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【母の遺作】詩・味噌汁を作りながら
味噌汁を作りながら ふっと 思う
大学なんかに やるんじゃなかったと
娘の大学生活に不満があるじゃなし
何 贅沢なことを いってんのよ
たしなめる もう 一人の私がいる。
私の母も、 同じ思いをあじわってたかも?
ふっと そう患う私もいる。
だが、 この会話の無さは どうだ
春休みに帰宅した娘は
まるで 遊ぶロポットだ。
内面を隠しとおして、 毎日走り回っている
それ
【母の遺作】忘れえぬこと 忘れえぬ人々①
中富レポーターのこと わたしは、 一九九二年十一月現在、 四十八歳の障害者で、 出版物の少ない児蘆文学者で、 奥藁科大間ファンクラブ会長です。
障害者になったのは、 十六年前。 クモ膜下出血で倒れたのが、 原因です。 その時の後遺症で、 左足が不自由で走ることはできません。 立っているだけで、けっ こう疲れるんです。 歩くためには、 全神経を集中させ て、 杖にすがらなければなりません。
頭痛
【母の遺作】女のエッセー
昭和63年(1988年)5月21日(土) 中日新聞掲載
病魔に教職を奪われ 家族の励まし「社会参加これしかない」
「あなたは童話を書き続けなさいよ」ー友人たちに言われると複雑な気持ちになる。「書くこととは、恥をかく事だ」と骨身にしみて思うからだ。
書くことが、こんなに自分をさらけ出す行為だとは知らなかった。でも、「あの時」は童話を書くことにすがってでもいなければ、どう生きようもなかったに違い
【母の遺作】私にとって"生きる"とは その2
〈その1からの続き〉
左半身がマヒしたままだった状態は、三ヶ月間入院し、リハビリを続ける間に、少しずつ良くなってきた。左足首、左足のマヒをわずかに残すものになった。けれども、あまり歩けない。遠出もだめ。すぐ、フラフラする。
運動はだめ。興奮するような事はさけなければだめ。毎日、薬を忘れないように飲まなければだめ。「だめ、だめ」で、がんじがらめにされた生活だ。(今までとあまりに違う。)
【母の遺作】私にとって"生きる"とは? その1
九月七日の朝日新聞家庭欄「障害者の姿」を記録しようという呼びかけを読み、私も今の姿を書き残しておきたいと思った。
この呼びかけの主旨は、来年の国際障害者年に向け、積極的に、〈おおらかに、あっけらかんと、自分の姿をさらけ出そう〉という事である。そうする事によって〈障害者の完全なる社会参加〉を推奨していこうという事である。
今の私は、〈おおらかに、あっけらかんと、自分の姿をさらけ出す〉ことは