TOP5を選出いたします。ほとんどの票が後半に集中していますが、何卒ご了承ください。
第5位…第33駅「カラテ大一番」
第4位…第42駅「君に届く言葉」
第3位…第10駅「「トカッチ、夕焼けに死す」」
第2位…終着駅「輝いているもの」
第1位…第32駅「決意」
まず5位はトッキュウジャー5人が自分の正体を知った直後のエピソードとして、ライトとヒカリの違いや知略、アクションが非常に良くてきていました。
次に4位は仲間から離れかけていたトッキュウ6号こと虹野明が戻ってくるためのエピソードとして面白いクリスマス決戦編です。
3位は序盤で一番大笑いしたトカッチメイン回の傑作であり、「そして復活」というオチの持っていき方がよくできています。
2位は反則ですけれども最終回、やっぱりトッキュウレインボーのカタルシス無くして本作の魅力は語れません。
そして堂々の1位はその最終回すらも超えてみせる中盤の山場であり、個人的には「炎の兄弟」に匹敵する傑作中の傑作です。
まさか最終回が入るとは思いませんでしたが、でもこれを入れないとトッキュウジャーではないという感じがしたので入れました。
(6)まとめ
シリーズ38作目としての本作は「子供のなりきりヒーロー」でありながら、単なるお気楽なギャグ戦隊ではない後半の持っていき方が見事でした。
前作の大失敗を踏まえつつ、同時にシリーズでまだまだやれることはあるというプロの意地を見せてくれた作品です。
どうしても中盤までが安定せず掴みづらいのが難点ではありますが、その分後半〜最終回までの盛り上がりはまさに全盛期のキレが戻ってきたように感じられます。
総合評価はB(良作)、これで序盤から完璧に面白かったら間違いなくA(名作)に入っていたでしょう。
ストーリー:B(良作)100点満点中70点
キャラクター:A(名作)100点満点中80点
アクション:B(良作)100点満点中75点
メカニック:D(凡作)100点満点中50点
演出:S(傑作)100点満点中100点
音楽:A(名作)100点満点中80点
総合評価:B(良作)100点満点中76点
評価基準=SS(殿堂入り)、S(傑作)、A(名作)、B(良作)、C(佳作)、D(凡作)、E(不作)、F(駄作)、X(判定不能)
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?