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AIには出せない「表現力」

私事ではありますが、今とあるカメラマンと作品を作っています。

彼は専門学校の学科違いの同期でして、卒業してからも写真一本で生き抜いてきた男。
人との繋がりを大切とし、心の在り方で和を紡ぐ。そんな人です。


まずはシナリオを作成し、そこからどう「形」にしていくか。
アニメーションなのか、映画なのか、はたまた写真なのか。


シナリオ段階では「文章」という舞台。
noteと同じですね。


伝えたいメッセージやコンセプトをまっすぐ伝えるか。
より伝わりやすい文章はないか。

いわゆる「表現力」ですよね。


例えば、
「恋人と別れた。」と書くのか、「部屋が広く感じる」と表現するのかでは心情のリアリティーが違いますよね。

無機質だとダメなんです。
文章だからこそ大切な「温度感」

かと言って主観になり過ぎると冗漫になってしまう。
非常に難しいものなんです。



デジタル化が進む昨今、AIで作成された記事もちらほら見受けられます。

技術の発展、目覚ましいものがありますよね。

確かにAIによる文章の作成は楽です。
数をこなすのならそれが手っ取り早いでしょう。


AIと人の差というのは何でしょう。
人で書けるものはAIでも書けるのでしょうか。
はたして「伝えられる」のでしょうか。


届けたい人に伝えたいものがある。
心が発端となり、文章は始まる気がします。

伝え方。
それは時折「気遣い」に近い配慮だったりもします。
分かりやすいようにするため、はたまた面白くするため。

もちろん、良しとする人も居れば、悪印象を受ける方もいるでしょう。
言葉や文章が、全ての人を救うとは限りません。


AIには無い、ある意味での「人間らしさ」。
クリエイターの一部ではこれを「毒」とも言います。

その人の考えや性格が、節々に現れてこそ文章であり「価値」だと思うのです。
人生で得た経験、思った事や感じた事、それらは唯一無二の宝物です。


個人的にはnoteの記事にも、それが少しでも匂っていれば「面白い」となる訳です。
詩やエッセイが分かりやすいように、その人の感性には生い立ちや、それにどう影響されてきたかが色濃く反映されます。


そういった意味では、人間が書く方が面白い文章になると思うんです。
どこか魅力的で、毒もあり、何かに対しての意見性もある。


経験から得た「生々しさ」。
人生の影響による「温度感」。


これらがAIには出せない表現力だと私は思います。




あー、ほんっとに文章の世界というのは面白い!





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