恵方巻は恵方に向かう。そして社会も、より良い方向に向かいだす。
2月3日節分。スーパーの恵方巻き売場は、大勢の来店客で賑わっている。私が入店したのは遅めの夕刻であったが、人気の商品は早くも売り切れている。他の商品を含めた全体的な数量も、かつてのイメージよりはどことなく抑制された印象だ。その理由は想像がつく。
恵方巻を大量に余らせようものなら、福どころか炎上を招きかねない。
⌲ 恵方巻戦争の終焉
あれはもう、五年以上前だろうか。関西のとあるスーパーが、過熱する恵方巻の販売競争に警鐘を鳴らした。「もう、やめにしよう」のタイトルで、昨年実績以上の商品は作らないと、折込チラシで宣言したのだ。
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恵方巻きという、おそらく大阪発祥の習慣はここ十数年で瞬く間に全国を席巻した。それに伴い、あらゆるスーパーやコンビニ間で仁義なき「恵方巻戦争」が勃発。恵方巻はオリジナルの形をほぼ失い、あらゆる方向に進化を遂げ、その単価も上昇する。いかなる時も昨年超えが至上命題の小売り企業は、恵方巻の販売ノルマを従業員に課す。そして悪名高い自爆営業が常態化し、表向きの販売数は上がる。それがまた、翌年の目標数値を押し上げる。目標達成の為には、機会ロスは厳禁。売り損ねるくらいなら、余らせるほうがまだマシだ。結果として大量の食品廃棄も発生する… 控え目にいって、トータルで誰が得をしてるというのだろう?しかし自由競争社会の構造的な問題は、ちょっとやそっとでは変わらない。2月3日に日本人全員が恵方巻を食べるまで、この循環は続くかに見えた。
それが変わった。インターネットやSNSの普及により、自爆営業の悪習や、大量廃棄の現実は、世間の知るところとなる。ネット民というのはとりわけモラルにうるさい。これらの事実はみるみる内に拡散される。そして、恵方巻戦争から降りる企業が現れた。目先の売上より、企業イメージを優先したのかもしれない。
「もう、やめにしよう」は業界のみならず、一般のネットユーザーの間でも瞬く間に話題になった。おそらく、誰もが同じ疑問と不満をもっていたのだろう。その後、その影響は全国に波及する。必要以上の当日売りの恵方巻を作らず、予約を奨励する。特に炎上リスクの高い自爆営業は早々になくなった。それだけではない。スーパーマーケット企業が、取引先に購入をお願いする「取引先売り」もそれとなく消えていった。私が2月3日にスーパーに行くのも、ここ数年で、クライアントから恵方巻購入を要請されなくなったからだ。あれはあれで、イベントとして楽しんでいたのだが…
無理をして数を売らない。そして廃棄につながる「作り過ぎ」を避ける。これが企業に求められる価値観となった。売上を預かる全国の店長さんは、さぞ納得いかないだろう…と決めつけるのは早計だ。
⌲人手不足の問題がある
ただでさえ求人応募の少ないスーパー等の小売業界は、正社員はおろかパートさんを採用するのも大変だ。大量に恵方巻を準備する人員を揃えるのは、年々困難となる。離職問題も深刻だ。今時自爆営業などを強要して、従業員に過度なストレスを強いるのは、己の首を絞めるにも等しい。
かくして、過熱する恵方巻競争は、そのなりを潜める事となる。恵方巻に携わる人々に心の平和が訪れ、今後廃棄ロスも減少の一途をたどるはずだ…
⌲ 社会は、より良い方向へ向かう
販売ノルマや自爆営業=悪だと言い切る事は簡単だが、世の中はそこまで単純なものではない。
ノルマを乗り越える事で、人間的に成長した人がいるかもしれないし、自爆営業が間接的に、恵方巻の普及を後押しした側面もあるだろう。
それでも、本人の意思に反した購買の強要は、道理として是正されるべきだ。
売上主義、成長至上主義もそうだ。それは正しく機能すれば、結果として消費者利益と経済成長をもたらす。資本主義社会の構造自体を全面否定するには、あまりにもその恩恵を我々は受けすぎている。
それでも、食品廃棄は少ないほうがいいに決まっている。売り損ねるくらいなら棄てるほうがいいなど、これまた人の道理に、大きく反している。
恵方巻が世の中を変えたのか、世の中が恵方巻きを変えたのか。明確な答えはないだろう。
でも、世の中は確実に、少しづつだが良い方向に向かっている。節分同様、我々の社会にもその時々の『恵方』があるのだ。
その方向は人に優しく、そして思慮深い。
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『よし、今年は予約だ。自ら廃棄ロスを防がねば…』
あっ… 期限過ぎてる…