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【映画評】『教皇選挙』という「バチカン・ノワール」について
※ネタバレ注意
今年のアカデミー作品賞にノミネートされた映画の一つにバチカンを描いたものがある。『教皇選挙』(Conclave、2024年)である。ロバート・ハリスの原作を監督のエドワード・ベルガーが映画化したこの作品では、レイフ・ファインズが主役を演じ、ゴールデン・グローブの脚本賞をはじめとする賞をいくつも取っている。批評家の評価も概ね高い。
物語は、教皇の死後、後継者を選ぶ「コンクラーベ」と呼ばれる選挙の内幕を描いたもので、保守的、急進的な候補者たちの駆け引きや裏工作が物語を二転三転させる。ファインズ演じる主席枢軸卿のローレンスが、そのポリティクスの板挟みになって苦悩に陥る政治ドラマだ。
この、新教皇の選出を描いたハリウッド映画は『教皇選挙』が初めてではない。モーリス・ウェストのベストセラーを土台にした『栄光の座』(The Shoes of the Fisherman、1968年)では、冷戦の最中にソ連の強制労働から解放されたキリル・ラコータが教皇の座に就き、『2人のローマ教皇』(The Two Popes、2019年)では、ベネディクトが退位し、ベルゴリオ枢機卿が新教皇に即位する様が描かれた。後者はアンソニー・マッカーテンの芝居の映画化だ。
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これら3作品は、「教皇継承もの」というような名のサブジャンルとして括ってもいいかもしれない。というのも、いずれも新教皇が選ばれるまでの過程を描いているからだ。そこでは、いずれも一般に非公開となっている人選の過程を紐解くミステリーの要素があり、ナラティブの因果関係が確立された極めてハリウッド的な展開にもなっている。
また、教皇、もしくはそれになりそうな人物の「人間性」に焦点が当てられているのも特徴的だ。したがって、主人公にはアンソニー・クイン、アンソニー・ホプキンズ、ジョナサン・プライス、ファインズなど、過去に映画賞を獲得してきた名優を起用し、その演技力に依存している。『教皇選挙』では、あえて編集を減らし、役者の表現力に頼ったというが、その結果ファインズだけでなく、新たに枢機卿の任についたベニテズ役のカルロス・ディエズ、シスターを演じるイザベラ・ロッセリーニの繊細な感情表現を見事に捉えている。[1]その演技の深みは、この映画を繰り返し見るとさらにはっきりと見えてくるはずだ。
さらに、「教皇継承もの」にはバチカンの国際性が示されている。『栄光の座』では、文化大革命で揺れる中国を背景に、教皇となったラコータが、第三次世界大戦を防ぐべく貧困の解消と世界平和を希求するスピーチを放つ。『2人のローマ教皇』では、新たに教皇となったベルゴリオ(プライス)が、若い時にアルゼンチンの軍事政権の卑劣な行為に対して抵抗しなかったことを悔いている。それに対して『教皇選挙』は、あくまでバチカン内の閉塞的な空間で展開するが、その場自体が、世界中からスーツケースを引いてやってきた枢機卿たちが形成する国際的な空間だ。スピーチや会話でも、ラテン語、英語、イタリア語、スペイン語が当たり前のように飛び交う。
ただ、『教皇選挙』には、前述の2作品とは異質の、暗い影がつきまとっている。これは「バチカン・ノワール」と呼んでもいいような作風だからだ。『マルタの鷹』(The Maltese Falcon、1941年)や『黒い罠』(Touch of Evil、1958年)など、いわゆる「フィルム・ノワール」を論じる者は、それが陰鬱で悲観的な「ムード」を一つの特徴とするとすることが多いが、『教皇選挙』でも、外の世界の明るさと対比するように、バチカン内では光が遮断され、色彩のトーンも極めて暗い。それは『2人のローマ教皇』のコンクラーベのシーンと比べても一目瞭然だ。
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また、『教皇選挙』では、銀行強盗も殺人もないが、物理的社会には表出しない人間の「闇」をプロットに組み込んでいるといえる。そのため、ナイジェリア人の枢機卿は、30歳の時に教義を破って女性と関係を持って子供を孕らせ、カナダ人の枢機卿はナイジェリアの枢機卿を貶める陰謀を働いただけでなく、金にものを言わせて票を獲得しようとする。最終的に教皇に選ばれたアフガニスタンの枢機卿は、従来の慣習からは許容し難い身体を持っており、主席枢機卿は新教皇が決まったことに一旦安堵の胸をなでおろすも、どこか吹っ切れない表情を見せる。
近年のハリウッドは、カトリック教といえば『エクソシスト』(The Exorcist、1973年)シリーズに代表されるオカルトもの、もしくは『スポットライト』(Spotlight、2015年)や『Small Things Like These』(2024年)など、子供の虐待を暴くような映画を作っているような印象を受けるが、教皇の選出というのも興味深いテーマである。そしてそれを「ノワール・タッチ」で描いた『教皇選挙』は、なかなかの良作だ。同じくオスカーにノミネートされた『エミリア・ペレス』(Emilia Pérez、2024年)や『サブスタンス』(The Substance、2024年)のような視覚的なサプライズはないが、そのドラマ展開は驚きの連続で、見るものを飽きさせない作りになっている。
[1] https://www.thewrap.com/conclave-editor-explains-films-surprise-ending/