寂しい時に会いたい人と、楽しい時に会いたい人は違う
こんにちは。はんぐりです。
突然ですが、以下2つのシチュエーションを想像した時に誰の顔が思い浮かびますか?
2月末、冷え込んだ夜道を1人で歩いている。周りは閑散として、ただ自分のため息だけが聞こえる。
『はぁ、〇〇に会いたい』
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もうすぐ春になる。今年は桜の開花が早いらしいから、緊急事態宣言が明けた頃にお花見ができたらいいなぁ。
『はぁ、〇〇に会いたい』
まさに私もそうなのですが、よくありがちなシチュエーションの時にふと浮かんで来た人は、意外と違う顔ぶれでした。
どちらが良い悪いではなく、ふと顔がよぎる時点でどちらも大切な人なのでしょう。友人・家族・恋人、どんな立場であれきっと頭の片隅に残っているのだから。
しかし、ふと疑問に思うことがあります。なぜ楽しい事を考えた時に出てきたAさんは、寂しい時に思い出すことが無いのでしょう?
〇〇の前では楽しい・弱い『自分』でいたい
その答えは未だ明確に見つかってはいませんが、要は様々なシチュエーションにおいて『どんな自分でいるのか』が違うからだと思います。
楽しいシチュエーションの時に浮かばない人=自分にとって面白くない人、そんな訳はありません。きっとその人の前だって、笑ったり穏やかな気持ちになることはあるはず。相手のせいではないのです。
結局自分の気持ちは"自分の意志"でしか動かないから、心のどこかで理想な自分を想像しているのかな…と思いました。
〇〇さんと会っている自分=笑顔でいたい
〇〇さんの前の自分=少し弱気でもいい
誰か人と会っているときの自分に対しても、きっとどこかで理想があるはず。でもそれはあくまで理想で、実際は楽しくなかった・弱い部分を出せなかった…なんてことも絶対あります。
それを他人のせいにせずに、『この人といることで、私はこんな自分になれるんだ!』とポジティブに考えたいなと思いました。自分の気持ちぐらい、自分で明るい方にコントロールしたいから。
今日も1人の時間は寂しいし、未来の楽しい事を考えないとやってられない。実際はあまり人には会えないから、ただの妄想なのかもしれない。
でも、もしもの話
今まで通りに人と会える世界が戻ってきたならば
寂しい時に誰かに会える距離があるのならば
大人数で思いっきり楽しめる時が来たならば
どんな自分でいたいのか、誰の前にいる自分が好きなのか。そんな事を考えながら人と繋がっていたい。こんなご時世だからこそ、強く思いました。
世界が元通り<より良くなる事を信じて、ゆっくり焦らず進んでいきましょう。
本日も読んでいただき、ありがとうございました☺︎