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1980年代の百貨店が行った実験的な試み

これまでは、19世紀後半~20世紀前半の百貨店の話をしてましたが、今回は1980年代、いわゆるバブルの時代の百貨店のお話をします。

成熟した社会の中での百貨店の試み

かつて、『行くことのできない西欧を体験できる場所』の役割を担っていた百貨店ですが、1980年代になると人々も欧米に行くことが当たり前になっています。また、おカネもモノも溢れて飽和しつつあった時代です。そんな時代、百貨店は当時の人々にとってどういう場所だったのでしょうか、また百貨店はどういった試みを行っていたのでしょうか。川島 蓉子氏は、『伊勢丹な人々(2005)』で、下記のように述べています。

考えてみればバブル景気化では、百貨店は"らしさ"を意識する必要がないほど、お客が入っていた。毎年のように、各フロアは大々的にリニューアルされ、新しい売り場・ブランドがまさに百花繚乱と言える時代だった。
例えば西武百貨店の場合、先鋭的なデザイナーブランドだけを編集して見せた「シード館」、雑貨だけを集積した「ロフト館」など、今から思えば、90年代のセレクトショップブーム、雑貨ブームにつながる新しい試みを、次々と打ち出していた。
丸井は、アパレルや雑貨に加えて、イギリスのヴァージンメガストアと提携し、音楽の領域まで手を広げたり、渋谷という一等地にインテリアや雑貨でライフスタイルを提案する「インザルーム」という新業態をつくって話題を集めた。
つまり80年代は、百貨店がさまざまな実験を試みた時代でもあった。

川島 蓉子氏『伊勢丹な人々』(2005年)

ちなみ上記引用の中にある「ロフト館」は、今のロフトです。1996年に株式会社ロフトを設立し独立するまでは西武百貨店の一部でした。また無印良品やパルコだって、もともとはセゾングループ(西武百貨店を中核とする流通系最大の企業グループ)の一員で、このころ誕生したブランドです。

セゾングループの革新性

前述のとおり、1980年代の百貨店は、成熟社会における自らの新しい役割を模索し、新しい試みを次々と打ち出していました。中でも西武百貨店は、前述のセゾングループを築き上げ、コピーライター糸井重里による「不思議、大好き。」や「おいしい生活。」といった、今では当たり前の『イメージ戦略』の先駆けであり、「新しい何か」を欲していた当時の若者の憧れの対象となりました。

のちに詩人・作家としても著名となる堤清二が掲げた西武百貨店の理念は、過去の日本のデパートとは断絶した"新しい消費者""新しい大衆社会"の生活と文化のための、新時代のデパート創造に置かれた。とりわけ広告は、従来の"設けるための宣伝"でじゃなく、消費者が商品を手にするための"メッセージ"ないし"表現"と意味づけられた。"洗練されたイメージ"が、一貫して時代とともに提供され、それが西武百貨店、セゾングループの大きな特徴となった。これらの革新は、いずれも百貨店をはじめ当時の伝統的な問屋・小売店の固定観念および経営からみると、驚くほどに斬新であった。

伊藤修、田付茉莉子、由井常彦『セゾンの挫折と再生』(2010)

一例として、「良品計画」の誕生のお話をしましょう。当時の日本はいわゆる1億総中流と呼ばれる「豊かな社会」に突入しており、「安かろう悪かろう」では消費者の支持を得られなくなりつつありました。そんな中、「わけあって、安い。」というコピーで1980年に無印良品が誕生します。コンセプトはその名の通り、「ノーブランドだけど良いものを」。まあ、言ってしまえばバブル当時絶頂だった"ブランド志向"へのアンチテーゼです。現在では無印良品自体が海外でも絶大な支持を得る人気「ブランド」といえますが、でも現在でも製品の中にブランドロゴなどはありませんよね。

また、渋谷という街が現在のような若者の街になったのも、セゾングループの力なんです。坂道が多い渋谷は、かつては商業には向かない土地とされていました。しかし西武はそれを逆手にとって、"街自体を開発"してしまいます。1968年に西武百貨店渋谷店がオープンし、1973年にパルコがJR渋谷駅から離れたところに開店。そして西武劇場(現在はパルコ劇場)をオープンし、劇場の宣伝を通じてパルコへの人の流れを作り出します。ついでパルコパート2、パート3とつぎつぎ新設し、NHKホールに続く坂道を「公園通り」と命名して整備し、若者を引き寄せていきました。そしてそこに集まる若者を目当てに多くのファッショナブルな衣料品店や飲食店が周辺に出店し、80年代には渋谷という街はパルコ文化(=当時の若者文化)の発信地となります。

バブル崩壊以降の凋落

しかし、そんな百貨店の実験の数々が……若者に絶大な支持を得た80年代の西武でさえ、バブル崩壊によって多くのことが失われていきます。90年代以降の百貨店の迷走は、売上の確保・拡大のみにしか目線が向かず、どう利益を出すかということだけを考えてしまったためといえます。そのため実験的な試みもほとんど行われなくなってしまいました。またその遠因は、実は1950年代から始まっているといえます。時代の変化に適用するのは大事ですが、それ以上に、どんな時代であっても大事にすべき本質的なものを守り続けることが重要です。それが失われ始めたのが1950年代からでした。高度成長期にはそれが明るみになることはありませんでしたが、バブル崩壊を合図に一気に露呈してしまったのです。(ここらへんの話は次回の記事で)

まとめ

とはいいつつも、1980年代という、お金が有り余るころの日本の百貨店が行った新しい試みや実験というのは、2020年現在から考えてもとても斬新に感じるものも多く、その考え方やアイデアは、今のビジネスやマーケティングに参考にしたいものが多くあります(もちろん百貨店以外の企業もそうです)。

リスク管理を上手く行いながらも、1980年代の日本企業が打ち出していたような実験的な試みや・斬新性を保っていく。そんなことがこれからの時代に求められているように感じています。これからの時代に適用していくために、アメリカや中国をはじめとする海外の最新事例を勉強するのも良いですが、考え方や本質的なものは、1980年代の日本にも、そのヒントは多く眠っています。この記事ではそのほんの一部しか紹介できていないので、一度当時のことを勉強してみるのはいかがでしょうか。

※参考文献
永江朗「セゾン文化は何を夢見た」
伊藤修、田付茉莉子、由井常彦『セゾンの挫折と再生』
川島 蓉子氏『伊勢丹な人々』


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