「太陽の微笑」 詩:本多裕樹
「太陽の微笑」
秋の夢、皇后の歩く道
煌びやかでさんざめく音の輝きを
押し戻して影を踏む従者たち
太陽のような香りと焼けた大地に
私たちは夢を見る
時の流れに光もあると言う
時の終わりもあったろうか
何にあっても
その光の余韻が我らにかんがみる
しめありき朝露も
春なのか
秋なのか
涼しげに見える空気に潤う
私たちはこの光景を想像し
この天上界のごとくの景色を眺め
上帝の歩む道を従者の歩む音を聴くのだった
やんごとなき夢でなく
密かに悲劇的であったこの日
絶望の日々は太陽の輝き放つ光に
われは清まる
そして、焼け果てる
私の眺めていた夢は幻想でしかも絵画だったことに
今、その白昼夢から覚める
象徴の太陽は勝利だったのか
象徴の夢に幸いありか
どこにあっても夢のイリュージョンがいくつもあって
私たちの向かうところにどこでも行ける
もう一度、古代のエンペラーを見たいと寝床に入ったが
もう、そのような夢は観ることは無かった
ただ、思い出の余韻があるのみで、
花の大輪を咲かせたひまわりは
わずかに太陽の輝きを思わせる
私はそれを思い出してその情景を絵に描く
いくども制作に打ち込むが、
描けるのは余韻のみ
あの太陽の帝のいる世界は実在で
イデアの夢であったか、
ならば、夢がもっとも光に近いのか
それとも、目の記憶に意味の扉があるのだろうか
理想はいつもそばにあって、それを見るのは幸い
だが、いつまでもそこに行けない
一歩一歩、足を進め
どこまでも続く道と階段、そこは青空で星空
その道の一歩に意味がある
一歩ですら難しい
私は絵を描き
太陽を描くがそれはレプリカでしかすぎない
実際、夢の方が実在に近かった
私たちは誰も理想を夢見るが
現実はまたちがった論理で
異なった世界であった
夢と現実は違う
しかし、夢が理想と言うなら
その夢を虚影の現の中で現実に一歩でも近づける
それもまた無理であって
ただ、影を追い
また、空を追う
光の世界を夢追い
どこまでも果ての無い光の世界は
色彩を放つ
皇后の笑顔が少し見えたような
そんな気がした
たとえ、現実が苦しくても
太陽世界のイデアを心に留めていれば
勇気という力が流出してくる
観想のみで
私たちは光を崇め生命の力を供給されてきた
そうして、人々は知恵と光を得て
人生を輝かせ進歩発展し
文明を創造し、
社会を営む
その果てもまた新陳代謝の中で滅びもあるが
いくども人類や
あらゆる生命は発展し、学習してきた
太陽を見た時、
あらゆる覚醒が起こるだろう
そこから私たちは知恵と知識を得てきた
そして、勇気と希望を夢にして
光から光に帰っていった
文明の始まりも終わりも
私たちの生命に与えられた太陽の光があったということ
今日も太陽が燦々と輝き
皇后の微笑も見えるのだった
令和6年11月16日