檸檬 梶井基次郎 読書感想
この本は、去年パリの日本語の本屋さんで新しいものを買った。黄色い表紙の「檸檬」という漢字のデザインが目に留まった。
知らない作家だった。明治34年に生まれ、31才で亡くなってしまった、文学史上に奇蹟を残した作家。そしてその文章はまるで素晴らしい俳句か詩をちりばめたような、美しい日本語の純文学だった。そして去年読んだ50冊以上の中で最も好きな本でした。
丸善が好きだと書かれていました。時代は変わっても丸善、ソニープラザ、そしてレモン画翠といった遠い外国の香りのするところが好きで、昭和50年代ティーンエージャーの私は放課後に良く通ったものでした。そして散々眺めた挙句、買うことができたのは、きれいなインク便ひとつ、アメリカの安い雑貨などで、洋書は高根の花でした。
この作品の要は「色」。
「錯覚がようやく成功しはじめるとわたしはそれからそれへ想像の絵の具を塗りつけてゆく。」花火、びいどろ....
そして貧しい自分を慰めるために必要な贅沢で美しいもの。それは果物屋にあった。
「レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色をした、紡錘形の格好。」
そしてその香りはカリフォルニヤにまで思いを飛ばせられる。
夜の果物屋。この光景も記憶に深い。たまに家族で寿司屋に行くと、小学生から中学生の私と妹は早く食べ終えて飽きるので、父が私にお金を渡し私達は隣の夜の果物屋で、普段母が買ってくれないような果物が買えた。あれこれ予算内でどれを買い合わせるのか、品定めしながら悩むのが楽しかった。その時周りは暗くて、斜めの台に並べられ、照明の当たった果物の美しかったこと、そしてそれらの果物の香りと共にその時の幸福感が思い浮かぶ。
「何か華やかな美しい音楽の快速調の流れが、見る人を石に化したと言うゴルゴンの鬼面的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴォリウムに凝り固まったと言う風に果物は並んでいる。」
「電灯が驟雨のように浴びせかける絢爛は、周囲の何物にも奪われることなく、恣にも美しい眺めが照らし出されているのだ」
果物屋の軒先をこんな風に表現できるなんて、すばらしい。文学・音楽・美術・演劇・自然といった美しいものの要素をたったこれだけの言葉で濃縮し詩的に語れるこの才能は、この作品が刊行されてから88年もたつと言うのに新鮮。
そしてたった9ページでこのような話が、積み重ね上げられた色とりどりの画集の上に置き去られた「檸檬」の映像と、爆弾を想像させて読者をも微笑ませ、そして街を歩き続ける主人公の五感に余韻を持たせて終わる所は、良い俳句を読んだような後味の良さ。
こんな作品に出会えて本当に良かった。
2019.4.13