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壮絶な過去のこと 北京で出会ったボスのこと #仕事について話そう

中国考古学を専攻していた夫の都合など諸事情で、私が日本を離れ、北京初アメリカ資本100%独立プライベート病院に就職したのが2014年のことでした、その時の話です。

北京は2008年のオリンピック後、既に大都会へと急速に変貌を遂げていて、北京には多くの外国人が集まってきていていたこともあり、この私立病院はその頃、いくらでも医療にお金をかけられる人々をターゲットにした、時に世界一医療費の高い病院の一つ(米国並)でした。

この病院にくる患者さんのほとんどがこういう人たち

  • 海外企業(日本を含む)の外国人(駐在さんと呼ばれる好待遇の人々)

  • 北京に集中する世界各国の大使館に勤める外務省外交官関連の人々

  • Iターン、Uターンで主にアメリカから戻ってきた帰国子女

  • 急激にリッチになった中国人富裕層(英語を話す人たち)(鄧小平の「先富論」お金持ちになれる人から先にお金持ちになれと、ある程度の資本主義を許容したため、猛烈な経済成長を遂げた結果のラッキーな一部の集団)

  • 中国人芸能人

このため、北京にあるこの病院内の共通言語は英語、次に普通語(中国語)という非常に特殊な病院でした。

私が働き始めた当時、整形外科には海外留学から帰ってきたばかりの若手男性(中国人)医師が二人常勤するだけで、立ち上がったばかりのマイナー科としてひっそりと存在していました。新規に現れた私にこの二人の同僚、表面的にはにこやかに、色々質問をしてきます*。どうしてここに? 子供はいるの? どこに部屋を借りたの? 日本が恋しくないかい? 年はいくつ?  いくらの給料で契約したの?

私はまあこういう素直な性格ですから、聞かれた質問には全て正直に答えたのですが、

”しまった!なんでありのままを答えてしまったんだ!”

と後悔することになったのが、いくらの給料で契約したのかという質問に正直に答えてしまったことだったのです。その場に居合わせた二人の顔がサッと冷たくなり、それ以後永遠に、彼らは私に心を開いてくれるようなことは一度もありませんでした。多分、後で知るに彼らの給料と私の給料には2倍以上の差があったのです、私への「金の妬み」は本当に根強いものでした。

医療はドクター個人プレーで成り立つものではありません。特に整形外科というのは手術時にはチームでプレーしてナンボという世界。私がこの病院で骨折の手術をすると、日本で30分で簡単に終わるようなやり慣れた手術でも、この病院では道具がない、助手(前述の同僚ですね)が全く助けてくれない、看護師たちがX線の機械を使うたびに全員手術室から逃げるなどのトンデモ事態が起こり、倍以上の時間と心労でくたびれ果てるのでした。日本で一緒にチームで仕事をしていた時が懐かしく、日本ではなんと優秀な先生や看護師たちに囲まれて全力のサポートを受け、のほほ〜んと仕事をしていたんだろうと毎日後悔する日々。私は孤立しているのにも関わらず、背後でいつも誰かが私を監視しているという生活で、気がつけば1年が経っていました。

2年目。

ある日、オーストラリアから新しい整形外科医師がやってくると告げられました。私は今でも、この新しくやってきた、新しい私のボスに会ったその瞬間を忘れることはありません。

「Hi !」

と握手をした手の大きくて、暖かったこと。にっこりと微笑むボスに会ったこの瞬間に私は自分が救われたことに気づいたのですから。私がずっと待っていた人、それが私のボスです。私のボスはボスと呼ばせてください、彼はいつもBOSSのスーツを愛用していた、ということもあるし、後にも先にも、私の本当のボスは彼だからです。

ボスはとにかく素晴らしかった。新疆生まれ、小さい頃は神童と呼ばれたらしい彼は教科書の隅々まで1回読むだけで頭に入るタイプ。1989年の天安門事件でVサインをした写真のせいで共産党当局の名簿に載り、逃げて渡米。拾ってもらったアメリカの病院のラボで数年間のうちに10以上の論文を世に送った強者。その後オーストラリアで就職し、「あの中国人の医師に手術をしてもらいたい」と患者が並ぶので自信をつけ、やはり祖国に戻りたいと満を持して北京に戻ってきた人でした。

手術室でのボス

何しろ手術が早くてうまい。残りの同僚二人を差し置いて、私とボスで全ての手術を一緒にやりました。彼は手術が大好きで仕方がないので、次から次に華麗にこなします、私は手術前後の管理全てを引き受け、走り回って忙しい思いをしましたが、全く苦になりませんでした。彼の腕が良かったので、患者さんがみんな良くなる、つまり術後管理も楽しかったのです。

ボスと手術

ボスが来てから間も無く、マイナーでほぼ存在しなかったような整形外科が急成長をとげ、病院のマネージャーの目にとまり、それまで外科の下に配置され予算も貰えていなかったのに、外科から独立、自慢の整形外科として大きく広告をうたれ脚光を浴びるようになりました。4人だった整形外科も大学病院からの若手派遣医師や小児整形外科医なども加わり、一気に倍の8人へ、筋骨格系PTたち、リハビリ病棟の新設などもこれに加わりまるで大学病院並み。

ボス率いる病棟回診(2016)

新しく加わってくる医師たちはボス(と私)によってインタビュー後選ばれし人たちですから、ボスと私への忠誠心は以前からいた二人の同僚とは天と地ほどの差があります。定期的に行う勉強会や臨床検討会、みんな一致団結して成長しました、もちろん、私自身も多くのことをボスから学びました。

3~4年目

この頃、変な噂が流れます。

「ボスと私ができている」

仕方ないですね、元からいる同僚二人にしてみれば全てが面白くない、多分彼らが噂の元だったかもしれません。火のないところに、の諺のように、この噂に根も葉もないというわけではなく、私は心から本当にボスが大好きだったので、仕事が終わった後の時間外でも土日でもいつでも長電話をしていました。話の内容はいつも仕事のこと、プライベートで恋愛感情に発展するようなことは誓って1%もありませんでしたが、あれはどうしようか、これはどうしようか、話しても話しても、話が尽きなかったのです。

ボスが私をNo.2としてポスト配置しようとすると、女マネージャーからコソコソとボスに確認が入ります。「裏情報が入っているけど、大丈夫?まずいんじゃないですか?」みたいなやつです。愛人**だから昇級させるんじゃないか、みたいな。ボスも気にして、私に電話をかけてきては「悪いけど、ちょっとまずい。今は表向きは小児整形外科の先生をNo.2にしておくけど、気にしないでくれないかな」みたいな感じです。それと同時に元々いた整形外科医師二人がボスを失脚させるための手の込んだ回りくどい意見書をそれぞれ別々の形で女マネージャーに提出するというドロドロとした覇権争いに発展してしまいました。

この流れで、私は、元々いるこの二人の同僚の医師としての質をチェックする役割をボスから頼まれます。過去数年間の彼らのカルテチェックや手術後経過、どのように患者に課金しているか(医師が患者に課金するのに、アメリカのやり方を導入した非常に細かい厳格なルールがありました)などを全て洗う役割です。皆さんも想像できるとおり、これにはかなりの時間がかかりました。勤務時間の合間を縫って、早く病院に行き、もしくは遅くまで病院に残り、1件1件当たります。1人の医師の方が面白いようにボロが出てきて、あっという間に10件ほど、医師の平均=スタンダードに適合していないという資料を集めることができ、完璧な裏付けレポートは全て私が作りました。本人からは散々猛反撃されましたが(スパイをしたのはお前だろう)(はい、私ですとは認めなかったけど多分バレていた)、病院トップ会議にかけられ、彼はあっけなく解雇されました。

ただ、難しかったのはもう1人の方です、患者からの人気もあり、女マネージャーのお気に入りでもあったもう一人の若手イケメン君の場合は私の陰湿なスパイ詮索行為ではボロを掴むことができず、結局 ボス vs このもう一人のイケメン君 でトップ争いまで持ち込まれることになり、どちらが整形外科のリーダーに相応しいか、病院トップ本会議にかけられるという馬鹿馬鹿しいあり得ない展開。誰の目にも明らかにボスの技術、力、経験、全てが優っているのにも関わらず、接戦となったのはやはり中国という国がいつも個人的な繋がりを非常に大事にするコネ社会である証明ですね、日本もある意味、そうだけどね。

ボスはイケメン君に僅差で勝利(僅差という情けなさよ . . .!)したのは良かったのですが、この頃になると私はこのドロドロとした世界にだんだんと嫌気がさすようになっていました。ボスのことは相変わらず尊敬していたし、大好きなままで、彼のサポートをずっとしていてあげたいと思いましたが、医師としての仕事を頑張っているという充実感はいつの間にか、大きな政治的な争いに勝つことが目標になってしまっていて、そんなことに巻き込まれていることが自分の性に合っていないということもどうしようもない事実でした。そしてこの元からいた同僚二人から散々悪く言われ(まあ自業自得ですが)恨まれていることへの懺悔もしたかったのです。私は結局外国人だから、いつか消えるのが当たり前、それがいちばんの懺悔。

そしてその頃、中国共産党のトップは独裁者への道をどんどんと進んでおり、リベラルな大学教授は失脚などのニュースが細々と流れ、ネットを見ていると警察から「!!!警告!!!」と画面が急に切り替わるような恐ろしい国。4年前に比べると恐怖政治が進んでいるのが明らかでした。銀行口座も、友人関係も、友人とのwechat(SNS)のやり取りも、全てが監視されている社会です。これに息が詰まった、そして皆さんもご存じの大気汚染にももう辟易していました。あ、余談ですが北京で襲われた話も一度書いてます。

4年。
もういいかな。

北京にて(2017)

一度そう決めると後は急いで新しい職探し。日本からでなく、中国からの出国で英国に就職するのはなかなか大変でしたが、2017年からこうやって今の英国に住んで働いています。

英国では北京での生活に比べるとこれ以上にないほどの真逆なのが面白いです。政治的ないざこざが皆無、お金のやり取りも皆無。北京では1から10までお金の話(保険会社含む)、英国では医療費は全員無料ですからね。医師の給料も、この資格を持っているX年目の医師と検索をかければ、大っぴらに給料が載っているので、同僚と2倍以上の差みたいなことは一切ありません。正々堂々、医療に専念できます。だから今の職場が大好きです。今の私はやっと自分のサイズにあった池を見つけたカエルです。


*後で知ったのですが、中国で北京オリンピックが開催されようというとき、全てのタクシードライバーへ外国人客への

  • 年齢

  • 結婚しているかしていないか

  • 給料はどのくらいもらっているのか

などの質問はしてはいけないというおふれが出されたそうです。つまり、中国人て初対面の人に何の躊躇いもなく、そういうことが聞けるということです。確かにこのおふれが出たにも関わらず、タクシーに乗るたびにいきなり上記の質問をされるのは日常茶飯事、クリーニングや野菜を届けてくれる使いっ走りの兄ちゃんが、やっぱり同じことを玄関先で聞いてきたりしたので、もっと早く無茶苦茶ぶりに気づいておくべきでした。


あ、最後になりましたが以上、写真も含め全てフィクションですので、中国共産党の皆様、ご心配なく。


おまけ

**愛人と書いていて思い出しました。

中国語(普通語、マンダリン)を習っていたとき、どうしても笑っちゃう単語がありました(初心者なら必ず通る道のりです)。


烟 yan → タバコ
汽车 qiche  → 自動車
火车 huoche → 汽車
手纸 shouzhi  →  ちりがみ
东西 dongxi  → 品物
丈夫 zhangfu →  夫
娘 niang → お母さん
**爱人 airen → 連れ合い(妻)
情妇 Qíngfù → 愛人
麻雀 maque → スズメ
走 zou  → 歩く
告诉 gaosu → 告げる
勉强 mianqiang  → 無理する
野菜 yacai → 山菜
床 chuang  → ベット
新闻 xinwen  → ニュース
饭店 fandian  → ホテル
老婆 laopo  → 女房
约束 yuesu → 拘束する
小心 xiaoxin  → 気を付ける

**愛人は妻や連れ合いのことで、日本でいうような「愛人」の意味合いは中国語では全くありません。漢字をみても、愛人が日本のいう2号さんみたいにな意味になるのはちょっと捻くれているとしか思えないですよね。中国語の「情婦」が愛人の意味にはぴったりだと思います。

中国人男性が横にいる妻を指差して老婆 (laopo)という、遣隋使さんは「ああ、老婆というのは老婆(ろうば)のことだな」とメモする。どれだけ妻が年寄りに見えたのでしょうか。さらに「娘」が実はお母さんを指す言葉だったりする . . . 混乱した遣唐使→そのまま現代の中国語を習う全ての日本人が混乱しているのです。

日本人が使う大丈夫?が中国人には大きな(もしくは年上の)夫を指すかもしれないなんて!



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