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noteを30日連続投稿してみて思ったこと

noteを始めて30日連続で記事を投稿してみました。
毎日書こう!と決めていたわけではなかったのですが、ひとつ書くと次々に感情があふれてきて、まだまだ書きたいことがたくさんあるなと思っています。

振り返ってみると、私は昔から書くことが好きでした。
小学生の頃はとがった鉛筆を見ると無性に友達に手紙を書きたくなったし、交換日記やサイン帳を書くのも好きでした。
高校生の頃は運動会でダンスリーダーとなり、自分たちが考えた振り付けやダンスのストーリーをみんなに知ってもらうために、せっせと新聞のようなものを書いていました。
大学生の頃はサークルの広告塔として、日々の活動の様子をブログに書いていたこともあります。
その頃はmixiでも何かを書いていたし、Facebookが主流になってからも数回くらいは日常的なことを投稿をしていました。
社会人になってからは、意外とメールの返信が好きで。
放っておくと大量のメールが来て、もちろん大変なのですが、大事なメールにはしっかり文章を考えて丁寧に返信するのが好きでした。
そういえばLINEが広まる前は好きな人にメールを送るとき、めちゃくちゃ推敲したのも今となっては懐かしいものです。

でも、私はただ「書く」のが好きなのではなく「伝えたいことを書く」ことが好きだということに気付きました。
実際に学生時代のレポートとか卒論は字数を埋めるのに必死で、内容もすっからかんでした。(よく卒業できたな)

これは余談ですが、私は大学時代に1年間海外に行っていたことがあり、この期間に英語力が大して伸びなかったのはただの勉強不足ではあるのですが、痛感したのは「英語を使ってでも伝えたいことがなかった」ということでした。
もちろん生活していくのに必要な、買い物とか道を聞くとか、ちょっとした世間話はそんなに困らなくはなりましたが、人に話すほどの自分のこだわりとかポリシーとか信念とか好きなこととか、そういうものが圧倒的に不足していたのです。
そもそも日本語でも、日常的なおしゃべりでさえ「話すことがない」と、苦手意識を感じていたのです。議論も苦手でした。
日本語で言えないものは英語でも言えるはずがありません。
なんて空っぽな人間なんだろうと落ち込みもしました。
ただ、帰国前に友情にヒビが入ってしまった女友達の愚痴については、英語がスラスラ止まらなかったのです。
それを聞いてくれた友達は「あなた英語うまくなったね」なんて褒めてくれました。

この経験で学んだことは、人は何か伝えたいときはどんな手段でもエネルギーが溢れてくる、ということです。

それ以降も人に伝えたいと思うような気持ちは特になくて、何かあってもほとんどは自分で消化しようとしてきたのだと思います。
でも今回の介護生活にいたっては「ちょ、まじでみんな聞いて?」と手を挙げたくなるほどに伝えたいこと、聞いてほしいことがあふれてきました。

だから、noteで書くという手段を選択してみました。

あわよくば私の投稿が何か少しでも人のお役に立てることがあれば嬉しいですが、ほとんどは私が吐き出したくてしょうがない文章です。
いつも読んでくださる方、スキ&コメントくださる方、ありがとうございます。
とても励みになっています。

それにnoteでは他のSNSには見られないような、表面的な見せかけだけでなく、キラキラもしていない生々しい部分も文章から垣間見られて、よりリアルな実感を持てるのがいいなと思っています。
それに「伝えたいことを書きたい」と、えらそうなことを言っても、「コーヒー飲んでほっこりした」みたいな、人の何気ない日常で癒されることもあります。
私ももっと自由に書いていいんだなと思いました。

これからもみなさんの投稿を楽しみに、私もあふれる気持ちを書き出していきたいと思います。

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