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コラム13 大学病院外科医の「研究エフォート」のお話

今日のコラムは、医師の研究エフォートのお話です。
完全なる雑談…というか愚痴です。
研究をしている医者ってこんなんなのかーと思って読んでください。
実はこれを書いているのは2024年11月。
AMEDというとても大変な研究費の申請を行っている最中で、思わずエフォートについて語りたくなってしまったのです。

「研究エフォート」と言われても、なんのこっちゃと思うかもしれません。
医師の中でもこの言葉を知らない人もたくさんいると思います。
これは主に大学病院などで研究に従事する(もちろん臨床や教育も行っているのですが…)医師が関わることです。


三本の矢

医師の本分は患者を治療することです。
それは、近視眼的に見れば目の前の困っている人を直接助けることであり、実際の臨床現場ということになるのでしょう。
僕は本業が小児外科医(いちおう指導医)ですから、外来診察をして、手術をして、術後管理を行うこと…というのが臨床のお仕事です。
しかしながら広い目で考えてみると、大学病院にはお医者さんのタマゴの医学生がたくさん在籍して勉学に励んでおり、そのような学生さんたちが将来的に立派な医師になるのを助けてあげること(教育)も、将来の患者さんを助けていく上でとても大事です。
現役の医者だって定年や寿命というものがありますからね。
そして、研究。これも大事です。
医学というものは日々進歩しています。
新たな薬、治療法が開発され、多くの人々が恩恵を受けるのですが、ここには研究が欠かせません。
その、臨床・教育・研究の3つは、古くから大学病院の3本柱とされ、その全てができる医師というのが求められてきました。
大変ですね。
臨床だけしている医師より、圧倒的に給料安いのに(これ本当に意味不明)。

医師の研究って聞いて、その多様な内容を理解できている人は非常に少ないと思います。
多くの人は例えばiPS細胞のような実験室での研究を思い浮かべると思います。
他には動物実験とか。
薬を開発したりとか(これは実際は製薬会社とかが多いですかね)。
でも、他にもい~~っぱいあるんですよ。
疫学研究とか、臨床研究とか。その中にも種類がめっちゃ分かれています。
1つの薬、治療法が出てきて、社会に浸透するまでに、何個も何個も研究を経る必要があるのです。

僕が医者になった20年以上前は、そういった研究の枠組みってまだ今ほどきちんとしていませんでした。
しかし現在、そのような研究は立ち上げから倫理委員会の申請、研究費の申請、開始、経過報告、終了に至るまで、非常にきっちりと管理されています。
そこに不正の入る余地がないほどぎっちぎちに…。
まあ、これは今までに存在した研究不正などの影響を被っているのもあるのですが…。
正直、研究自体よりもそれに付属する書類書きや雑務のほうが10倍はきついくらいになっています。
研究費を申請するのに数十ページの申請書を書くなんてのはざらで、更にはPC上で入力プログラムの作成などなど、「え?それを医者(外科医)がするんですか?」というようなお仕事(?)はたくさんあるのです。

へぇ~、そうなんだー。
でもそれだけ大変な研究をするんだったら、研究者として研究費とかから給料もらえるんでしょ?

いいえ。一円ももらえません。

ええ…?
僕はこれって日本のシステムの大問題だと思うんですよね。
大学病院の医者って、臨床だけしている他の医者より平均給料は1/2以下。バイトで食いつないでいる。学生の教育もしている。
それに加えてとてつもない労力をかけて、世界的な研究とかしている。
でも、一銭もそこから利益は出ない。
(あ、これを書いている今回の2024年のAMEDから、この部分がわずかに見直され、研究者のインセンティブというのを少し発生させられる決まりになりました。制限は厳しいですが)
じゃあ何のために、どんな人が研究をしているのか?
うーん…。
僕みたいに純粋に好奇心でしている奇特な人とか、承認欲求や名誉欲が強い人、教授になりたい人とかですかねぇ。
もちろんそんな人って少数派ですから、日本の医学研究が先細っている現状は当たり前っちゃ当たり前なんでしょうね。
頭良くて更に頑張って世界トップレベルの研究をしてて、その見返りにちゃんと給料たくさんもらっている、ザ・資本主義の国の医師に比べるとそりゃあ人材不足になりますよ。

思わず愚痴みたいな話をしてしまいまいたが、今日はその研究にかかるエフォート(労力)のお話です。


先ほどちらっと、研究は大変なんだよってお話をしました。
いや、ほんと大変ですよ。
多分、一般の方が想像する5倍くらいは大変です。
かかる時間も、負担も。
僕が現在専門にしている小児がんの分野でも、「ドラッグラグが…」と問題になっており、僕は今研究分担者としてそのドラッグラグの1つを解消するためのスタディに取り組んでいますが、その研究1つだけでも多大な労力を必要としています。

そのような労力を管理する目的で、僕たち医師が「科研費」や「AMED」といった国の研究費を申請する際には、非常に大量の申請書を記載していく中で、この研究にかけるエフォートを%で記載するように求められるのです。

このエフォートの定義は以下の通りです。
「研究者の全仕事時間100%に対する当該研究の実施に必要とする時間の配分割合(%)」
*「全仕事時間」とは研究活動の時間のみを指すのではなく、教育活動や医療活動を含めた実質的な全仕事時間であり、裁量労働制が適用されている場合は、みなし労働時間とする。

なぜこんなことが求められるようになったのか。
それは、優秀な研究者ほどいろんな研究を進めていくことができます。そして、そのような研究者に研究費が集まりすぎてしまうからです。
データとして、
“研究費が1億円くらいまでは概ね研究費と業績は比例しますが、それ以上はマネージメントの限界を超え(うまく使えずに)、業績は頭打ちになる傾向がある”とのことです。
いやいや、1億円って…。
多くの研究費は年間数百万円。AMEDの大きな研究でも年間2000万円くらいでしょうに。

まあ、それはおいといて。
僕の場合を考えてみましょう。

全仕事時間を100%として、これは教育活動や医療活動を含めているということは、ここから外来診療、手術、学生指導、大学での様々なワーキンググループや委員会の活動(現在9個)を引くと…
うーん、なんか毎週noteに研究とかコラムの話とか書いてはいるんですけど、結構手術とかも頑張ってるんですよねー。
残りは40%…いや、多めに見積もって60%くらいにしとくか。

この60%を、現在進めている様々な研究に割り振った数値を、エフォート(%)として申請書類に記載する必要があるんです。
現在僕がPI(Principal Investigator 研究責任者)として進めている研究は、小児がん関係が3つ、VR関係が3つ、その他消化管系が2つ。合計8つ。
研究分担者として参加している研究が3つ。
その11個にそれぞれエフォートを割り振らないといけない…と。

ここで、エフォートの記載の仕方(コツ)を参考にしてみましょう。
<引用>
(前略)審査員も評価項目ではないとはいえ、チェックすることは可能ですので、本気度を疑われないためにも大きめの数字を入れる必要があります。40%くらいが十分に大きいエフォートかどうかのボーダーラインです。
エフォートは10-30%くらいが「普通」
教育や運営など、研究以外のエフォートは5~15%程度(後略)

…んん!?
…ダメじゃん Σ( ̄ロ ̄lll)

“普通”のエフォート最低ランク、10%を全部に当てはめても、僕という人間はエフォートが150%で生きていることになってしまう…。
もちろん言っておきますが、僕は研究費申請が全部通ったとしても1億円には遠く及びません。
そう考えると、この申請のエフォートっていかにあてにならないかって話になるんですが…。
でも、研究費が通っている研究で書かないのは違反になってしまいます。
もともと、医者で外科医をしていて、教育もしてて、研究に割くエフォートってどうウソを書いても通常の研究者のような「教育や運営など、研究以外のエフォートは5~15%程度」になんてなり得ないんですよね。
まあ、そんなことを言いながら、なんとか家計簿みたいにエフォートのやりくり(?)をしながら申請書を記載していくわけです。

でも、実際に僕が11個(分担を含めて)の研究を行っていて、「寝る間もないほど忙しくて無理」とか、「この研究は滞ってる」ということはありません。
なんだかなぁ。
そもそもエフォートって、単純に時間で計算できるものでしょうか?
ある研究へのエフォートが5%くらいだったとします。
研究者の全仕事時間は、労働基準法では週40時間(ほんとはもっともっと働いてるけど)。
すると、その研究に割く時間は40×0.05で週2時間。
そんなもんかなぁ…と思うわけですが、でも、その研究に関してめっちゃ知識とやる気がある人の2時間と、そうでない人の2時間が同じわけはないですよね。
じゃあエフォートっていったい…?

そんなことを考えながらひたすら分厚い書類の作成にエフォートを費やす日々なのですが、すっごく本気で進めていきたいプロジェクトでも、どうしてもエフォートは5%とかにせざるを得ず、心の中では(本気なんです~!だから落とさないで…)とお祈りをしながら書いているのでした。

本研究内容補足事項
<論文>


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