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竹本研史著『サルトル 「特異的普遍」の哲学』、「序章」冒頭を公開します!

 本年2月、小局では竹本研史著『サルトル 「特異的普遍」の哲学──個人の実践と全体化の論理』を刊行しました。A5判で500頁近い大著であり、著者の博士論文を大幅に改稿・増補して成った待望の書です。

 竹本先生は法政大学人間環境学部で教えておられ、サルトル研究のフィールドではよく知られた中堅世代の研究者。社会哲学・思想史、フランス語圏文学、フランス語圏地域文化研究が専門で、いつも忙しくあちこちを飛び回っておられます。

 本書はサルトル研究のなかでも、いま最も取り扱いの難しいと思われる政治の問題に真っ正面から、果敢に取り組んだ論考。本書で主に議論の対象となるサルトルの『弁証法的理性批判』(1960年)は、すでに邦訳が手に入りにくい状況もあり、そして冷戦まっただなかの当時の時代的文脈から私たちが遠くにいることもあり、さらには構造主義以降の思想史やネオリベラリズムのなかでマルクス主義が覇権を失った流れもあり、いま新たにポジティブに読み込むためには最初から大きな壁が立ちはだかっている著作です。

 ですが本書は、そうした状況を超えても生き延びるはずのサルトルの思考を、その鍵となる「特異的普遍」の概念に着目して、掘り下げていきます。この概念とサルトルの集団論、そして「知識人」の存在意義などを、この時期のスターリン主義との対峙のプロセスも含めて捉え直す作業はいまなおアクチュアルであり、未清算の重要な作業です。現在、かつての共産圏の国家が再び全体主義化・権威主義化を強めるなかで、大いに示唆を与えてくれるものでもあるでしょう。人間が社会的・歴史的存在であるかぎり、弁証法的な思考の必要性が失われることなど決してなく、それを避けて通ることもできないからです。

サルトルの後期主要概念である「特異的普遍」。時代の刻印を明確にとどめたこの概念に宿る哲学的潜在力とはどのようなものか。冷戦下、マルクス主義との伴走過程で生まれ、集団や権力、社会運動への原理的考察を展開した大著『弁証法的理性批判』を中心に分析し、対他関係の探究から、スターリン主義批判や加藤周一の知識人論までを視野に、特異性と普遍性をめぐるダイナミズムを多面的に捉えた労作。
https://www.h-up.com/books/isbn978-4-588-15134-7.html

序 章

1 問題設定


 20世紀フランスの哲学者、作家であったジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre, 1905–1980)は単に、20世紀のほとんどを生きた作家、哲学者であったというだけではなく、知識人として戦後の世界に非常に大きな影響を与えたことで有名である。その証左として、しばしば引き合いに出されるのが、葬儀の際に5万人もの人びとが列をなしたという事実である(1)。

 そのサルトルは1960年に、後期の主著となった『弁証法的理性批判』の第1巻(以下、『批判1』と略記)を著した。同書は、「個別性(particularité)」と「特異性(singularité)」が「普遍性(universalité)」に対立し、「部分」が「全体」に統合されつつも、それに対置する形で「全体」のなかで存立する姿を、「弁証法的理性(Raison dialectique)」の方法論として冒頭で描いている。この構図はそのまま個人と集団との対立にスライドして、個人の「実践」が集団を発生させ、やがてその個人の「実践」によって集団が崩壊する過程が記述される。この過程こそが、〈歴史〉の発展という『批判1』の物語をなす(2)。

 さて、本書の第4章以降で見ていくように、その序説にあたる『方法の問題』も含めて、『批判1』はマルクス主義に「転向」したサルトル思想を証言するものと捉えられたうえでこれまで批判されてきた。たとえば、ごく最近(2022年)であれば、熊野純彦がその著書の最後で、具体的な分析も根拠も示すことなく、次のように切り捨てている。

 マルクス主義へのサルトルのこの明示的な転回は、けれども哲学的には皮肉な結果だけを生むことになった。生前にはその第一巻のみが公刊された『弁証法的理性批判』は、サルトル本人としては、まさに現に存在するマルクス主義の落丁を実存主義の立場から補うものと考えていたにしても、現在の眼から見てこの浩瀚な著作が巨大な失敗作であったことはほとんど覆いがたい。それがすくなくとも哲学的にはまったく魅力を持たない一書であることは、サルトル主義者以外のあらゆる哲学研究者が、一致してみとめるところであるはずである(3)。

 ベルナール=アンリ・レヴィの『サルトルの世紀』も、この流れにあると言えるかもしれない。彼は、『批判1』がマルクス主義への移行を画す暗く陰鬱な書であり、熱狂が空回りし筆の運びが憔悴しきっていると批判した(4)。

 だがレヴィの主張に対しては、サルトル研究者からもマルクス主義者からもただちに反論が寄せられた。ジュリエット・シモンは、「『批判』書は、〈歴史〉、社会、そしてそれらの希望と袋小路に関する大変息の長い現象学となっている」と『批判』のくみ尽くせぬ可能性を強調した(5)。ニコラ・テルテュリアンは、思想史的意義を主張しつつ、「『弁証法的理性批判』は、極左の理論的保証人、議会外闘争の支持者のように感じられたのかもしれない」と反駁した(6)。

 じっさいに、シモンやテルテュリアンによる擁護は正しく、『批判1』はマルクスを教条主義的マルクス主義から救うものたりうるという仮説が容易に成り立つ(7)。この仮説については、『批判1』が出版されると、いち早く共産党の論客ロジェ・ガロディが批判的な論考を寄せたことによって逆説的に例証できるのではなかろうか。『存在と無』の頃よりサルトルに対して批判的であり、しかも『批判1』の冒頭で示される批判が自分たちに向けられていると勘づいた彼は、『批判1』をマルクス主義の立場に立つものというよりはむしろ、ヘーゲル主義に立つものと見なした上で、〈歴史〉を看過する「形而上学的」思想だと非難したのである(8)。

 だがサルトルは、「全体」を「普遍性」と結びつけて、「特異性」と「普遍性」の問題へ昇華させはするが、レヴィの主張するような「サルトル=全体主義者=スターリニスト」に当てはまるようなことはない。すでにシモンや松葉祥一が反論している通り(9)、サルトルは「全体(tout)」と「全体性(totalité)」とを区別している。『批判1』の記述で見られるように、彼にとってはむしろ、「全体性」のほうが全体主義と親和性をもつ。そして「全体」とは、「全体性」のように静的で完結し、「惰性化」、つまり凝固化したものではなく(10)、つねに進行中であるような「実践」の運動のことであり、「全体化作用が全体化された多様性のなかで多様化し受肉する限りでの全体化作用の統一性」のことを意味する(11)。

 サルトルがこのように「全体」を「実践」の進行中の運動だと主張するのは、彼があくまで、つねに「全体」を個人の「実践」によって練り直す余地のあるものだと捉えているからである。そして、この「実践」の予知の存在を「全体」のなかにサルトルが認めるのは、世界が閉塞し個人が世界や「全体性」によって束縛されるわけではないと信じていたからであろう。つまり、サルトルという哲学者は、徹頭徹尾、自由という問題にこだわり続けた人だったのであり、その自由を追求するために、サルトル思想は個人の「実践」に重きを置き続けた。ジョルジュ・ギュルヴィッチは『批判1』に関して、サルトルによる、⑴実践・自由・個人の実存の弁証法への信頼、⑵個人の「実践」に自己同一化すると同時に、普遍的理性を実現する歴史の弁証法的運動にも自己同一化する「弁証法的理性」への信頼、⑶あらゆる障害に対する普遍的理性の勝利のための弁証法への信頼をあげた上で、「デカルトとヘーゲルとの和解の書」と評した(12)。本書もそのギュルヴィッチの視点を共有している。

 一方、『批判1』は、集団論の観点からこれまで読まれることが多かった。『批判1』は、冒頭で述べたように、集団の発生から、「惰性化」、崩壊へと至る過程を描いたものである。さらに、『批判1』の研究については、『批判1』で展開される集団の変遷を描くものと、集団を形成する契機となる「稀少性」の問題を討究するもの、という二つのトピックに焦点が当てられてきた。

 前者についてフランスでは、アディ・リズクが『批判1』に関して、個人と集団の観点から二冊の総体的な研究書を著しており、近著では『批判2』も扱うことによって、『批判1』自体を立体化させようという試みを行っている(13)。また、北見秀司『サルトルとマルクス』は、『批判1』をおもに分析対象として「疎外=物象化」論を展開する一方で、「溶融集団」という集団形成の初期段階を理想形として可能性を見出し、そこから、「複数の自律」という、現代社会における他者との共生のあり方を導き出している(14)。

 後者の「稀少性」の問題については、ホッブズ以来の「稀少性」に関する議論の系譜のなかに、サルトルの思想を位置づける研究がいくつか存在する一方(15)、経済人類学の立場からサルトルの「稀少性」理解を実証的に批判した研究もある(16)。
他方、竹内芳郎は『批判1』の中心テーマが、「〈全体的な〉人間学のための土台を築くことであった」と述べて、次のように意義づけている。

 『弁証法的理性批判』の中心テーマは、サルトルによれば、〈全体的な〉人間学のための土台を築くことであった。彼によれば、一つの全体的な人間が可能となるためには、まずなによりも、人間についての一つの真理が存在するのでなければならない。すなわち、それはけっして単に経験的な諸真理の雑然たる寄せ集めによって合成されるものではなく、かえって、いくつかの諸真理を一つの〈全体性〉にまで統合する〈全体化的〉な真理でなければならない。そして、全体化的な真理を可能にするもの、これこそ定義そのものにより、まさしく〈弁証法的理性〉そのものだ、というわけである(17)。

 実際に、『批判1』執筆前後のころは、人類学者クロード・レヴィ=ストロースをはじめとする構造主義、ならびにそれに続くフーコーらポスト構造主義がサルトルの念頭にあったはずだ(18)。それらに対抗するかたちで、彼は「人間学 (anthropologie)」を構築しようとしていた。『批判1』はそうした文脈のなかに位置づけられるべきものでもあるだろう。
たとえばサルトルは、1966年にソルボンヌの哲学科の学生たちが発行する雑誌『カイエ・ド・フィロゾフィー』のインタビュー「人間学 L’Anthropologie」の冒頭で次のようなやりとりを残している。

 『カイエ・ド・フィロゾフィー』誌──哲学ではない真の人間学(d’anthropologie véritable)というものはありえないということを認めるとして、人間学は哲学の場全体を汲み尽くすでしょうか。

 ジャン=ポール・サルトル──私は哲学的場というものは人間だと考えています。すなわち、他のどんな問題も人間との関係によってしか着想されえないということです。形而上学が問題になろうが現象学が問題になろうが、いかなる場合であっても、人間との関係によってしか、世界のなかの人間との関係によってしか、問いは立てられえないのです。哲学的に言って世界に関係する一切のことは、人間が存在する世界、必然的に、世界のなかに存在する人間との関係において人間が存在する世界なのです。
 哲学的場は人間に限られています。そのことが意味するのは、人間学それ自体で哲学たりうるのかということです。人間科学(sciences humaines)が到達しようとするアントロポスは、哲学が到達しようとするアントロポスと同じものなのか。[…]私が示そうとしているのは、それがとくに、計算された現実に変化を引き起こす諸々の方法であること、あるいはこう言ったほうがよければ、人間学の人間は対象であり、哲学の人間は《主体としての対象(objet-sujet)》であるということです。人間学は人間を対象とみなしている、すなわち、主体、つまり民族学者、歴史家、分析家である人間が、人間を研究対象とみなすのです。人間は人間にとって対象ですし、そうでないことはありえません。そうでしかないのでしょうか。問題は、私たちが人間の現実を客観性のなかで汲み尽くしているかどうかを知ることなのです(19)。

 ここでは明らかに、『カイエ・ド・フィロゾフィー』誌が、人類学、構造主義、とくにレヴィ=ストロースのそれがすでに当時興隆していることを念頭においてサルトルに問いかけていると言える。サルトルも、人類学、分析家を例に挙げながら構造主義に対抗したかたちで、彼ら、彼女らとは異なる「人間」像を提示しようと試みていたことが理解できる。そしてこのことは、第4章で見るように、ロジェ・ガロディら教条主義的マルクス主義に対抗して、〈歴史〉との関わりにおいて個人の「実践」に余地を残そうとして、「真の社会主義」を打ち立てようとしていた動きと同時並行的に行われていた。北見秀司は、革命が革命であり続けるために、右記でも触れた「万人の複数の自律」の倫理が導入されなければならないとサルトルが主張していると述べる。そのうえで、このサルトルの主張には、マルクス主義の伝統が忘れていた「人間」という観念の「(再)導入」が含まれていると指摘し、次のように『批判1』における「人間」についての観念を説明している(20)。

 もちろん、ここで導入されるべき「人間」の観念とは、特殊具体的な状況から遊離した非歴史的な「人間の本質」「本性」ではなく、歴史の特殊具体的な状況に位置づけられた実存としての「人間」、生命がそうであるところの「自由」「自律」「自己決定能力」としての「人間」である。もはやプロレタリア(その本質規定は党が決めることができる)でなく実存としての「人間」こそが、革命が権威になることを妨げる永遠の変革主体として考えられ、提案されている(21)。

 右記のような当時のマルクス主義との関係を文脈として考えると、サルトルが討究していた「人間学」とは次のようなものになるであろう。まず「哲学的場」というものが、あくまで人間との関係、世界のなかの人間との関係を前提としたものでなければ成立しえないことである。さらには、人間の対象化は必要であるし免れえないと理解しつつも、構造主義とは異なり、「計算された現実に変化を引き起こす」ことによって、人間は単なる客体的存在とみなすだけでは汲み尽くせないところがあるのではないかというものである(22)。その汲み尽くせない部分を「主体」と呼べるのか、あるいは「主体」とサルトルが呼ぼうとしたのか。少なくとも言えるのは、サルトルは一貫していて個人の「実践」に重きを置いていたということである。

 サルトルには、こうした討究の役割を実存主義が担おうとしている、あるいは実際に担っているという自負があった。『方法の問題』の結論部分に次のような一節がある。

 人間がそうであるこの特権的な(私たちにとって特権的な)実存者を存在論的分域において研究することを控えることで、実存主義は、諸学問領域の総体との根本的な関係の問いを提起し、それを人間学の名のもとで(sous le nom d’anthropologie)まとめたのは自明のことである。そして──実存主義の適用の場は理論的にはもっと広いにもかかわらず──人間学が自らに一つの基礎を与えようとする限りにおいて、実存主義は人間学そのものである(23)。

 「実存主義は人間学そのものである」──こうしたサルトルの高らかな野心的宣言は、「実践」を実存主義の核に据えるものであったが、上記のような構造主義の旗手であり、サルトルのライバルの一人であったレヴィ=ストロースは、「慣習行動(pratique)」と「実践」との差異を説明しようとする際、「「実践」とは──少なくともこの点では私とサルトル[…]の見解は一致するが──人間の科学にとって根本的な全体性なのである(24)」と語り、自身とサルトルとの一致した見解としてじつは認めていたのだった。もちろん、仮にレヴィ=ストロースにとって「実践」は「全体性」と親和性があったとしても、サルトルにとっては、上記で述べたように、「全体性」とは批判されるべき対象であり、むしろ「実践」は「全体」や「全体化」と結びつくと述べている点で、レヴィ=ストロースのサルトルに関する認識は誤りである。

 レヴィ=ストロースはここで、「時間的・空間的に局部化され、かつ生活様式や文明の形態について弁別的である離散的事実」というかたちで、概念の図式が「慣習行動」を指示し規定していると述べてはいるが、マルクス主義に対して、「マルクス主義は──マルクス自身はそうでなかったとしても──、あたかも慣習行動が直接的に実践から生じてくると推論することがあまりに多過ぎた」と批判する。レヴィ=ストロース自身は「実践」と「慣習行動」との関係について、「異論の余地のない下部構造の優位を問題にするわけではないが、私たちは、実践と慣習行動のあいだにはつねに媒介項が入り込むと信じており、その媒介項が概念の図式なのだ[…]」と自らのスタンスを述べている(25)。

 こうした彼のスタンスは、サルトルとも異なっており、別の箇所でレヴィ=ストロースは、「自然学(physique)」を築こうとして〈人間〉を〈社会〉から切り離したデカルトに対置するかたちで、サルトルが「人間学」を築こうとして自らの社会を他の社会から切り離すのだと語る。その際に、レヴィ=ストロースによれば、サルトルが「社会的現実の形式的条件(les conditions formelles de la réalité sociale)」を明らかにしようとするにあたって顕著なのは、材料にされる「情況」が、ストライキやボクシングの戦い、サッカーの試合、バス待ちの列など、ことごとく「社会生活の二次的偶発事象(des incidences secondaires de la vie en société)」であって、社会生活の基盤を明らかにするのには役立たないと指摘するのである(26)。たしかに、サルトルにおける「社会生活の二次的偶発事象」の特権的取り上げに関するレヴィ=ストロースの指摘は、傾聴に値すると言える。

 また竹内芳郎は、サルトルが初志としては、「構造的・歴史的人間学を基礎づけること」を目指しながら、〈「構造的〉の方」を完成させただけで、より重要でより現実的な課題であるはずの「〈歴史的〉の方」はまったく手つかずのままに放棄しまったのではないかと疑問視する(27)。そのうえで、『批判1』の欠陥として、サルトルが史的唯物論の内容そのものを無批判に前提としていたために、近代主義的偏見をも共有してしまい、その結果、〈歴史なき社会〉を「歴史」のなかに全体化して可知化する理論的装置を欠如してしまったと次のように批判する。

 史的唯物論を近代主義的偏見または独断から解放しようとするとき、わたしたちは否応なく、〈未開社会〉または〈原始共同体〉にたいする態度を根本的に変革するべく迫られることであろう。サルトルの『弁証法的理性批判』の仕事は、史的唯物論の内容そのものを無批判的に前提としていたために、それとともにそれが身にまとっていた近代主義的偏見をも共有することとなった結果、いわゆる〈歴史なき社会〉を歴史のなかに全体化して可知的とする理論的装置を、まったく欠如することとなってしまった[…](28)。

 だが、こうしたレヴィ=ストロースの指摘や、後年になり「普遍性」をますます志向していくことになる竹内の批判は、図らずも、サルトルが『批判1』において、「普遍性」を志向するというよりむしろ、サルトルが一回限りの具体的・歴史的事象を取り上げることを通じて「特異性」にあくまで拘った証拠というふうに逆説的に理解できないだろうか。

 本書は、以上を踏まえて、サルトルの後期主著である『弁証法的理性批判』の第1巻を中心に、サルトル哲学における《個人の実践と全体化の論理》を、1.個人の実践と対他関係、2.個人の実践と集団統合、そして3.サルトルが1960年代に打ち出した概念「特異的普遍(universel singulier)」(ひとりの個人が自らの生きる時代のコンテクストのなかで普遍化される一方で、その時代もその個人の「実践」によって特異化されるというもの。ほかに日本語では「単独的普遍」、「独自的普遍」などと翻訳されている)という三つの位相から考察し、併せてそれぞれの段階で「特異性」がどのようにサルトルのなかで捉えられているかについて明らかにするものである(29)。また、サルトルの「特異的普遍」と知識人論を論じたのちに、最後に補完的役割として加藤周一のサルトル論を分析することで、サルトルの知識人論と「特異的普遍」がどのように同時代の日本で受容されたのかを検討している。

 まず、諸個人によって行われる、「集団」の形成のような共同的実践を考察するために、その前段階として、集団化の基礎とも呼ぶべき対他関係のあり方について討究しなければならない。なぜならば本書は、サルトルの後期主著『批判1』を中心に、サルトルの哲学・思想テクストを分析する一方、サルトルの思想を、初期のものから一貫した社会哲学の体系として捉えるために、『存在と無』や『倫理学ノート』などの初期、中期の哲学的著作の分析、および彼の文学論や文学作品への参照が自ずと求められるからである。
本書はまた、上記のような情況のもとで、これまで二つに大別されていた上記の集団論を接合し、戦後サルトル思想という大きな枠組みのなかで総体的に集団論を捉えた結果、次の二つの問題の理路を把握する必要性を着想するに至った。つまり、どのように彼の集団論が変遷していったのかということと、サルトル思想の各段階においてどのように諸個人の特異な「実践」が集団形成の際に関係しているのかということである。

 私たちはここで、三つの側面を見出せるだろう。一つは、対他関係の倫理学の挫折から、個人と集団、個人と社会、個人と歴史という、社会思想、政治思想へとサルトルの思想が展開していくことになった、という側面。もう一つは、1950年代のサルトルが、共産党との関係を清算し、「真の社会主義」として、実存主義とマルクス主義を折衷するかたちで新たな哲学を構築することを迫られ、その果実が『批判1』だったのだという側面。最後にこれらの具体的な帰結として打ち出されたのが1960年代の知識人論であるという側面である。

 以上をもって、本書は、ジャン=ポール・サルトルの思想において、個人の実践と対他関係、個人の実践と集団統合、「特異的普遍」という三つの位相で、《個人の実践と全体化》がどのようになされているか、またその際に諸個人の「特異性」はどのように捉えられているか、その理路を分析することで、サルトルの社会哲学に関して総合的な研究を行うことを目的とするものである。

(第2節と文献情報は省略しています)

(1) サルトルの伝記的事実については、Annie Cohen-Solal, Sartre: 1905–1980, Paris, Gallimard, «folio», 2005 (アニー・コーエン=ソラル『サルトル伝』石崎晴己訳、全2巻、藤原書店、2015年); Jean-Paul Sartre, Paris, Presses universitaires de France, «Que sais-je?», 2005 (アニー・コーエン=ソラル『サルトル』石崎晴己訳、文庫クセジュ、2006年)を、また彼本人の自伝については、Jean-Paul Sartre, Les Mots, in:Les Mots et autres écrits autobiographiques, Édition publiée sous la directions de Jean-François Louette, Avec la collaboration de Gilles Philippe et de Juliette Simont, «Bibliothèque de la Pléiade», Paris, Gallimard, 2010 (ジャン=ポール・サルトル『言葉』澤田直訳、人文書院、2006年)を参照のこと。

(2) 『弁証法的理性批判』の「理性批判」の部分は、サルトル自身が述べているように、カントの『純粋理性批判』などが意識されているのは間違いない(Jean-Paul Sartre, Critique de la raison dialectique: Précédé de Question de méthode [1960], Tome I, Paris, Gallimard, 1985, p. 160, n. 1 (『サルトル全集26:弁証法的理性批判──第一巻 実践的総体の理論 Ⅰ』竹内芳郎・矢内原伊作訳、人文書院、1962年、43─44頁原註). 以下、CRD I (『批判 Ⅰ』)と略記)。カントは第一版の序文で次のように記している。「私が批判ということで意味しているのは、書物や体系の批判のことではなく、理性がすべての経験に依存せずに、切望したがるすべての認識に関しての、理性能力一般の批判のことであり、したがって、形而上学一般の可能性ないしは不可能性の決定、またこの形而上学の源泉ならびに範囲と限界との規定」とする(Immanuel Kant, Kritik der reinen Vernunft [1781, 1787], Nach der ersten und zweiten Originalausgabe herausgegeben von Jens Timmermann, Mit einer Bibliographie von Heiner Klemme, Felix Meiner Verlag, Hamburg, »Philosophische Bibliothek Band 505«, 1998, A XII (イマヌエル・カント『純粋理性批判』原佑訳、上巻、平凡社ライブラリー、2016年、29頁). なお、原書頁数はPh版に基づくものとする)。
 また、廣松渉ほか編『岩波哲学・思想事典』の福谷茂の解説によれば、「批判」とは、「自己の能力を超えているために解決することができない形而上学的難問に自己の本性からまといつかれるという〈運命〉を背負った人間理性の〈自己認識〉の作業」(廣松渉ほか編『岩波哲学・思想事典』岩波書店、1998年、1322頁)だとされる。

(3) 熊野純彦『サルトル──全世界を獲得するために』講談社選書メチエ、2022年、221頁。

(4) Bernard-Henry Lévy, Le siècle de Sartre: Enquête philosophique [1999], Paris, Grasset, «Livre de poche», 2002, p. 650(ベルナール=アンリ・レヴィ『サルトルの世紀』石崎晴己監訳、澤田直ほか訳、藤原書店、2005年、708頁)。

(5) Juliette Simont, «“Siècle, voici mon siècle, solitaire...”:
Réflexions sur Le siècle de Sartre de Bernard-Henry Lévy», Les temps modernes, no. 608, mars–avril–mai 2000, p. 173.

(6) Nicolas Tertulian, «De l’intelligibilité de l’histoire», Eustache Kouvélakis et Vincent Charbonnier (dir.), Sartre, Lukács,
Althusser: Des marxistes en philosophie, Paris, Presses universitaires de France, 2005, p. 73.

(7) こうした観点は、すでに出版直後に竹内芳郎らによって提起されていた。竹内芳郎『サルトルとマルクス主義』 [1965]、鈴木道彦・海老坂武監修、池上聡一ほか編 『竹内芳郎著作集2:サルトルとマルクス主義/イデオロギーの復興/マルクス主義の運命』閏月社、2023年。

(8) Roger Garaudy, Questions à Jean-Paul Sartre, Paris, Collection Clarté, 1960.

(9) J. Simont, «“Siècle, voici mon siècle, solitaire...”», art. cit., p. 179 et sqq. 松葉祥一『哲学的なものと政治的なもの──開かれた現象学のために』青土社、2010年。

(10) 一方、クリスティン・ロスは、ルカーチとサルトルの「全体性」という概念について次のように説明しつつ、ヌーヴォー・フィロゾーフたちを批判する。つまり、ルカーチにとっては「全体性」が、「商品経済」(あらゆる個人や集団がまったく同じようには同時には経験することはないが、単に相対化もできないもの)によって与えられる現代的現実の枠組みがあるという事実を単に意味するものである。一方、サルトルにとっては「全体性」が、「「知覚と道具、生の物質が結びつけられ、投企という統一的なパースペクティヴを通して相互関係を持つ」ありよう」であるという「豊かな哲学的過去」をもつ。それにもかかわらず、ベルナール=アンリ・レヴィを含むヌーヴォー・フィロゾーフたちが、「全体主義」と「全体性」を意図的に混同してマルクス主義を批判して、「半ばヒステリック」に、「「全体化する」、あるいはシステム的な分析」のみならず、「漠然とでもユートピア的な傾向を持った思想は何であれ」、「先天的に「強制収容所」の種を宿している」と主張しているとロスは批判するのである。Kristin Ross, May ’68 and Its Afterlives, Chicago, The University of Chicago Press, 2002, p. 170 (クリスティン・ロス『六八年五月とその後──反乱の記憶・表象・現在』箱田徹訳、航思社、2014年、330─331頁).

(11) CRD I, p. 161–165 (『批判 Ⅰ』、44─48頁).

(12) Georges Gurvitch, Dialectique et sociologie [1962], Paris, Flammarion, 1972, p. 206.

(13) Hadi Rizk, La constitution de l’être social, Paris, Éditions Kimé, 1996;Hadi Rizk, Individus et multiplicités, Paris, Éditions Kimé, 2014.

(14) 北見秀司『サルトルとマルクス』全2巻、春風社、2010・2011年。

(15) 澤田直「相互性と稀少性」、三浦信孝編『来るべき民主主義』藤原書店、2003年。

(16) 山内昶「稀少性・相互性・相剋性(一)(2)」『思想』1979年3月号、4月号。

(17) 竹内芳郎『実存的自由の冒険』[1963]、鈴木道彦・海老坂武監修、池上聡一ほか編『竹内芳郎著作集1:サルトル哲学序説/実存的自由の冒険』閏月社、2021年、433頁。なお、「経験的な」には「な」だけに傍点が振られており、それは竹内芳郎『実存的自由の冒険──ニーチェからマルクスまで』現代思潮社、1963年、213頁でも同様である。しかし、筆者はこれが「経験的な」すべてに本来傍点が施されるはずだったのが、誤植で「な」だけに傍点が施されたものと理解している。

(18) anthropologie をめぐるサルトルとレヴィ=ストロースとの緊張関係は、この直後に本書で説明している通りだが、フーコーが1954─1955年度に高等師範学校で、独仏近代哲学者を分析しながら「人間学的問い(La Question anthropologique)」というテーマで講義を行っていたことは、思想史的には示唆的であろう。ただし、フーコーはこの講義でレヴィ=ストロースに言及することもなかったし、サルトルについてもデカルトとの関係で一回言及したにとどまっている。Michel Foucault, La Question anthropologique:Cours. 1954–1955, Éditions établie sous la responsabilité de François Ewald, par Arianna Sforzini, Paris, EHESS-Gallimard-Seuil, 2022.

(19) Jean-Paul Sartre, Situations, IX:mélanges [1972], Paris, Gallimard, 1987, p. 83–84 (『サルトル全集37:シチュアシオン Ⅸ』鈴木道彦ほか訳、人文書院、1974年、67頁).

(20) 北見秀司「サルトルとマルクス、あるいは、もうひとつの個人主義、もうひとつの自由のあり方──変革主体形成論の試み」、澤田直編『サルトル読本』法政大学出版局、2015年、122頁。

(21) 同書、122頁。

(22) サルトルとレヴィ=ストロースにおける「人間」および「歴史」に対するスタンスの相違は、澤田直がすでに論じている。澤田直『サルトルのプリズム──二十世紀フランス文学・思想論』法政大学出版局、2019年、第6章。

(23) Jean-Paul Sartre, Questions de méthode, in:Critique de la raison dialectique, précédé de Questions de méthode [1957], Texte établi et annoté par Arlette Elkaïme-Sartre, Tome I, Paris, Gallimard, 1985, p. 124–125 (『サルトル全集25:方法の問題──弁証法的理性批判序説』平井啓之訳、人文書院、1962年、178頁).

(24) Claude Lévi-Strauss, La Pensée sauvage [1962], Paris, Librairie Plon, «POCKET», 2004, p. 160 (クロード・レヴィ=ストロース『野生の思考』 大橋保夫訳、みすず書房、1976年、154頁).

(25) Ibid., p. 159–160 (同書、154頁).

(26) Ibid., p. 297–298 (同書、300頁). なお、レヴィ=ストロースが批判する、サルトルにおける「社会生活の二次的偶発事象」は、本書第6章以降で取り扱うことにする。

(27) 竹内芳郎『国家と文明──歴史の全体化理論序説』岩波書店、1975年、x頁。

(28) 同書、xiii頁。

(29) 森功次が、サルトルが「独自性[=特異性]」に特別な意味を込めて重視する理由について、まず「普遍的原理の構築を目指すカント的な倫理学を拒否したいという点」、つぎに『倫理学ノート』から見えてくる「ヘーゲル的な考え方を拒否したい、という点」を挙げているのは非常に示唆的な指摘である。森功次『前期サルトルの芸術哲学──想像力・独自性・道徳』、東京大学大学院人文社会系研究科博士学位申請論文、2015年、154頁以下。

(30) Simone de Beauvoir, La cérémonie des adieux : suivi d’Entretiens avec Jean-Paul Sartre août-septembre 1974 [1981], in: Mémoires II, Édition publiée sous la direction de Jean-Louis Jeannelle et d’Éliane Lecarme-Tabone, Avec, pour ce volume, la collaboration d’Hélène Baty-Delalande, Jean-François Louette, Delphine Nicolas-Pierre, Élisabeth Russo et Valérie Stemmer, Chronologie par Sylvie Le Bon de Beauvoir, Paris, Gallimard, «Bibliothèque de la Pléiade», 2018, p. 1029 (シモーヌ・ド・ボーヴォワール『別れの儀式』朝吹三吉ほか訳、人文書院、1984年、11頁).

■目次

序 章

1 問題設定
2 本書の構成

第Ⅰ部 個人の実践と対他関係

第1章 「弁証法的理性」と「分析的理性」──サルトルにおける個人の実践と自由

1 「弁証法的理性」の方法
   (A)「分析的理性」としてのマルクス主義批判
   (B)「弁証法的理性」とヘーゲルの影
2 個人の実践と全体化
3 デカルト的自由、サルトル的自由
   (A)自由と必然性
   (B)デカルトと絶対的自律性

第2章 サディズムとマゾヒズム──サルトルにおける他者からのまなざしと他者への性的態度について

1 他者からの「まなざし」
2 「愛」をめぐる問題の所在
3 「愛」と「マゾヒズム」
4 「性的欲望」と「サディズム」

第3章 暴力と要求──サルトルのモラル論における祈りと呼びかけ

1 二重の祈り
   (A)「祈り」と「まなざし」
   (B)ボードレールにおける「二重の請願」
   (C)『悪魔と神』における「挫折」
2 無力な情況
3 相互の約束としての「呼びかけ」

第Ⅱ部 個人の実践と集団統合

第4章 サルトルと共産党──「唯物論と革命」から『方法の問題』へ

1 唯物論的神話と革命の哲学
2 共産主義に最接近するサルトル
3 ハンガリー動乱以後

第5章 稀少性と余計者──サルトルにおける「集列性」から「集団」への移行

1 「稀少性」とは何か
2 労働と階級
3 「余計者」から特異な個人へ

第6章 特異な諸個人の実践と集団形成の論理(Ⅰ)──「溶融集団」における「第三者」と「統治者」

1 「第三者」の存在
2 理念としての「溶融集団」
3 自由と複数性

第7章 特異な諸個人の実践と集団形成の論理(Ⅱ)──「存続集団」と「専任者」

1 「誓約集団」と「テロル」
2 「組織集団」と「職分」
3 「制度集団」と「専任者」

第Ⅲ部 「特異的普遍」

第8章 スターリンの「特異性」──『弁証法的理性批判』第2巻におけるソ連論について

1 一国社会主義か世界革命論か
2 「包摂的全体化」を行うスターリン
3 スターリンの「新‐反ユダヤ主義」

第9章 死せる知に抗して──サルトルにおける「特異的普遍」について

1 「特異的普遍」とは何か
2 「特異的普遍」と「具体的普遍」
3 「死せる知」に抗する「非‐真理」
4 「特異性」の普遍化
5 「普遍性」の特異化

第10章 「古典的知識人」から「新しい知識人」へ──サルトルの知識人論の変遷と「特異的普遍」

1 「実践知の技術者」から「知識人」へ
2 「偽知識人」批判と「恵まれない階級」擁護
3 「六八年五月」以降のサルトルの知識人論

第11章 「特異的普遍」としての知識人──加藤周一がサルトルから学んだこと

1 サルトルの「特異的普遍」と加藤周一
2 加藤周一によるサルトルの知識人論理解
3 「六八年五月」以降のサルトルと加藤周一

終 章

1 個人の実践と対他関係
2 個人の実践と集団化
3 「特異的普遍」
4 今後の課題と展望

あとがき
初出一覧
参考文献
事項索引
人名索引



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