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好き嫌いは単なる感想。仕事人なら「良し悪し」を語れ。

メンバーのデザインや提案書、社内資料などチェックすることが多いのだが、毎回修正が必要な人がいる。

「一定の水準」に達してない箇所を、私が指摘するわけだ。

何故毎回のように修正が必要となるのだろうか?

単純にスキルが低いのが原因だろう。と思ったが、そうでもない。 何故なら、私が指摘した「修正」作業自体は、本人が行っているからだ。

つまり、本人は修正後の状態を再現できるスキルはあるという事になる。

じゃあ、何故「一定の水準に満たないもの」を持ってくるのか?


モノの良し悪しがわかってないからだ。



好き嫌いが横行する社会

世の中なんでも「レビュー」が当たり前の社会で、創作物も例外ではない。どんなにヒットしている映画でも必ず賛否の意見が出てくる。小説や音楽、料理なども同様だ。

これらは個人の「好き嫌いの問題」だ。

いくらもっともらしく理由をつけても、真逆の意見があるのだからそう言っていい。

一方で作品そのもののクオリティ=「良し悪し」への言及は少ない。 映像でも、デザインでも、音楽でも、文章でも、世に出る段階で、「一定の水準」をすでに満たしているからだ。

つまり、「良し悪し」を判断する機会が、「好き嫌い」に比べて相対的に少ない。ならば、毎回修正される人の原因も想像できる。

要は、「モノの良し悪し」=「一定の水準」がおそらくわかっていない。わかってなければ、事前に修正しようもないというわけだ。じゃあどうすればいいのか。

一定の水準に達したものを見続ければいい。

ここでいう「見る」とは、単なる目に入るという訳ではない。

じっくりと観察する事だ

電車内の吊り広告でもいい。スマホに出てくるバナーでもいい。社内で他の人が作った、質の高い提案書でもいい。

それらには、「質が高い」と感じさせるなんらかの要因があるはずだ。

その「要因」を見る。継続すれば「質が低い」モノに違和感を感じるようになるはずだ。結果「好き嫌い」でなく「良し悪し」のセンサーが上がっていく。そうすれば、私が指摘する箇所も、事前に気づく事ができるだろう。


生成AIの普及に伴い、創作に必要な「スキル」の差は今後縮んでいく。

故に、ますます「良し悪しがわかる人」が重宝される。

そう、私は「好き嫌い」であなたの資料を修正しているわけではない。

と、信じて欲しい。


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