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【ありのままの自分】と言うけれど。朝の散歩で思ったこと。
今日も、インスピレーションの源泉は散歩から。朝、まっさらな頭でひたすら歩く。この中で、ふと思い立つアイデアは多かったりする。
今朝思ったことは、自分を信じる・認める、ということについて。
自分を信じること・自分を認めること
ありのままの自分を受け入れる。そんな言葉、一度は耳にしたことがある。
一種の諦めであり、自分への優しさであり、そして自己を認められなかった自分との決別。人によって、受容の意味は様々だと思う。
今回は、自己受容にフォーカスをしない。受容に至るのって、意外と難しいなあという話。
何故、難しいと感じるのか。それは、人はどうしても自分の思考の檻、肉体の枷から抜け出すことはできず、客観には主観が入り込んでいるから。自己を受容するということは、①自己を認識すること、②自己を受け入れること、というプロセスから成る(ように思う)。
この、①自己認識が案外難しいと思う。だって、嫌なことがあれば、“なんで自分はこうなんだろう”、“この程度のことで、嫌な気持ちになっている自分が嫌になる”、みたいな心境に直ぐ至る。一方で、嬉しいことがあれば、“人生最高だなぁ!”、“自分って意外とできるやつかも”みたいになる。
要するに、目の前の出来事に一喜一憂する自分がいる限り、自己認識は歪むってことが言いたい。良いことが有れば良い方にバイアスがかかって自分が見える。逆もまた然り。
ちなみに、昨日は自分にとって嬉しいことがあった。だから、今の自分は自己肯定感が高いし、自分を受け入れる体制はバッチリ整っている。
でも、これって本当の自己受容なのかな、と思ってしまったりする。
嬉しい自分を掘り下げる
昨日、自分には嬉しいことが起こったので掘り下げてみる。合格の類である。ここで、何が嬉しかったのか列挙してみる。
面接にて自分の言いたいことがしっかり伝わっていた、というプレゼンの成功が嬉しかった。この合格で、生活がちょっと潤うのが嬉しかったし、学業に専念できるのが嬉しかったし、安心した。割と狭き門を通過できて、すごいことできちゃった感と、相対的に俺はできるやつなんだと認められたという安心感。
なんか、文字に起こすとゲスいですね笑
でも、これが自分の心に向き合って出てきた答え。自分のやっていたことが認められた、俺は周りと比較してできるやつなんだ、という文章を拾うかぎり、私はやっぱり自信が無いんだなあと、再認識した。そして、すごい主観的に今回の合格を評価しちゃっていることに気づいた。
そこで、今日の朝思い立ったこと。つまり、もっと客観的に自分の出来たことと、これからできることを考えようよ、ということ。
今回の合格の要因を考えてみる。
・プレゼンのアイデアは、奇抜でいて、心から面白いと感じたアイデアであった。
・プレゼンの練習、特に最終面接には多くの人に練習に手伝ってもらった(実際、これが一番大きい気がしている。自分の思考の檻から抜け出すには、他の人にフィードバックをもらうしかない)
・運良く、面接日のトップバッターだった。
うん、これくらい。一言でまとめると、プレゼンの準備にしっかり時間をかけたし、フィードバックをくれる仲間がいて、ちょっと運が良かった。これが成功の要因である。これ以上でもこれ以下でもなかった。
日々の出来事は結果に過ぎなくて、多くの場合そこには原因がある。自分が優秀とか、劣っているとか、そういう人間のランク?のような話ではない。今回の場合、適切な行動を取ることができたから、受かったという話。人格が肯定されることはなければ、否定されることもない。
こう考えていると、自分を認める、肯定するみたいな話ではなくて、そこに残るのは自分への反省・評価であると思った。
全然お話がまとまらない。まーいいや。無理やりまとめてしまおう。
嬉しいことや悲しいことがあっても、長くそこに浸っていてもあまり意味はない。
その時、思いっきり喜び、悲しむ。そうしたら、出来事の原因を眺めてみる。
こんなことの積み重ねで、日々は豊かになるし、楽しくなる。とりとめのない文章。反省。