人生設計、エッセイ
子供の頃から、人生設計を続けてきた私は、いつも未来を見据え、計画通りに進んでいるという充実感に満ちている。
常に、5年後、10年後の自分の姿を鮮明に描き、それに向けて努力を重ねてきた。そのプロセスは、常に達成可能な目標を設定することで、確実に成果を出し続けてきた。
進む大学、職業、結婚の時期、独立の時期、家を建てる時期、家の規模、事業拡大、後継者育成、事業継承……
執筆活動についても、同様のスタンスだ。コンテストで時々選ばれる程度で満足し、細く長く続けることを目標にしている。小説家になるとか、プロになるという野望はない。自分を冷静に、客観的に見つめることが重要だと考えている。
だが、還暦を迎えると、計画を立てることが突然困難になった。それまでの人生は常に計画に基づいて進めてきたが、これから何年生きられるのかが不透明な中で、新しい目標を設定することが難しい。
いったい、どれくらい生きられるのか?
親が長寿なので、長生きできるのだろうか?
一卵性双生児の研究によれば、遺伝情報が寿命に関与するのはわずか25%程度だという。しかし、親が長寿であれば子も長寿であることが多いのは確かなようだ。そこには、子供の頃に形成された味の好みや生活習慣、さらにはものの考え方などの後天的な要素が強く影響しているのだろう。
私の父には11人の兄弟がいる。そのうち、10人が90歳以上まで生きた。一人だけ、生後数日で亡くなったが、それ以外は長寿を誇っている。
父自身も今年で93歳、母も87歳と、二人とも元気そのもので、数年以内に亡くなるような気配はまったくない。母の兄弟も長寿で、最年長の兄が90歳を超えて亡くなったが、それ以外は現在も健在だ。
このような背景を考えると、90歳まで生きる前提で人生設計をするのが妥当なのかもしれない。だが、それを確信を持って行うのは、なかなか難しい。
寝たきりになったらどうしよう、そんな不安もよぎる。しかし、両親やその兄弟たちを見ても、寝たきりになった例は一つもない。昨日まで元気だったのに、ある日突然朝起きてこない、そんなふうに亡くなったという話ばかりだ。
そういうわけで、今日も私は、今後の人生設計をどうするべきか、考えあぐねている。
とはいえ、このように考え続けること自体が、私にとって一つの楽しみでもあるのかもしれない。計画を立てられないという新しい状況に直面し、どう対応するかという課題に向き合うこと。これもまた、人生の一部として、楽しんでいきたいと思うのだ。
最近、思うのは、計画を立てない、成り行きに任せるというのも、案外、悪くないのかもしれないということだ。計画を立てないことで、予想もしなかった出来事に出会うことができる。新しい趣味を見つけたり、新しい人と出会ったり。そういった偶然の連続こそが、私たちの人生を豊かにしてくれるのではないかと、今では考え始めている。
未来は確かに不確かだ。しかし、その不確かさを楽しむという新しい目標を持てば、きっとまた、人生は素晴らしいものになるのだろう。何年生きるか分からない、でも、だからこそ、今この瞬間を大切に生きていく。そんな新しい考え方を持って、私のこれからの人生を歩んでいこうと思う。