ASDが問題なのか。
どうも梟です。
大変興味深いツイートを観ましたので、
ご紹介がてらこれについて考えてみたいと思います。
① 事の概要
早速ですがこれが件のツイートです。
という事で
投稿者の方は「筆者の意図がわからない」と言った様子でしょうか
「何を言ってるかわからない」「乱丁や誤植じゃないか」という
表現をされており、筆者の文章には否定的の様子です。
そこで、私も添付されている画像(本文)を読んでみました。
「なるほど」というのがまず一番の感想ですね。
読んでみた感想をまず申し上げると
「筆者の試み、意図は正確に表現されているが、
文中の設問に対する正否等はその限りではない。」
と言ったところでしょうか、私としても表現は少し難しい事象でした。
順を追って紐解いてみましょう。
② 筆者の意図とは
まず初めに、筆者の意図を読み解いてみましょう。
筆者は最初に次のような提言をしています。
次の文章を読んでみてください。
①彼女は海が好きだ。
②彼女は海が好きだった。
読みましたね?
これに対して筆者は次のような質問をしています。
「今も彼と彼女は付き合っているか」
貴方はどう思うでしょうか?
事の正否は置いておいて、筆者は次の様に捉えています。
「多くの人は、①はまだ付き合っていて、
②は付き合っていない(解消された)と答えた」
「ところがASDの方からは別の意見が出た」
「このASDの方の解釈自体を否定することはできない」
しかし
「情報が限定されたなかで多くの人々は、
”もっともありそうだと判断した回答”をする」
「重要なのは、そのことばが集団社会の中でどう捉えられているかを
理解して、そこからASDの認識がどうずれているかと考えていくこと」
多少端折ったり簡易的な表現に変えていますが、本筋は変えていません。
これが、筆者の意見、意図になります。
貴方は理解できましたか?
殆どの方には少し難しいことかもしれません。
もっと端的に私が表現を変えると、
【多くの人】
「①海が好き」⇒現在進行形 「②海が好きだった」⇒過去形
①と②を比較して今も付き合っているのは?⇒①
①と②を比較して今も付き合っていないのは?⇒②
【ASD】
「①海が好き」⇒現在進行形 「②海が好きだった」⇒過去形
①と②の文章から今も付き合っていると推測できるのは?⇒どちらも
①と②の文章から今も付き合っていないと推測できるのは?⇒どちらも
こういった感じになると思います。
しかしまだこの対比を用いても理解できない人が多いかもしれません。
もう少し細かくお話ししましょう。
「多くの人」に当たる人間は基本的に「感覚」で生きています。
細かい事は考えず、限定条件下ではその枠から外れる事がないのです。
だから①と②この選択肢から選べと言われれば
その中から選択する事しか考えないという訳です。
一方「ASD」他、「思考の視野が広い方」は「理論」で考えています。
細部まで読み込み、限定条件下に置いても多角的な視点でモノを考えます。
なので①と②この選択肢から選べと言われても
その選択肢が必ずしも正しいとは決めつけず、選択肢外の答えも想定する
という事になります。
これを見ると「多くの人」側で
『俺たちがモノを考えていないバカみたいじゃないか』
と感じる方もいるでしょう。
厳しい言い方になりますが、それも一理あります。
ただ、それだけではないのです。
「多くの人」側の方は、「共感力」と「応用力」に優れています。
「共感力」とは協調性や周囲の人の感情、状況に合わせて
行動、思考ができるという能力のことで、
「応用力」というのは過去の経験や得た知識を用いて
その際に最適と思われる行動をとれる能力のことです。
簡単に言うと、
「過去の経験、知識を使って無意識に、最適解と思われる判断ができる」
という事になります。
もっとフランクに言えば「フィーリングに長けている」という所でしょうか
まぁある意味天性の才能みたいなもんです(笑)
一方「ASD」他の方は「理論構築」と「分析力」に優れています。
「理論構築」とは「これは、こうなっているから、こうだ」など
物事を筋道立てて考え、組み立てる事ができる能力です。
「分析力」はある意味その逆で、物事の内容などを細分化し、
一片一片を捉えながら理解することができる能力です。
簡単に言うと
「物事を細分化して、一片一片に筋の通る理論を当てはめながら考える」
と言った様子になります。
もっと端的に言うと「慎重派」という事ですね。
どの事象に対しても、慎重に自分の持つ知識や経験や理論に当てはめて
よく考えてから実行に移すタイプって感じです。
例えば「多くの人」の方は
接客やら営業やら「レスポンスが速くひらめきや直感をうまく使う」
こういった職業に向いています。
なので「ASD」や「視野が広い人」の中で「何事も深く考えすぎな人」
に関してはこの分野の職業はあまり適性が高いとは言えません。
対して「ASD」他の方は
研究職やプログラマなど「理論立てて業務フローを追う」
こういった職業に向いています。
なので「多くの人」の方では「なぜ、これが、こうなるのか」などと
全ての物事を細分化して考える事ができない人が多いため、
この分野の職業はあまり適性が高いとは言えません。
③ 結論、まとめ
少し本題から筋がずれてしまったので戻してまとめますと、
そもそもこの筆者の提言、問いには正確な答えなどなく、
思考の違いでいくらでも答えがある。
というのが私の中での結論となります。
なので、筆者が実験的にこの提言、問いを施行した際、
「多くの人」の方と「ASD」の方とで差異が出た事は必定となります。
強いて言う問題点としては、
筆者が今回の件で「多くの人は——」と表現するなか、
「ASD」の方の思考が「世間的にズレている」という表現とともに
文章を読む限りでは
「ASD」側の思考は異質
という表現にもとれる文章を書いているという事です。
前述の通り、今回の件においての結果は
「正確な答えなどなく、思考の違いでいくらでも答えがある。」
という事です。
筆者の書き方では「多くの人」が「白」と言ったから正解は「白」
と言っているように読者が捉えてしまっても何ら不思議ではなく、
それ故に、今回の議論、盛り上がりが起きたものと考えられます。
前の記事でもちょっろっと話した事なのですが、
「名が知れてる」「それで金を得てる」と言った程度で
「プロ」か「アマチュア」かが決まります。
同じ土俵に上がれば
アマチュアがプロに勝つことも珍しくありません。
つまり、筆者がある程度知名度があろうと
その人が正しい、間違わないという事にはならないのです。
今回、筆者の表現は少々稚拙な物だったと私は思います。
というよりも、
筆者は「ASD」の方を低く見ている傾向が読み取れるので、
真っ当な出版物を出す上でその姿勢は如何なものかと思う次第です。
ご本人に届くことはないでしょうが、
私なりの所感をここでまとめさせていただきました。
ご参考になれば幸いです。
④ あとがき ※口調は穏やかじゃないと思います。
今回もやってきましたあとがきのコーナー
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