ケパロス
アテナイへわれわれはクラゾメナイから家を出てやって来た時、市場でアデイマントスとグラウコンに出遇った。と、そのアデイマントスは僕の手をとって、「今日は、ケパロス、当地のことで、わたしたちのできることが、何かご必要なら、言ってください」と言った。
「ええ、それは大ありですよ、ちょうどそのことのためにやって来たのです、あなた方にお願いしようと思いまして」 と僕は言った。
「その願いというのをお聞かせください」と彼は言った。
そこで僕は言った。「あなた方の同じお母さんのご兄弟のことですが、あの人のお名前は何でしたかね。憶えていないものですから。以前クラゾメナイから当地へやって来ました時には、まあ、子供さんでした。しかしあの時から、もう、久しくなります。お父さんの方のお名前はピュリラムペスと思うんですが」
「ええ、そうです」と彼は 言った。
「だが、あの人のは?」
「アンティポンです。しかし、いったい、何故お聞きなのですか」
「この人々は私の同市民で、たいへん哲学の好きな連中ですが、そのアンティボンがゼノンの仲間のピュトドロスとかいう人にしばしば出会って、そして或る時ソクラテスとゼノンとパルメニデスとが取りかわした問答をしばしばピュトドロスから聞いて暗記していられるということを聞いているのです」と僕は言った。
「それは本当ですよ」と彼は言った。
「それなら、その間答を詳しく聞きたいというのが、わたしたちの願いなのです」と僕は言った。
「いや、それはわけのないことですよ」と彼は言った、「というのは若いころにその問答を非常によく稽古しましたからね。もっとも、今では同じ名前の祖父に倣って、たいてい馬術で日を過ごしているのですが。しかし、ご必要なら、彼のところへわたしたちは行くとしましょう。今さきここから家へ帰りましたが、住居は近くのメリテ区にあるのですよ」
こう言って、われわれは出かけて行った、そしてアンティポンを家でつかまえたが、馬勒か何かの製作を鍛治屋に注文しているところだった。その鍛冶屋の方の用事がすんで、彼の兄弟たちがわれわれのやって来た目的を彼に話してくれた時に、彼は僕の以前の滞在を想い出して、僕だと認めて歓迎してくれた。われわれはあの問答を話してくれるように願ったが、初めのうちは断わろうとした──彼の言った理由は、大変な仕事だから、というのだった──けれども、その後で話してくれた。そしてアンティボンはビュトドロスが、こう、語ったと言った──
或る時パンアテナイ大祭にゼノンとパルメニデスがやって来た。 ところで、パルメニデスの方は、もう、余程の年輩で、白髪がひどかったが、しかし容姿は立派で上品で、およそ六十五歳前後だった。ゼノンの方はその時四十歳近くで、丈が高く、見るからに優雅で、そして彼はかつてはパルメニデスの稚児さんだったということだった。彼らはケラメイコスに城壁の外で住んでいたピュトドロスのもとに宿泊していた。ちょうどそこへソクラテスと、それからまた彼と一緒に誰か他の者が大勢赴いたのだが、それはゼノンの書物を聞こうと思ってのことだった──というのはその時初めてそれはあの人々によってもたらされたから──しかしその時ソクラテスは非常に若かった。ところで、彼らのためにゼノンが自分で読んで聞かせたのだが、パルメニデスはたまたま外出していた。そして論証が読まれていって、なお残りはごく僅かだった──ピュトドロスが言ったのですが──彼自身が、また彼と一緒にパルメニデスと、後に三十人党の一人となったアリストテレスとが外からそこへ入っていった時には。そして彼らはその書物の僅かな部分をなお聞いた。けれども少なくとも彼自身はその時初めてではなくて、また以前にもゼノンから聞いたことがあった。
ところでソクラテスは聞き終えると、第一論証の第一仮定を、も一度読んでいただきたいと頼んだ、そしてそれが読まれると、彼は言った。「それはどういうことですか、ゼノン、もしあるものどもが多であるとすれば、それらは同様なものであると共に不同様なものであらねばならぬということになるが、しかしこのことは実に不可能である。何故なら不同様なものどもが同様であることも、また同様なものどもが不同様であることもできないからである、ということは。あなたの言っていられるのは、こういうことではありませんか」
「そういうことだ」とゼノンは言った。
「すると、もし不同様なものどもが同様であることも、同様なものどもが不同様であることも不可能であるなら、実にまたあるものどもは多であることも不可能である。何故なら、もし多であるとすると、それらはその不可能なことどもを受け入れることになるだろうから、というのですか。これが、あなたの論証の言おうと望んでいることなのですか。つまり、ほかでもない、普通に言われている凡てのことに対して飽くまで『多ではない』ということを言い張るということが。そしてあなたにとってちょうどこのことの論拠であるのが、その論証のそれぞれのものだと思われるのですか。 したがってまたあなたが書かれた論証と同じ数だけ、『多ではない』ということの論拠を提供していると考えられるのですか。 こうあなたは言われるのですか、それとも私の理解するところが正しくはありませんか」
「いや、そんなことはないよ、うまく理解している、その書物の全体が言おうとすることをね」とゼノンは言った。
「わかりました」とソクラテスは言った、「ねえ、パルメニデス、このゼノンが、あなたへの愛情によってもさることながら、特にこの書物によってもあなたの親身の者であるということが。というのはゼノンはあなたと同じことを或る仕方で書いていられるのですが、しかしそれをひねって、何か別のことを言っているのであるかのように、われわれを欺こうと試みていられるのですから。あなたの方はその詩において『全体は一である』と主張し、そしてそのことの論拠を立派にうまく挙げていられますが、この人は今度は『多ではあらぬ』と主張し、そして自分でもまた非常に多くの、そして非常に大きな論拠を提供されるのですからね。ところで、一方は『一だ』と主張し、しかし他方は『多ではない』と主張し、そしてそういう仕方でほとんど同一のことを言っていられるのだけれど、めいめいが同一のことは何も言わなかったと思われるようなふうに言っていられることはですね──こういうことから、つまりあなた方によって言われたことはですね、われわれ他の者どもには、頭上高くで言われたことのように見えてくるのですよ」
「そうだよ、ソクラテス」とゼノンは言った、「しかし君はとにかくこの書物の真相をくまなく感づいてはいないね。もっとも、君は、まるでラケダイモンの猟犬のように、言われたことどもの後をうまくつけ、そしてその足跡を追っていはするがね。けれど、第一に君の見落しているのは、これだ。つまり、この書物はそれほど勿体ぶったものじゃ、 全然ないんだよ、君の言っているそのことをもくろみ、そして人間どもの目をくらますことを、何か偉いことでもなし遂げているものであるかのように考えて、書かれたんだなんて。いや、君の言ったのは、付随的なことどもの一つなんだ。真実はと言うと、それはパルメニデスの論の一種の援助であって、もし一であるならば、多くの滑稽な、しかも自分に矛盾することをその論は受け入れる結果になると言って、彼の論を冷かそうと企てる連中を相手にしたものなのだ。だからして、この書物は多を主張する連中に対して反駁を加え、そして同じだけの、いや、もっと多くのものをお返ししてやるのだ──もし多であるとすると、彼らのその仮定は、一であるとする仮定に比べ、ひとが充分に調べてみると、なおもっと滑稽なことを受け入れる結果になるということを、明らかにしようと欲しながら、ね。だからこのような競争心により、若いころの私によって書かれたものなのだ、そしてそれは書かれた後で誰かに盗まれたために、それを公けにして世に問うべきか否か熟慮してみることさえできなかったのだ。そんなわけで次の点で、ソクラテス、君には見落しがあるのだよ。つまり、それが書かれたのは、若者の競争心によってではなくて、年寄りの名誉心によってであると君が思っている点でね。もっとも、このことは私の言ったことだが、 君の推測は拙くはなかったんだけれど、ね」
「いや、あなたのおっしゃることを受け入れます」とソクラテスは言った、「そしてあなたの言われる通りだと考えます。しかし次のことを私に言って下さい。何か同様のエイドスというようなものがそれ自身としてそれ自身だけであり、そして他方でこのようなものに反対な何か別のもの、すなわちまさに不同様であるものがある。そして二つであるこれらのものに私もあなたも、それからわれわれが実に多くのものと呼んでいる他のものどもも関与するとは考えませんか。そして同様に関与するものどもは、どの仕方でかそれに関与するその仕方に応じ、またどれだけかそれに関与するその程度に応じて同様なものになるが、しかし不同様に関与するものどもは不同様なものに、また両者に関与するものどもは両方のものになるのだと考えませんか。しかしまた凡てのものも、それらが反対であるその両方に関与し、そして両方を分有することによってそれらが互いに同様なものであり、 不同様なものであるとしても、何の不思議がありましょうか。というのは、もし誰かが同様なものどもがそれら自身として不同様になるとか、あるいは不同様なものどもが同様になるとかいうことを明らかにしてくれるとしたら、思うに、それは奇怪なことでしょうが、しかしこれら両方を分有するものどもがその両方の限定を蒙るということを明らかにしてくれても、ゼノンよ、それは少なくとも私には何も奇妙なことだとは思われませんよ、また凡てのものどもが、一を分有することによって一という限定を蒙り、またそれらのものが同じままで他方多さを分有することによって多という限定を蒙るということを誰かが明らかにしてくれても、そうなんですよ。しかしもし、一であるところのもの──これがそれ自身として多であり、また他方実に多がね、一であるということを示してくれたら、そのときはもうそれを驚くことでしょう。またその他のものどもの凡てについても、同様です。もしゲノスやエイドスがそれ自身としてそれ自身のうちにそれらの反対な限定を受け入れるということを明らかにするとしたら、それは驚くに価することです。しかしもし誰かがこの私は一でありながら、また多であるということを示そうとも、何の不思議がありましょうか。彼は多であることを明らかにしようとする時には、私の右側と左側とはそれぞれ別であり、また私の前側と後側とはそれぞれ別であり、また上の方と下の方も同様だと言うんですから──というのは、思うに、私は多さを分有するからなのです──しかし一であることを示そうと思う時には、われわれは七人であるけれど、私はまた一をも分有することによって一人の人間であるということを言うでしょう。したがってその人はその両方とも真実なこととして明らかにしていることになります。だから、もし誰かがこのようなものども、つまり石や材木やそのようなものどもが、同じままで多であり、また一であるということを明らかにしようと企てるなら、彼は或るものが多であり一であることを示すのであって、一が多であることも、また多が一であることをも示すのではない、また何も不思議なことを言うのでもない、むしろ凡ての人々が承認できるようなことを言うのだとわれわれは主張するでしょう。しかしもし誰かが先ず第一に今さき私のあげたものどものエイドスを、例えば同様、不同様、多さ、一、止、動、凡てこのようなものどもをそれ自身としてそれ自身だけで別に離して取りわけて、次にそれらのものがそれら自身の間で混合され、また分離されることができることを明らかにするなら、この私は、おお、ゼノンよ、不思議なほど感心することでしょうよ。そしてあのことは、あなたによって全く男らしくなし遂げられたとは考えます。けれども、もし誰かがこうでしたら、つまりその同じ困難がエイドスそのもののうちにあらゆる仕方で組みこまれているということを、見られるものどもにおいてあなた方が論じられたように、思惟によって捕えられるものどもにおいても論じながら、さらに示すことができるのでしたら、はるかにいっそう、私が言ったように、感心することでしょうよ」
ところで、これはピュトドロスが言ったことですが、以上のことをソクラテスが言っている間、彼自身は、パルメニデスとゼノンとがソクラテスのそれぞれの言葉に気を悪くするだろうと思ったのに、しかし彼ら二人はソクラテスに全く注意を払い、しばしば互いに顔を見合って、あたかも彼に感心するように、にっこり笑った。だからソクラテスが止めると、実際パルメニデスはそのことを口にして、こう、言った。「ソクラテスよ、君は、言論に対しては熱心で、そのためにほんとに感心に価するよ。 そして私に言ってくれ。 自分で、君は、君が言うように、分けたのか、一方にはいくつかのエイドスそのものを別に、また他方ではそれらを分有するものどもを別に。そして君には同様そのものが、われわれの持っている同様とは別に、何かであると思われるのか、また一も多も、それから今さき君がゼノンから聞いた凡てのものも」
「そうです」とソクラテスは言った。
「実際またこのようなものども、例えば正や美や、さらにこのようなものども凡てのエイドスそのものというものが、それ自身だけであると思われるのか」とパルメニデスは言った。
「はい」と彼は言った。
「しかしどうだ、人間のエイドスが、われわれやわれわれのようなものであるその他の凡てのものとは別に、つまり人間のエイドスそのものというものがあるのか、あるいは火の、あるいはまた水の」
「それらのものについては」と彼は言った、「パルメニデスよ、実に幾度も困難に陥ったことがあるのですよ、あのものどもについてのように言わなければならないか、それとも違ったふうに言わなければならないか、と」
「はたして、ソクラテス、これらのものども──実際、滑稽なものであるとさえ思われるだろうようなものども、例えば毛髪や泥や塵や、あるいはその他の何か非常に賤しくてくだらぬものについても、君は困難を感じているのか、これらのものどもにまでもそれぞれのエイドスが別に、何かわれわれの手にするようなものより他のものとして、他方で、あると主張しなければならないか、それともないと主張しなければならないか、と」
「いや」とソクラテスは言った、「それは、決して困ってはいません、むしろそれらのものどもなら、ただわれわれが見るところのちょうどそのもので事実あるのだと思います。それらのものどものエイドスが何かあると思うのは、あまりに奇妙ではないでしょうか。けれどもこれまでにも、凡てのものどもについて何か同一のことがあるのではないかと、私の心が動揺した時もありました。その後、そこのところに立つと、いつも私は逃げ去ります、饒舌の、いわば深淵にいつか落ち込んで身を亡ぼすことになりはしないかと、恐れまして、ね。しかしそれはともかく、あそこへ、つまり今さきエイドスを持つとわれわれの言ったものどもへ赴いて、それらのものどもについて研究に努めながら、時を過ごしているのです」
「それは、まだ君が若いからだよ、ソクラテス」とパルメニデスは言った、「そして君を哲学が、私の意見では、将来それが捕えるだろうようには、まだ捕えていないからだよ。その時になれば、それらのものどもをも君は何一つ軽蔑しないだろう。しかし今はまだ歳のせいで人間どもの意見を気にしているのだ。
しかしそれはともかく、次のことを言ってくれ給え。君の主張するところでは、君には、いくつかエイドスがあって、この世の他のものどもはそれらに関与することによってエイドスの呼び名を持つことになる、例えば同様に関与することによって同様なものどもに、大きさに関与することによって大きなものどもに、また美や正義に関与することによって正しいものどもや美しいものどもになると思われるのか」
「ええ、全くそうです」とソクラテスは言った。
「すると、関与するもののそれぞれが関与するのは、エイドスの全体にか、それともそれの部分にかではないのか。あるいはこれら二つ以外に、何か他の関与がありうるだろうか」
「いや、どうしてありえましょう」と彼は言った。
「すると、君にはエイドスの全体が多くのものどものそれぞれのうちに、一つでありながら、あると思われるのか、それともどういうふうに?」
「いったい、何がそれを妨げましょう、パルメニデス」とソクラテスは言った。
「それなら、一つで同じものでありながら、多くの別々にあるものどものうちに同時に全体としてあり、こうして自分が自分から別にあることになるだろう」
「いや、そんなことはないでしょう」と彼は言った、「もし例えば昼が一つで同じものでありながら、同時に多くのところにあって、そしてそれでいながら、それでもやはり自分が自分から別にあることはないように、もしそういうようにエイドスのそれぞれも一つで同じものでありながら、同時に凡てのもののうちにあるとしますれば、ね」
「これは面白いよ、ソクラテス」と彼は言った、「君が一つで同じものを同時に多くのところにあるとするやり方は。それは例えば、帆で以て多くの人間どもを覆いかぶせて、一つのものが多くの者の上に全体としてあると君が主張する場合のようなことだね。それともそのようなことを言っているのだとは考えないかね」
「多分、そうでしょうね」と彼は言った。
「すると、はたして帆がそれぞれの人間の上にあるのは、全体としてであろうか、それともそのそれぞれ他の部分が他の人間の上にあるのだろうか」
「部分です」
「それなら」と彼は言った、「ソクラテス、エイドスそのものは分割できるものであるということになる、そしてそれらを分有するものどもは部分を分有するということになるだろう、そしてもはやそれぞれのうちにあるのは全体ではなくて、それぞれのエイドスの部分であるということになるだろう」
「そういうふうに見れば、そのようです」
「すると、はたして、ソクラテス、君は一つのエイドスが本当に分割されるとわれわれに対して主張する気なのだろうか。そしてそう主張しても、なおエイドスは一つであるだろうか」
「いや、決して」と彼は言った。
「そうだろうよ、ひとつ、見てみるがよい」と彼は言った、「もし大きさそのものを分割して、多くの大きなものどものそれぞれが大きさそのものの、それより小さな大きさの部分によって大きなものになろうものなら、それは不合理なことと見えはしないだろうか」
「ええ、全くです」と彼は言った。
「しかしどうだ。等の何か小さな部分をそれぞれのものは受け取って持ち、そしてその持つものは等そのものより小さくあるその部分によって何かに等しくなるのだろうか」
「それは不可能です」
「しかし小の部分をわれわれの誰かが持ち、そしてちょうどこの部分よりも小は大きくあるのだろうか、このものは小そのものの部分なのだから。そして実にそういう仕方で小そのものがより大きなものであるだろう。また取り去られたものが何かに付け加えられる場合、その何かは小さなものであるだろう、前よりは大きなものではなくて」
「そんなことはありえません」と彼は言った。
「すると、ソクラテス」と彼は言った、「どんな仕方で、君にとっては他のものどもはエイドスに関与することになるのだろうかね。それの部分の方にも全体の方にも関与することができないのだとすれば」
「ゼウスにかけて」と彼は言った、「たやすいことだとは決して思われませんよ、そのようなことをはっきり規定するのは」
「すると、いったい、どうだ。次のことに対しては、君はどうだろうね」
「それは、どのようなことですか」
「私は思うが、それぞれのエイドスは一つであると君が思うにいたったのは、次のようなことからだろう。つまり、多くのものどもがいくつか君に大きくあると思われる時に、おそらくその凡てのものを見渡す君にとって何か一つの同じイデアがあると思われ、そこから大は一つであると考えるにいたったのだろう」
「あなたのおっしゃるのは、本当です」と彼は言った。
「しかし大そのものとその他の大きなものどもは、どうだ、もし同じように魂を以てそれら凡てのものを見渡すなら、またも何か一つの大が現われてきはしないだろうか──それによって凡てのものが大きなものと見えてくるような」
「そのようです」
「したがって大の他の第二のエイドスが出現することになるだろう、大きさそのものとそれを分有するものどもの上方に生じたものとして。そしてさらにそれら凡てのものの上には、それによってそれら凡てのものが大きなものであるだろうところの他のエイドスが。そして実際、もはやエイドスのそれぞれは、お気の毒だが、一つではなくて、その多さが無限であるだろう」
「しかし、パルメニデス」とソクラテスは言った、「さきのエイドスのそれぞれは思考であって、魂より他のところは、それがそのうちに生じてくるのにふさわしくないところではないかと思います。というのも、思考物だとすれば、それぞれは一つであることになって、そして今さき言われたことをもはや蒙らないことになるでしょう」
「すると、どうだ」と彼は言った、「それぞれのエイドスは思考物の一つであるが、しかし何でもないものの思考物であるのか」
「いや、それは不可能です」と彼は言った。
「しかし、何ものかの、だね」
「はい」
「あるものの、かね。それともあらぬものの、かね」
「あるものの、です」
「その思考物は、それが凡てのものの上にあると思考する何か一つのものの、ではないか──その一つのものというのは、何か一つのイデアのことであるが」
「はい」
「おや、すると、この、常に凡てのものの上にある同じものとして、一つのものであると思考されるものが、エイドスであるのではなかろうか」
「ええ、それは必然だと今度は見えます」
「すると、どうだ」とパルメニデスは言った、「君は他のものどもがエイドスを分有するのは、必然だと言うが、その必然によってそれぞれ個々のものは思考物からできていて、そして凡てのものが思考すると君に思われるか、それとも凡てのものは思考物でありながら、考えのないものであると思われるか、のいずれかではないか」
「しかしそれも理屈に合いません」と彼は言った、「いや、パルメニデスよ、少なくとも私に一番明らかなことは、こうなのです。それらのエイドスの方は、いわば典型のように、自然のうちにあり、そして他のものどもの方はこれらに似ていて、同様な物である、そしてあの、他のものどもにとってのエイドスの分有というのは、ほかでもありません、エイドスに肖ることなのです」
「すると、もし」と彼は言った、「何かがエイドスと同様なものになっているなら、エイドスに似たものである限りで、あのエイドスがまたその肖った何かと同様なものであることがないなんて、ありうることかね。それとも同様なものが同様なものと同様なものであるということのないような何らかの手段があるかね」
「ありません」
「しかし同様なものは、同様なものと同じ一つのものを分有するのが、大いなる必然ではないのか」
「必然です」
「しかし同様なものどもが何かを分有することによって同様なものであるなら、その何かこそエイドスそのものではなかろうか」
「ええ、もう全くそうです」
「それなら、何ものかがエイドスと同様なものであることも、エイドスが他のものと同様なものであることもできないということになる。もしそうでないなら、エイドスの上方に常に他の第二のエイドスが出現してくるだろう、そしてその第二のエイドスが何ものかと同様なものであるなら、さらに第三のエイドスが出現してくるだろう、そしていつまでも常に新しいエイドスが生じてくるのを止めないだろう、もしエイドスが自分自身を分有するものと同様なものになるとすれば、ね」
「あなたのおっしゃるのは、全く本当です」
「したがって他のものどもがエイドスに関与するのは、同様によってではない、むしろ何か他の関与の仕方を探求しなければならない」
「そのようです」
「すると」と彼は言った、「ソクラテス、君はわかるね、もしひとがエイドスをそれ自身としてそれ自身だけでのとして分立するとすれば、その困難がどれほどのものであるかが」
「ええ、わかります」
「それなら、よく知るがよい」と彼は言った、「もし君があるものどものそれぞれのエイドスを常に何か一つのものとして分離して立てようとすれば、その困難がどれほどのものであるか、それには、まだいわば、ほとんど触れていないということを」
「それは、どうしてですか」と彼は言った。
「他にも多くの困難があるが」と彼は言った、「次のが、最も大きなものだ。もし或る人が、エイドスはこのようなものでなければならぬとわれわれの主張しているようなものであるなら、それは認識されるにふさわしいものでさえないと言うならば、そう言う人に対して、君の言うのは間違っているということを教示してやることのできる人はあるまい。ただしそう言って異論を唱える人が幸い多くのことを経験していて、素質もあり、また教示する人がいろいろと遠くから骨折って教えてくれるのに随いていく気があれば、話は別だがね。でなければ、エイドスは不可知であるのが必然だと主張する人は説得できないのだよ」
「それは、パルメニデス、いったい、どうしてですか」とソクラテスは言った。
「それは、ソクラテス」とパルメニデスは言った、「思うに、君にしても、その他誰にしても、それぞれの何か有性というものがそれ自身としてそれ自身だけであるとする人は、第一にそれらの何一つわれわれのうちにはあらぬということに同意することだろうから」
「もしあるとしたら、どうしてなおそれ自身としてそれ自身だけであることができるでしょうか」とソクラテスは言った。
「うん、これはうまい」と彼は言った、「ところで、イデアどものうち、相互の関係によって、それらがあるところのものである限りのものどもは、それら自身相互の関係によって有性をもつのであって、われわれのもとのものどもとの関係によってではない──これらのものが同様物という関係にあるにせよ、あるいはまたわれわれがそれらを分有することによってそれぞれの名で呼ばれることになるところのイデアどもと、われわれのもとのものどもとをどんな関係におくにせよ、そのような関係によってではない。そしてこの、それらイデアどもと同名であるわれわれのもとのものどものことであるが、それらはそれらで、それら相互の関係で有性を持つのであって、エイドスどもとの関係によってではない。すなわち、それらはそれら相互の、であって、あのエイドスどもの、ではない。つまり、その方でもわれわれのもとのものどものような仕方で名付けられているかぎりのエイドスどもの、ではない」
「それは、どういうことですか」とソクラテスは言った。
「例えば」とパルメニデスは言った、「もしわれわれのうちの或る者が或る者の主人なり奴隷であるなら、その或る者はもちろん、まさに主人であるところの主人そのものの、ではなくて、かの或る者の奴隷であり、また或る者の主人もまさに奴隷であるところの奴隷そのものの、ではなくて、むしろ人間であって人間の主人であり奴隷である。また主宰そのものも、まさにあるところの隷属そのものの、であり、そして同様に隷属そのものは主宰そのものの隷属であるが、しかしわれわれにおけるものどもはかのものどもに対して、またかのものどももわれわれに対して力を持たず、むしろこれは私の言ったことだが、かのものどもはそれら自身が相互のもののであり、また相互の関係によってあるものであり、そして同様にわれわれのもとのものどもはそれら相互の関係によるものである。それとも私の言うことがわからないかね」
「ええ、よくわかりました」とソクラテスは言った。
「それなら知識にしても」と彼は言った、「まさに知識であるところの知識そのものは、まさに真理であるところの真理そのものの知識であるのではなかろうか」
「ええ、全くです」
「しかしさらに、まさにあるところのそれぞれの知識は、あるものどもの、まさにあるところのそれぞれの知識であるだろう。それともそうでないか」
「そうです」
「しかしわれわれのもとの知識はわれわれのもとの真理のそれであり、そしてさらにわれわれのもとのそれぞれの知識はわれわれのもとにあるものどものそれぞれの知識であるということになるのではなかろうか」
「それは必然です」
「ところがしかし、エイドスそのものはね、君も同意するように、われわれは持たないし、またわれわれのもとにあることもできないのだ」
「ええ、たしかにできません」
「しかしだね、おそらく知識のエイドスそのものによって、まさにあるところのゲノスそのもののそれぞれは認識されるのだろう」
「はい」
「知識のエイドスはね、これをわれわれは持っていない」
「ええ、持っていません」
「それなら、少なくともわれわれによってはエイドスどもの何一つ認識されないということになる、われわれは知識そのものを分有しないのだから」
「認識されないようです」
「したがってまた、まさにあるところの美そのものも、善も、それからわれわれがイデアそのものであると解する凡てのものどもも、われわれにとっては不可知なものであるということになる」
「そうらしいです」
「それでは見てみ給え、これよりなおもっと恐ろしい次のことを」
「それは、どのようなことですか」
「多分、いやしくも知識の何かゲノスそのものというものがあれば、それはわれわれのもとの知識よりも、いっそう厳密なものであり、また美もその他の凡てのものどももそうであると君は主張するだろう」
「はい」
「それなら、いやしくも何か他のものが知識そのものを分有するなら、神より以上に何かがその厳密な知識を持つとは、主張しないだろうね」
「それは必然です」
「すると、他方でまた、神はわれわれのもとのものどもを認識することが、はたしておできだろうかね、知識そのものを持ってはいられるけれど」
「いったい、何故できないでしょうか」
「それは」とバルメニデスは言った、「ソクラテス、われわれの同意によってかのエイドスどもはわれわれのもとのものどもに対してはそれの力を持たないし、またわれわれのもとのものどもはかのエイドスどもに対して持たないで、むしろ両者はそれぞれ自分ら相互に対して持つだけだ、と認められたからだよ」
「ええ、たしかに認められました」
「ところで、もし神のもとにあるのが、あの最も厳密な主宰であり、またあの最も厳密な知識であるなら、あの方々の主宰はわれわれを宰ることは決してできないだろうし、またその知識はわれわれをもわれわれのもとの何か他のものをも認識することはできないだろう、しかし同様にわれわれはわれわれのもとの支配によってあちらの方のものどもを支配しないし、またわれわれの知識によって神的なものの何一つ認識しないし、他方あの方々は同一の論によってわれわれの主人ではなく、また人間的な事柄を認識しないのである、神々であられるのに」
「しかし」と彼は言った、「その論は余りにも驚くべきものではないでしょうか、もしひとが神から知ることを奪おうとするのだとすれば」
「けれども、ソクラテス」とパルメニデスは言った、「それらのことや、さらにそれらに加えてその他の非常に多くのことをエイドスが持つのは必然である、もしあるものどものあのイデアがあり、そしてそれぞれのエイドスを何かそれ自身としてひとが立てようとすれば、ね。したがってそれを聞く者は問題にして、それらのエイドスはないのではないか、またよしんばあったとしても、それらは人間の本性にとっては不可知なものである必然性が多いのではないかと異論を唱えることになり、そしてひとがそれらのことを言うなら、何か一かどのことを言っていると思われることになり、さきにも言ったが、実に驚くほど説得し難い者であることになるのだ。そしてそれぞれのものの何かゲノスというものが、すなわち有性がそれ自身としてそれ自身だけであるということを学ぶことのできるようになる者は非常に素質のよい人物たることを要するが、しかし自ら発見して、そして以上凡てのことを充分に吟味したその他の者を教えることのできるようになる者はなおいっそう驚くべき人物たることを要するのだ」
「あなたに賛成します、パルメニデスよ」とソクラテスは言った、「というのは、全く私の合点のいくように話されますから」
「しかしそれにしても」とパルメニデスは言った、「いやしくも、ソクラテス、ひとがまた他方で、今さき言われたことどもやその他そのようなことどもに目を注いで、あるものどものエイドスどもがあることを許そうとせず、またそれぞれ一つ一つの何かエイドスというものを立てようとしないならばだね、思考を何処へ向けていいか、わからなくなるだろうよ、──あるものどものそれぞれのイデアが同じものとして常にあることを許さなければ、ね。そしてこうしてひとは問答の能力を全く台なしにすることになるだろう。ところで、このようなことは、君が余りにもよく気づいているところだと私には思われるよ」
「あなたのおっしゃるのは、本当です」と彼は言った。
「それなら、哲学に関して君は何をするつもりかね。それらの問題が知られないままで、何処へ君は向かおうというのかね」
「現在のところは、全く見当がつかないように私には思われます」
「それは、ソクラテス」と彼は言った、「君が練習をつまないうちに、はやばやと何か美や正や善や、それからエイドスどものそれぞれ一つ一つを立てようと企てるからだよ。それは、先だっても君がここでこのアリストテレスと問答しているのを聞いて気づいたのだよ。なるほど君が言論へ突進するその熱心さは、いいかね君、立派で神的だよ。しかしまだ若いうちに、無用だと思われ、多くの人々に無駄口と呼ばれているものによって自分自身を柔軟にし、いっそうよく練習をつむべきだ。でないと、真理は君から逃れ去るだろう」
「それなら、その練習の方法は、パルメニデス」と彼は言った、「何ですか」
「ゼノンから君が聞いたちょうどその方法だよ」と彼は言った、「ただし、この点ではね、君がまたこのゼノンに向かって言ったことに感心したよ。つまり、それは君が見られるものどものうちにおいて、またそれらについて思索を行なうことを許さないで、むしろひとが特に思惟を以て捕えることができ、そしてエイドスであると考えることのできるかのものどもに限って、そうするのを許している点だがね」
「というのも、そんな仕方で」と彼は言った、「あるものどもが同様なものでもあり、不同様なものでもあるということや、その他の限定を蒙るということを明らかにするのは、何も難しいことではないと私には思われるものですから」
「うん、それは、もっともだよ」と彼は言った、「しかし次のことをも、それに加えてなお、しなければならないよ。つまり、“それぞれのものがあるとすれば”と仮定して、その仮定から生ずる結果を考察するばかりではなくて、また“もしその同じものがあらぬとすれば”と仮定しなければならないのだよ、もし君がいっそうよく練習をつもうと欲するのなら、ね」
「それは、どういうことですか」と彼は言った。
「例えばね」と彼は言った、「もし、なんなら、ゼノンが立てたその仮定について、“もしものが多であるとすれば”その多くのものそのものに対して、それら相互の関係において、また一との関係において何が帰結しなければならないか、それと共に一に対して、それ自身との関係において、また多くのものとの関係において何が帰結しなければならないかを考察しなければならない。そして逆に『もし多であらぬとすれば”一と多くのものに対して、それ自身との関係、および相互の関係において何が帰結することになるかを再び考察しなければならない。それから今度はさらに“もし同様があるとすれば”あるいは“もしそれがあらぬとすれば”と仮定するなら、それらのそれぞれの仮定においてその仮定されたものどもそのものと、それより他のものどもとに対して、それ自身との関係において、またそれら相互の関係において何が帰結することになるかを考察しなければならない。また不同様についても、動についても、止についても、生成と消滅についても、あることとあらぬことそのことについても同一の論が当てはまる。つまり、一言で言えば、たとい何であれ、君があるものとして、またあらぬものとして、また他のどんなのでも何らかの限定を蒙るものとしてその場合場合に君が仮定するものについて、それ自身との関係において、またそれより他のものどものうち何でも君の択ぶそれぞれの一つのものとの関係において、あるいはそれらの多くのものとの関係において、また同様にそれら凡てのものとの関係において帰結するものどもを考察しなければならない。また逆にそれより他のものどもも、それら自身との関係において、またその場合場合に君の択ぶ他のものとの関係において帰結するものどもを考察しなければならない、君が仮定するものをあるものとして仮定するにしても、あるいはあらぬものとして仮定するにしてもだよもし君が完全に練習をつんだ後で、大家として真実を徹底的に見るつもりであれば、ね」
「あなたのおっしゃるのは、パルメニデス」と彼は言った、「途方もない骨折り仕事ですよ、そしてよくはわかりません。いや、私のために、早速何かを仮定してあなたが自分で論じてみて下さい、いっそうよくわかりますように」
「たいへんな仕事を、ソクラテス」と彼は言った、「君は私に命じるんだね、こんな年輩だというのに」
「ええ、では、あなたが、ゼノン」とソクラテスは言った、「われわれのために、早速論じて下さいよ」
すると、ゼノンは笑って言った──これはピュトドロスの話ですが──「ねえ、ソクラテス、それはパルメニデス自身にお願いすることにしよう。だって、この方のおっしゃることは、容易ならぬことじゃないかしらん。それとも君はどれほどの仕事を命じているか、わからないかね。実は、もしわれわれの人数が多ければ、お願いするのは無理かも知れない。というのはこのようなことは大勢の人々の前で語るのには、ふさわしくないことだからね、特にこのようなお年輩のお方にはね。だって、大勢の人々というものは、あらゆるものを通って解明と思索とを行なうのでなければ、真実に出過って理知をもつにいたることは不可能だということを知らないものだからね。ともかく私は、バルメニデス、ソクラテスと一緒にお願いいたします、自分でも久し振りにお聞きするためにです、ね」
そう、ゼノンが言った時に、──アンティポンはピュトドロスが話したと言ったのだが──ピュトドロス自身もアリストテレスも、その他の人々もパルメニデスに「あなたのおっしゃることを実際に教示して下さい、是非ともそうして下さい」と願った。
すると、パルメニデスは言った。「諸君の言うことを聞き入れなければなるまい。けれども私はイビュコスの言葉にある馬の感情を、どうも味わっているようだ、その馬は競走馬で、かなりの老馬であって、戦車につながれて、まさに競技に出ようとするにさいし、その経験からして将来のことを恐れおののいていたが、イビュコスはその馬に自分を比較しながら、自分もそういう老人であって、心ならずも恋に陥ることを強制されるのだと言ったのだ。私もまた自分の記憶から、この年輩でいて、論証のこのような、そしてこれほどの大海をどうして泳ぎ切ったらよいかと、それを、どうも非常に恐れているようだよ。しかしそれでもやはり諸君の意に添わなければなるまいよ。それにこれはまたゼノンの言ったことだが、われわれはわれわれだけなんだからね。それなら、いったい、どこから始めたものだろうか、そして何を先ず仮定として立てたものだろうか。それとも骨の折れる遊戯をやらなければならぬように思われるから、私自身から、そして私自身の仮定から始めてよろしいかね。一そのものについて、“もし一であるとすれば”あるいは“一であらぬとすれば”と仮定して、何が帰結してこなければならないかを考察するためにね」
「ええ、よろしいですとも」とゼノンは言った。
「それなら、誰が私に答えてくれるかね」と彼は言った、「それとも一番若い者かね。それだと、骨を折らせることも一番少ないだろうから。それに彼の思うところを一番よく答えてくれるだろうからね。そして同時にその者の答は私にとっては休息ということになるだろう」
「パルメニデス、あなたのために、それをやる気でいますよ」とアリストテレスは言った、「だって、私のことをおっしゃっているのですもの、一番若い者とおっしゃると。ともかく私が答えますから、そのつもりでお尋ね下さい」