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心が空っぽになる

中学生の夏。
学校帰りに友達の家に寄る。
放課後の楽しみが友達の家に詰まっている。

その友達の家には天井まで届くほど背の高い本棚が置かれていた。
中には、溢れんばかりの漫画の数々。
よく学校で耳にするような少年漫画や少女漫画———ではなく、そこに並んでいるタイトルのほとんどが青年漫画だった。
その本棚に手を伸ばすだけでも、なんだかちょっと悪いことをしているような気分になる。

『東京喰種』や『HELLSING』、『おやすみぷんぷん』、『嘘喰い』、『アイアムアヒーロー』、『寄生獣』、『ぼくらの』………。

挙げ出したらキリがないほど、後にお気に入りとなる作品との出会いがその本棚に詰まっている。
第1巻の表紙を開いたら最後、作品の世界に没頭して抜け出せず、ページをめくる手が止まらなかった。
次が読みたくて仕方がない、「あと1巻だけ、あと1巻だけ…」を何度も何度も。
それが、わたしが大好きな作品に出会ったときのお決まりだった。



ただ、その本棚の中で一つだけ、ほかの作品とは違う、強烈な出会いをした漫画がある。


4巻分だけ並んだタイトル。
第1巻を手に取って表紙を見る。
真っ黒な背景と、白いワイシャツを着た青年の横顔。
その青年の表情からは何も読み取れない。
何を見ているのか、何を考えているのか、わからない。

帯にはこう書かれていた。
「笑いの時代は終わりました…。これより、不道徳の時間を始めます。」

『ヒミズ』。古谷実。

いままで触れたことのない世界観だった。
作品の世界観に「入った」というより、「落ちた」という感覚。

一度見たら頭から離れないキャラクターたち。
主人公の、妙にリアルだけどどこか現実離れしている日常。
心臓が跳ね上げるような顔芸がページいっぱいに描かれているかと思えば、重たい沈黙が続く。

終始胸のざわつきを感じながら、不安とともにページをめくる。
先を読むのが怖い、でも止まらない。
結局、一気に全巻読んでしまった。


漫画を閉じた瞬間、「無」。

心が、空になった。

それがものすごく怖かった。


「普通」を望む青年の、「普通」から遠ざかっていく物語。
普通であることってこんなにも難しいことだったっけ。
普通ってこんなにも簡単に崩れるものなんだっけ。
主人公にはもっと他の道があったのではないか、と思いたい。
でも、どうすればよかったのかわからない。
「人生生きていればいいことあるよ」なんてよく聞くフレーズ、
この青年を前にして言えたものではない。


友達の家を出ると、外は真っ暗だった。
いつもの田んぼ道をただただ歩く。
見慣れた住宅街をただただ歩く。

それだけなのに、ものすごく怖かった。


こうしてわたしは、「心が空っぽになる」という言葉の答えを見つけた。

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