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ある若者の死



「アーロンが死んだ」


知り合いからの速報に、凍りついた。

メールが来たのは、久しぶりのカナダ訪問のため、

自宅を出ようとしていた僅か4時間前のことだった。


アーロンは35歳。

私の師匠であるキースの息子だ。

10代の頃から知っていて、一緒にトーテムポールを彫ったり、

バーベキューをしたり、たくさんの思い出がある。


その後すぐ、

「実は刺し殺された」という追加情報が入ってきた。

私は混乱に陥った。


もはや私の第二の故郷である、ユーコン。

毎年のように訪れていたが、

コロナ禍により3年半の渡航自粛を余儀なくされた。

キースとは、久しぶりの再会に向けて話が弾み、

「一緒に湖にビーバーの罠を仕掛けよう」と言われていた。

到着便も連絡してあり、空港に迎えにきてくれる手はずになっている。

しかし、アーロンを失ったキースの今の悲しみは如何ばかりか。

最愛の息子が、自分よりも先に逝く。

しかもただ死んだのではなく、誰かに命を奪われたのだ。

小さい街の中に犯人がいる。

もしかしたらその人間は、

知り合いだったり親族だったりするかもしれない。

その心境は、私には想像することすらできない。


私とアウトドアで遊び回る状況でないことは、言うまでもない。

警察の捜査や葬儀の準備などでただでさえ大変な中、

外国人の私が家に滞在するとなると、

キースに更に気を遣わせることになる。

これまでの訪問時においても、初対面の人には

「こいつはミキオといって、日本から来た友人で、云々」

といつも丁寧に説明してくれていた。

そんな負担を、悲しみに暮れるキースにかけたくはない。

しかし時間は刻一刻と過ぎてゆく。

もしユーコンに行くのなら、

あと1時間以内に家を出なくてはならない。

私は心を決め、キースにメールを打った。


「キースのところに行っていいのか、

やめるべきなのか、考えています。

 これまで何年も、あらゆる喜びの時を、分かち合ってきました。

 そして、試練の時、悲しみの時も同じでありたいと思います。

 今、私はキースの側にいたいと心から願っています。

だから、日本を発つことにします。

 もし私に会う気にならなかったら、

 空港に迎えに来る必要はありません。

 一人で過ごすので、心配は全く不要です」


キースは即座に返事をくれた。


「来てくれ。

後のことは、それから考えよう」




乗り継ぎを含めると、成田からユーコンまでのフライトは

18時間近くにもなる。

その間ずっと私は、なぜこのタイミングで、

自分がキースのところに行くことになったのか、

その意味をひたすら考え続けた。

無論、結論など出る訳がない。

しかし、只々キースに会いたかった。

ほとんど寝ることもできないままに、

ユーコンの地方空港に降り立った。


ガラス越しにキースの姿が見えた。

一目で、憔悴していることが分かった。

思わず駆け足になる。

何も言わずに、抱き合った。

しばらく二人で泣いた。


「アーロンが、刺されて死んでしまったよ」

3年半ぶりに聞くキースの最初の言葉は、かすれていた。

遺体はこれから司法解剖のためにバンクーバーに送られ、

数日後に戻ってくるという。




数年前は、キースの彫刻を手伝っていたアーロン。

真面目に働き、デザインのセンスも素晴らしく、

キースは自分の後継者として大きな期待を寄せていた。

アーロンは父と共に巨大なトーテムポールを仕上げ、

自分一人でも、小型のポールを作り上げるまでに腕を上げた。

しかししばらくして工房に来なくなり、

コカインなどの薬物にはまっていってしまった。

キースは、息子をなんとか立ち直らせようと、

麻薬中毒の緩和セラピーへの参加や、

更生施設へ入所するよう説得を試みたが、

アーロンはどんどん暗黒社会の闇へと転落していったという。


キースは、息子がいつか大きなトラブルに巻き込まれるに違いないと

いつも気が気ではなかった。

2日前、警察から電話が来て、

アーロンの体の特徴やタトゥの場所や絵柄について聞かれた瞬間、

警官に説明される前に息子の死を悟ったそうだ。




地方都市でも、ドラッグの問題は深刻だ。

人口2万5千人のこの小さな町でも、

毎年のように殺人事件が起き、薬物がらみのものが多いという。

コカインとマリファナを同列に語ることができるのか、

私はあまり知識がないので分からないが、

カナダでは2018年にマリファナが合法化され、

以来、一気に専門店が増えたことは確かだ。

マリファナは吸うだけではなく、

クッキーやガム、チョコレートにも加工され、

それらの製造業は、今一番伸びている業種の一つだという。

明らかに様子がおかしく、

おぼつかない足取りで歩いている人たちも見かける。

この社会の行く末が、不安だ。




アーロンの殺害現場を訪れる。

そこにはたくさんの花束が供えられ、

追悼のメッセージや写真などが飾られていた。

中にはアーロンの12歳の息子が作った写真付きのリースもある。

通りがかりの人たちが、

キースにお悔やみの言葉をかけて抱き合う。

中には涙を流す人もいた。


早朝に、血を流してこの場所に横たわっているところを

発見された時にはまだ息があったそうだ。

その後、病院に搬送され、そこでアーロンの力は尽きた。


背が高く、幅も厚く、力強かったアーロンの体躯を思い出す。

喧嘩は負け知らずで、何人もでかかってこられても、

全員をのしてしまう、というのが自慢だった。


私はその話を聞くたびに、心配に思っていた。

確かに、アーロンは強い。

しかし、永遠に喧嘩に勝ち続ける人間などいない。

そして最悪の事態が起きてしまった。


冷たい、凍りついたアスファルトの上に手をつく。

ここにアーロンが血まみれで倒れていたのだ。

何度も刺され、意識を失っていく過程で

彼の心には何が去来していたのだろう。

成田空港で買った線香に火を灯し、冥福を祈った。





帰宅すると早々に、トイレに籠るキース。

嗚咽と嘔吐の音が聞こえてきた。

奥さんによると、毎晩のことだという。

キースが出てくるまで、私たちは抱き合い、涙しながら

その深い傷が少しでも癒えるように祈った。


近隣の住民や親族など、家には弔問客が続々と訪れる。

そして、ムースのシチュー、ミートローフ、パンなどが

大量に運び込まれてくる。

ここでは、誰かが亡くなると、皆でその家に食料を持ち寄る。

遺族は心労や葬式の準備で料理をする暇がない一方、

弔問客にも食べものを振る舞わなくてはならない。

それを地域ぐるみでサポートする体制が出来上がっている。

料理と共にお金を置いていく人も多い。

洗い物や掃除をしたりする人もいる。

こうしたことは、

行政が決めたルールで運営されているのではない。

それぞれが、その時の状況を見極め、自分ができることをやる。

コミュニティが有機的に機能している、

本来のあるべき姿を見た気がした。





3日後の朝。

容疑者が逮捕されたという連絡が入った。

キースの娘の夫の従兄弟だ。

年齢は18歳。

その日の午後に公判が開かれるという。

キースと共に法廷に向かった。


容疑者は留置所に拘留されており、

オンラインで大きな画面に映し出されていた。

部屋の中を忙しなく歩き回り、目つきも変だ。

Tシャツに描かれた文章の中には

「コカイン」というワードも見られる。

容疑者はあっさりと犯行を認めて有罪が確定し、

15分ほどで公判は終わった。

キースの顔は今までに見たこともないほどに険しく、

帰りの車の中でも終始無言だった。




翌日は、キースの娘の家に親族が集まり、

葬式の段取りを決める会議が行われた。

ここにも、一緒に来い、と参加させてもらった。


手始めに、火葬にするのか土葬にするのか。

これは、土葬と決まった。

続いて、式の時の役割分担。

料理長と補佐。

テーブルをセットする係。

アーロンに衣装を着せる係。

遺体を運ぶ運転手。

地面に墓穴を掘る男手4名。

時間をかけ、ひとつひとつの役職が決まってゆく。

業者任せにしない、手作りの葬式で、

ここではこれが普通なのだ。


この地域の先住民は、

大きくオオカミとワタリガラスの家系(クラン)に分かれる。

子供たちは母親の方のクランを継ぐ。

アーロンは、オオカミのクラン。

オオカミの誰かが亡くなった場合、

葬式の運営は全てワタリガラスの人たちが行う。

逆も然りで、それが昔からの決まりだそうだ。

近隣の市町村に広く散らばっている親族について、

誰が誰の子供だとか、誰と誰は親戚だとか、

誰がオオカミで誰がワタリガラスか、

全員がきちんと把握している。

血の繋がり、というものを

彼らが本当に大切にしていることを実感した。


新聞に出す告知の写真はどれを使うか。

参列者に配るパンフレットはどのようなものにするか。

棺桶はどんなタイプにするのか。


すすり泣きの声が聞こえる中、

誰かが冗談を言うと、

皆ドッと笑ってひとしきり盛り上がる。

悲しみの中に笑いを交えることは

ここでは失礼なことではなく、

むしろそれを誰もが待ち望んでいるようにも思えた。


最後に、一族で最も年寄りである

キースの大叔母が力強くゆっくりと話し始めた。


「この試練は、皆で力を合わせて乗り越える必要がある。

 他人を責めてはいけない。

 憎しみの連鎖は断ち切らなくてはならない。

 人間は誰しも完璧ではない。

 だから助け合い、支えあうのだ。

 誰が誰と繋がっているのか。

 自分がどんな血を継いでいるのか。

 子供たちに、一族のことや、

我々の文化や知恵について、伝えていかなくてはならない。

もう私たちの一族は、

そんなに多く残されているわけではないのだから」


皆、一言も口を挟まずに真剣に聞き入っていた。

大叔母の話しが終わると、

全員が順番に抱き合い、帰途についた。

悲しみが癒えたわけではない。

しかし、少しだけ皆の顔が明るくなっているのを感じた。




夜。

誰が言ったのだろう。

「焚き火でもするか」

というボソリとした呟きから

キースの家の裏庭で大きなかがり火が焚かれ、

鎮魂の宴が始まった。


アーロンにまつわる様々な思い出が語られる。

皆泣き、そして笑う。


キースの奥さんが、葬式の時には

お手伝いの人ではなく自分自身が、

アーロンの好物だった

ミートパイやラザニアなどを作り、

その皿を火にくべて煙を天に送って

アーロンに食べさせるつもりだ、と話してくれた。


キースは、仕事の心配をしていた。

後継者と目していたアーロンが亡くなり、

自分はどうしたらいいのだろうか。

キースの小指の付け根は、

皮膚が引きつれて硬直した腱が浮き立っている。

長年、彫刻刀を握りしめて酷使してきたため

指は曲がったままで真っ直ぐには伸びない。

肩から背中まで痛みが走り、

夜眠れないことも多いという。

「自分には若者の手伝いが必要だ」

そんなことを普通に話すようになったキースに

迫り来る老いの影を見た。




太いポプラが勢いよく燃える。

トウヒの葉がバチバチと音を立てる。

極寒の中、焚き火の周りだけが暖かく

皆でそこに身を寄せ合う。


人の一生など、

薪がパチリとはぜる、その一瞬にも満たない。


自分の存在など、立ち昇ると共に夜空に呑まれる

ひと粒の火の粉のように儚い。


しかし、小さなそれらが集まり

続いていくことによって、

寒さの中に熱が生まれ、闇は照らされているのだ。


光と闇。

寒と暖。

生と死。


それらが全て

淡く混ざり合って感じられる不思議な夜。

いつしか皆、口をつぐんでいた。


静もった目で炎を見つめる私たちを、

満月が優しく照らしていた。




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