「反省記」 西和彦 からの学び vol.1
「反省記」という本を読んで、大変感銘を受けました。
著者は、アスキー創業者で、東京大学大学院 IoTメディアラボラトリーディレクターである、西和彦さん。
この本は、西さんの人生の半世紀にわたる反省を未来に活かすために、半世紀と反省記をかけたタイトルで出版している本です。
なんと、西さんは、マイクロソフトの創業期にビル・ゲイツと共に仕事をし、マイクロソフトのボードメンバーで、副社長にまでなられていて、マイクロソフトの飛躍の土台をビル・ゲイツと一緒に作られています。
西さんの行動力は本当に凄まじく、早稲田大学3年生の時にアスキーを起業し、出版事業に関わりながら、マイクロソフトのビル・ゲイツ(当時21才)の情報を聞きつけ、同じ年齢で活躍しているビル・ゲイツに直接電話をかけ、アポイントを取られています。
当時、ビル・ゲイツが、パートナーのポール・アレンと組んで、ソフトウェアの開発に取り組んで、2年ほどの時です。
アメリカでビル・ゲイツと直接会い、意気投合し、マイクロソフトBASICの東アジア市場独占販売権を得て、マイクロソフトのパートナーになったのです。
そして、NECのパソコンにマイクロソフトBASICが採用されると、空前の大ヒット商品になり、日本にパソコンブームが到来します。
このヒットが起点となり、日立、沖電気、IBM、エプソン、京セラなど、名だたるメーカーと一緒にパソコンを開発し、経営者というだけでなく、開発者として現場に関わることで、次々にヒット商品を生み出していきます。
また、マイクロソフトがOSを作るきっかけにも西さんは関わられていて、まさにマイクロソフトの創業期に、ビル・ゲイツとバディシップを組んで、業界全体を牽引する存在であったと思います。
1979年には、マイクロソフトの4割の売上を、西さんが売り上げるほどの成果を作られています。
この結果の原因を本の中で語られていて、その一つは、
「人脈」がもたらす「情報」こそが力の源泉
という言葉からもわかるように、人の繋がり、人脈を大事にしてきたことです。
西さんは大学在学中にアスキーを創業されていて、出版業に関わっている関係で、メーカーに取材にいくことが多く、メーカーの方と繋がりがあったことがこの成功にとって大きい要因だったそうです。
また、アメリカのパソコン関連の展示会に飛び込み、現地の技術者のネットワークに直につながることを大事にしたり、日本とアメリカの飛行機の移動の時に同じ飛行機に乗っている経営者の方と繋がり、一つ一つのご縁をとても大事にされたそうです。
また、西さんの情熱が人を動かしたんだと思います。
「ソフト」ではなく、「ビジョン」を売っていた
というほど、日本や世界の変革に情熱を燃やしていたからこそ、20代の若さの西さんが、たくさんの経営者から愛されていたのではないかと思います。
本当にすごいチームビルディングです。
しかしながら、この後、西さんはマイクロソフトを追い出され、アスキーからも追い出されることになり、全てを失ってしまいます。
これほど情熱を燃やされていたからこそ、失った悲しみは相当だったと思います。
vol2、に続きます。
金賢守(キムヒョンス)
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