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激辛チャレンジはSASUKEと同じ。分かる人だけ分かればいいが、分かる人は意外に多い。


大食い番組が昔から好きだ。何かと批判があるかも知れないが、純粋に見てて楽しい。大食い大会が江戸時代にもあったという程だから、人間の本能に訴える何かがあるのだろう。そして、そこまででもないが思わず見てしまう同様の企画がある。

激辛チャレンジだ。


⌲人が苦しむ姿が、面白い?

最近はあまりTVを見ないのだが、飲み屋でたまたま激辛チャレンジが流れた。大食いコーナーの後だ。『まだやってたのか…』と思いつつも、まあまあ楽しい。私は結構辛い物が好きだ。すると、その場にいる私以外の客がこう話す。

「大食いは面白いけど、激辛は見たくないな~。なんか見てて嫌だわ…」

まあ、確かにそうだろう。

TVは直接「味」を伝える事はできないが、大食いは、そのデカ盛り度合いを視覚として伝える事ができる。そして、その非常識な大きさに挑む姿には、シンプルに惹きつけられる。

「激辛料理」も、その見た目と色で「辛さのイメージ」を伝える事はできる。しかし、実際の辛さの度合いは、チャレンジャーのリアクションで判断するしかない。必然的に、辛さに悶絶することそのものが「絵」として求められる。それは身体的な苦痛を「いかに我慢できるか」に挑戦している様子といってもいい。人が苦痛を我慢している様を面白がるのは、令和の価値観としてはどうにも微妙だ。嫌悪感をいだく人がいるのも無理はない。私が『まだやってたのか』と感じたのもそれが要因かも知れない。



⌲「辛い」は、「甘い」の対義語ではない

それにしても、何故この手の企画は「激辛」だけなのだろうか?味覚は他にもあるはずだ。甘味、酸味、塩味など…。「激甘」はどうかと思うが「激酸っぱい」なら企画として成り立ちそうなものだ。ちょっと候補を探してみよう。

まずは味覚をおさらいだ。

五味
味蕾から味覚神経を伝ってで認識できる、味覚の根本となる5つ
甘味
酸味
塩味
苦味
うま味

Wikipedia


辛味がないな…

もしかして…

辛味というのは味覚ではなく、痛覚なんです。辛味は、痛みなどと同じような刺激として、痛覚や温度覚で感じ取る味なので、基本的に味とは別のものとされています。辛味を熱さや痛さで感じているためです。
激辛料理が得意で自慢している人は、
単に痛みに鈍感になっている」だけですので、
自慢どころか危険なことが分かりますね。

徳治会歯科医院宇城


辛味は「味」ではないのか…

不覚にもその知識はなかったが、激辛チャレンジが単なる我慢大会だと感じた私の感覚は、正しかったという訳だ。

それが痛覚であるのならば、確かに他の基本の五味(甘味、酸味、塩味、苦味、うま味)が「辛味」にとって代わるのは難しい。

そして、辛味がでなかったとすれば、「甘辛」が共存できるもの納得がいく。フルーティーで甘味があるカレーが、実は結構辛いなんでことは良くあるし、それが成り立つのも「辛味」が「味」ではないからだ。

そういう意味では「辛味」というのは面白い。

他の五味とも問題なく共存できる。

対義語に見える「甘さ」とも。辛い兄弟の「塩辛さ」とも。酸っぱ辛いなんて言葉もあるし、「旨辛」などはいまや普通だ。「苦い」だけは何とも微妙だが、そもそも苦さがメインの食べ物などほとんどないだろう。

そして、「辛味」は味でない故に、後から自在に追加できる。

七味唐辛子、タバスコ、わさび、辛子、ラー油、胡椒など…

そのバリエーションは、とても多い。

後がけ系調味料で対抗できるのは、精々塩くらいだ。
砂糖や酢を、後がけする事もあるだろうが、まあ稀だろう。なぜここまで、辛い系調味料が多いのか…



⌲辛さとは、嗜好品である

辛さが「味」ではないという事は、その栄養も人間にとって必須という事ではあるまい。生きていく為に必須の、タンパク質、糖質、脂質などを検知するのが「味覚の役割」だとするならば「辛さ」は無くても生きていけるのだ。

無くても生きていける辛い系調味料が多いのは、辛さを嗜好品として楽しむファンが多数存在しているという証拠だ。その中には、ディープなファンもいれば、私のようなライト層もいるだろう。

激辛チャレンジが、令和の時代に存続できている理由が見えてきた。

単純に、激辛ファンが多いからだ。



⌲そして、激辛チャレンジは続いていく

激辛チャレンジに挑むのは、選ばれし一握りの「トップ激辛プレイヤー」。その挑戦が、単なる我慢大会であろうはずもない。TV越しにそれを見守るのは、トッププレーヤーの挑戦をリスペクトする「一般の激辛ファン」。自らも激辛を嗜む彼らの数は、我々の想像よりもはるかに多い。なにせ、これほど身近な嗜好品はない。


これはある意味『SASUKE』と同じだ。

SASUKEに挑むのは、選ばれし一握りの「トップSASUKEプレイヤー」。その挑戦が、単なる体力測定であるはずもない。TV越しにそれを見守るのは、トッププレーヤーの挑戦をリスペクトする「一般SASUKEファン」。自らの身体能力に自信をもつ彼らの数は、我々の想像よりもはるかに多い。なにせ、誰でもアレに挑む事はできそうだ。

興味のない人にとって、なんら意味がないという点も似ている。「辛さ」にはおそらく大した栄養は無いし、SASUKEをクリアしたとして、直接何かの役に立つわけでもない。

それでも人々は、激辛を愛し、SASUKEを愛する。
そして、彼らの期待を背負って頂点を目指すトッププレーヤーを応援せずにはいられない。

意味がなくても、役に立たなくても関係ない。
嗜好、すなわち「たしなみ」とは理屈ではないのだ。

分かる人だけ、分かればいい。
でも分かる人は意外に多い。

それがSASUKE。そして激辛チャレンジだ。

そう簡単に、終わる筈もない。


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