夫婦という名の関係性
今日、12月27日は、25回目の結婚記念日。
銀婚式とも言われるそうで、4半世紀にもなるんだ!と驚く。
でも、この1年間は、それまでの24年間とは異なる、濃い時間だった。
25年目にして、ほぼ毎日24時間、最も二人一緒の時間を過ごし、その分、泣いたり笑ったり、本当に豊かで幸せな1年だった。
(とにかくお互いよく泣いた笑。苦しさでも、悔しさでも、それ以上に嬉し泣きでも!)
そして、25年を経て、「夫婦」という関係性が変わってきたと感じている。
当然のことながら、結婚すると、「夫」と「妻」という肩書きがついて、子供ができると「父」「母」という役割ができる。
その中で、漠然と在る、肩書きや役割の「こういうもの」「こうあるべき」というイメージや思い込みに捉われ、それを、私にもとっくんにも求め、型にはめようとして、窮屈な時もあった。
そして、無意識に「価値観は同じであるほうがいい」「同じであるべき」と思い込み、違うことに、憤りや寂しさを感じたことも多かった。
新婚当時、仕事以外の時は、結婚指輪をはめることが当然で、私にもとっくんにも、指輪をはめることに安心を置いていた。
(とっくんが空手をするのに外して、うっかり紛失したのを責めたことがあったなぁ笑)
でもいつしか、お互い、指輪をはめないことが自然体になった。
(だからといって、結婚指輪をはめることを否定はしていなので、素敵だとも思っているから、はめたい気分の時ははめている)
この24年間プラス1年間を過ごして、「夫婦」というよりも「友達」という関係がしっくりきている。
価値観は違って当然!
興味の湧くことや、湧くタイミングもボリュームも違う。だからこそ、なぜそれに、そのタイミングで、それほど興味が湧いたのかという興味が湧き、重なる時はレアで、面白くて愛しい。
お互いの苦手な部分は、得意や意欲や好奇心で補い合う。
凸凹コンビ、ニコイチだとつくづく思う。
LEGOのように、面白いほど組み合わさる。
「友達」だから、毎日一緒にいても飽きず、新たな一面を発見して新鮮に感じることもある!
そう思えず、抗う時も多々あるけれど笑。
今日さとっちは、自宅で焼き芋を焼いたり、こうして好きにつらつらと綴り、とっくんは、元上司の主催する研修を見学に、念願の三重への旅の真っ最中。
心の向くままに、それぞれが思い思いに過ごす。
これがちょうど良くて、心地いい。
選択の自由度や幅が広がったということかもしれない。
年末の結婚式を非常識だったと思う反面、当時はそれが最善だと考え、参加者にも、参加者の留守を預かった人にも、今でも感謝が湧く。
そして、その年の1年の振り返りとともに、夫婦の関係性を振り返られることも、ありがたい。
夫婦でもあり、人生のパートナーでもあり、友達でもある。
これからも、変化に富む関係性を愉しもう♪