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その頃のヴェネツィアに行ったみたいな気持ちになる、ピエタ

運転しながらの通勤途中のオーディブルで聴く本は、あまり複雑すぎないもの、そしてできればドキュメンタリーが好みなんですが、選ぶ理由はもうランダムなんですね。どなたかのレビューを見ていていいなという理由があってのこともあれば、アプリのおすすめで出てきたものをそのまま選ぶということもあります。今回は後者。

大島真寿美さんのピエタ

誰もが知っている作曲家のヴィヴァルディ(1678-1741)。中学の音楽の授業で四季を何度も聴かされたし、なんなら、「北国の冬はきびしく辛いけど母さんと歩いた道はあたたかい思い出だけ れんげの春 トンボの秋 忘れません 声をあわせうたった あの歌」の歌詞でお馴染みすぎて、もしラジオから四季が流れてきたらちょっとデザート尽くしすぎてお腹いっぱいになってしまいますよね。

でも、ヴィヴァルディが、ヴェネツィアに生まれ、オーストリアのウィーンで没した、とか、赤毛であった、とか、ヴァイオリン奏者だったとか、そしてヴェネツィアのピエタ慈善院付属音楽院 のヴァイオリン教師をしていたとか、そういう生きた人としてのヴィヴァルディのことは全然知らないし、想像さえしたことがありませんでした。なんていうか、あまりにも有名な(しかも外国人の)昔の人の名前って、敢えてなかなか身近に感じられる機会がないものです。

そこを、大島真寿美さんのピエタ。

一気に18世紀のヴェネツィアです。そしてあの仮面舞踏会カーニバルのヴェネツィアを体験しているかのような臨場感。そういう史実に基づいた小説って歴史を勉強するという感覚なくしてスウっと頭に沁みてくるところが、もう大満足感満載。小泉今日子さんの朗読もとても素敵でした。やっぱりオーディブルは誰がどんなふうに読んでくれるかで成功不成功がかなり変わってくるので、小泉今日子さんの朗読はかなり大きな成功要素を占めていると思います。最初から最後までとても楽しめました、音楽も食べ飽きた感のあるヴィヴァルディの四季があえて?使われていないので、程よく収まり邪魔になりません。

個人的にはプラハで実物を見た、画家のカナレット(1697-1768) が登場するところが、嬉しかったですね。

記事にした時の写真のスクリーンショット
この絵はとても巨大なんですが、隅々まで細かく描かれております
いつまでも眺めていたい . . .

プラハでカナレットの絵を見るまで、ほぼカナレットについては知らなかったのですが、もともと舞台美術家であったことや英国ロンドンとのつながり、ゴンドラから眺めたヴェネチアの風景の様子がピエタの本の中で生き生きと描写されており、心躍りました。多分、カナレットのせいで、その後、今でさえ、ヴェネチアの風景画がお土産屋さんでどこでもかしこでも大量生産されることになったのではないでしょうか。そのころの黄金のヴェネチアの様子を伝えてくれるオリジナルの素晴らしさ、貴族のヴェロニカの美しい居間にカナレットの絵が掛かっているのも、まるでその写真を見たかのように頭の中でしっかり再生できます。

そうそう、最近日本でもカナレット展があったのですね。素敵記事を発見しました。


そしてですね、「ほんとのコイズミさん」というサイトを見つけました。


コイズミさんも初めて読んだときに「これ本当に日本の作家が書いているの!?」と驚いたとおっしゃっておりました。そして、キモの質問、どうして「ピエタ」を書こうと思ったのか、そのきっかけ・動機・理由なんですが、作者の大島さんによると、

私はクラシック音楽=ヴィヴァルディだった。ヴィヴァルディの演奏を聞くと頭の中にひらひらが動いて、スカートの裾なのか、カーテンの裾なのかわからないけどそのうごめくひらひらを、なんだろうなんだろうといつも思っていた。ヴィヴァルディが孤児院で教えていたという事実を聞いて、それでピンときた。

作者の大島さんの説明、「ほんとのコイズミさん」より

という、これはもう天才か?というような話で、なんてそういうところからスタートするものなのかとあっけに取られました。私はクラシック音楽狂の夫のせいで今までどれだけ生演奏、CDレコーディングに関わらず、クラシック音楽を聴かされておりますが、一度も、そんなひらひらインスピレーションに見舞われたことはありません。

でも、数あるコンサート体験の中でも、ヴェネチアのSan Giorgio Maggiore島(ラグーン)の教会でヴィヴァルディの四季の演奏を聴いた記憶がしっかりと残っていて、四季の中の「夏」のヴァイオリンが雷のようにギンギンにスピード感に溢れていたことをよく覚えています。作曲家であるヴィヴァルディが凄腕のヴァイオリニスト*であったからでこそ、なのかもしれません(凄腕のヴァイオリニスト*についての記述は下の方に)。

バロックを発展させたヴィヴァルディ (画像はネットより)


大島さんのストーリーは、いろんな資料を元に想像を膨らませて作られており、例えば、ピエタ孤児院(慈善院付属音楽院)の何年に捨てられて何年にどの楽器を弾いていたというイタリア語のリストを見て、アンナ マリアやエミーリアの話になっている。孤児院の一日のスケジュールを見て、祈りの時間帯を知り、そういう細かいところが物語の中でいつも大事な雰囲気を醸し出しているように思います。1年かけて書き上げたというのも頷けます。

最後に、イギリスの新聞、ガーディアンの中でもとても興味深い記事を見つけたので、グーグル先生に翻訳してもらったのをほぼ全文、こちらに紹介させてください。


意外なことに、この話はカリフォルニア州パロアルトで始まります。2019年の夏、私とパートナーは賃貸アパートに住んでいます。棚には造花の観葉植物や自己啓発本が並んでいるようなアパートです。Lulu Lemonを着たテック系の男たちがジョギングで通り過ぎます。人生を変えるような発見があるとは思ってもいませんでした。

ある日、棚から一番近くの本を取り出し、パラパラとめくり始めました。ヴェネツィアの孤児院に関する一節に出会いました。アントニオ・ヴィヴァルディがここで教え、彼の教え子たちが18世紀の最も偉大な音楽家になったと書かれています。私はプラスチックのアロエベラを倒しそうになりました。私は過去10年間ジャーナリストとして、素晴らしい女性たちの語られざる真実の物語を探し求めてきました。私は音楽一家の出身です。バッハ、モーツァルト、ヴィヴァルディといった偉大な音楽家の音楽が、私の幼少期のサウンドトラックでした。なぜ私はこれについて聞いたことがなかったのだろう?

私はそして、この件について調べ始めたのです。

孤児院が作られたのは、ヴェネツィアの運河で私生児が溺死していたことが一因だった、ピエタの少女たちは、通常は男性専用の楽器を演奏することを許されていた、ピエタの少女たちは演奏でお金を稼ぎ、王や女王と交流していたことなどを知ったのです。「ピエタがこれほど有名なのは、楽器奏者が全員本当に優れた音楽家であるというだけでなく、アンサンブルに男性がまったくいないのに、すべての楽器を女性が演奏しているからだ」と、ザクセン公フリードリヒ・クリスティアンは 1704 年に彼らの演奏を見た後に書いています。

左がピエタ孤児院の写真 ガーディアンの記事から

ヴィヴァルディは生涯のほとんどをピエタで過ごし、そこでほとんどの曲を作曲したことを知りました。そこで学んだ何百人もの少女や女性の中で、アンナ・マリアという名前が何度も​​出てきます。天才バイオリニストの彼女は、ヴィヴァルディのお気に入りの生徒でした。彼は彼女のためだけに多くの曲を作曲しました。この実験的な環境、アイデアを試す才能ある女性ミュージシャンがたくさんいて、アンナ・マリアが傍らにいたことで、ヴィヴァルディはまったく新しい音楽形式を完成させることができたのかもしれません、例えば、最も有名な「四季」が実現されたのも。私は疑問に思い始めました。これらの少女たちがヴィヴァルディの作品の作曲を手伝った可能性があるのだろうか?

数か月後、私は鮮明な白昼夢を見始めました。私は、揺らめくろうそくに照らされた長い石造りの廊下を若い女性の後を追っています。彼女は光沢のあるバイオリンと弓を傍らに持っています。私は彼女に振り返ってもらい、私を見てもらい、何か言ってもらいたかったのです。しかし、女性はスピードを上げて走り始めました。これがアンナ・マリアであることはわかっています。でも、彼女はヴィヴァルディの作品にとってどれほど重要だったのでしょうか、謎は解けません。

本当のアンナ・マリアを見つけることが私の執着になりました。

ある秋、大英図書館で、彼女、アンナ・マリアが何度も聴衆から注目されたことを読みました。1739年、フランスの政治家シャルル・ド・ブロスは彼女の才能を「比類のない」と評しました。1740年頃の詩には、アンナ・マリアについて「世界中を探しても、女性でも男性でも彼女に匹敵するものは見つからない」とあります。貧しい孤児だった少女が、18世紀の最も偉大なバイオリニストになるまでの道のりはいかにしてだったのでしょうか。

ピエタの孤児のリスト ガーディアンの記事から

15 世紀から 16 世紀にかけて、幼児殺害、疫病、飢餓が急増したヴェネツィアは、孤児の世話を含む社会福祉政策を展開しました。孤児はピエタ孤児院に迎え入れられました。この動きは「歴史上前例のない」ものだったと、ヴェネツィアの女性音楽家たちの著書「ヴェネツィアの女性音楽家たち」の著者ジェーン・L・バルダウフ・ベルデスは述べています。このような慈善活動が可能だったのは、ヴェネツィアが何世紀にもわたって経済的、政治的に安定していたからです。教会ではなく、君主制、寡頭制、民主主義が混在する政府が統治していました。市民は自由、共感、そして他のどこにもない芸術を育む機会を得ました。

マルク・パンシェルレは著書「ヴィヴァルディ: バロックの天才」の中で、18 世紀までにヴェネツィア共和国には「音楽熱」が高まったと書いています。昼夜を問わず、ヴェネツィア人は街路や運河で歌い、各ギルド=組合(?) は独自の曲を持っていました。 「音楽がなかった時代も場所もなかった」。
男の孤児は幼いころから働かせることができたが、女の孤児が大勢いる場合はどうしたらよいか。ヴェネツィア人は、彼女たちに音楽教育を与えることに決めたのです。楽器を教え、音楽をコピーして自分で作曲する方法を学ばせたので、ピエタは、並外れた音楽的才能を持つ女性の世代を生み出すことになったのです。スーパースターとしてのキャリアを持つ女性、野心的で競争心が強く、決断力のある女性。演奏だけでなく創作もできる女性たち。

彼女たちの師であるアントニオ・ヴィヴァルディは、聴衆を驚かせた並外れた演奏家であり作曲家だったそうです。「彼は弓が入る余地がほとんどないほど、ブリッジからほんの少し離れたところに指を置いた」と、1715年のカーニバルで彼の演奏を見た観客は書いている。

「彼は4本の弦すべてをこのように弾いた . . . 信じられないほどの速さで . . . 誰もが驚いた」。
(*凄腕のヴァイオリニストだったという記述)

この音楽に対する熱狂は、ヴィヴァルディの時間を奪います。ヴィヴァルディはオーケストラだけでなく外部のクライアント(貴族や王族)のためにも、際限なく作曲を依頼されました。ヴィヴァルディは需要に応えるために、ピエタの女性や少女を含む数人の写譜家と協力しました。その中の一人がアンナ・マリアでした。

写字生は、しばしば、以前の作品の断片から、一見新しい作品を組み立てるよう求められた」とマイケル・タルボットは著書『ヴィヴァルディ』で書いています。ヴィヴァルディ以外の筆跡を含む写本や、ヴィヴァルディによる追加や修正が加えられた非自筆写本は非常に一般的なのだそうです。このことから、作曲という行為は共同作業だった可能性もあるわけです。私はヴィヴァルディ研究者でマイケル・タルボットの作品の一部を改訂しているニコラス・ロッキーに連絡をとりましたが、ロッキーにはピエタの生徒が作品の創作を手伝った可能性は低いと言われてしまいます。

しかし、私の想像力は今や湧き上がり、私はさらに掘り下げていきます。

ピエタの孤児の何人かは、多くの模写家に加えて、作曲家であったことがわかりました。研究論文「女性と音楽」の中で、研究者のイヴ・ベシエールとパトリシア・ニエツヴィエツキは、ピエタを「ヴィヴァルディに『音楽の素材』を提供した名人の育成所」と表現しています。ピエタの生徒であるラヴィニアからの手紙の中で、「カンタータ、協奏曲、さまざまな作品は、秘密に、ヴィヴァルディのスタイルを模倣して作曲しなければなりませんでした」と書いています。「もし誰かがそれを知ったら、私は悲惨な目に遭うでしょう。」

私はもう一人の学者、ヴェネチアの女性音楽家に関する第一人者であるヴァネッサ・トネッリと話をしました。これらの少女たちがヴィヴァルディの作品の作曲を手伝った可能性はあるのでしょうか?

「アンナ・マリアはヴィヴァルディの協奏曲のために、独自のソロ・カデンツァをデザインしたに違いありません」と彼女は言います。彼女の説明によると、女性音楽家が所有していたパートブックがいくつか現存しており、その中には余白に音符やソロのラインが走り書きされている例があるそうです。「音楽家はカデンツァ、装飾音、その他のソロのラインを即興で演奏することが多く、その即興のアイデアを書き留めることもありました」

ピエタに関する多くの文書が今では紛失または破損しているため、本当のところは断言できません。それでも、この物語にはもっと何かがあるのではないかと思います。芸術全般において女性が果たしてきた役割を私たちが消し去ったり軽視したりしてきたという事実が隠れているように思います。私は、300年以上経った今、これらの素晴らしい女性や少女たちにスポットライトを当てたいと思い『The Instrumentalist』という本を書いています。

これらの少女たちがヴィヴァルディの音楽の作曲を手伝ったかどうか、彼女たちが音楽の創作に不可欠であったのではないか、そう考えながら私は小説を書いています。ベネチアの運河で溺死する運命にあった孤児の少女たちの集まりがなければ、世界で最も有名なクラシック音楽は生まれなかったでしょう。

Harriet Constable ハリエット・コンスタブル著『The Instrumentalist』



ピエタ 大島真寿美
本のおすすめ度 ⭐️⭐️⭐️⭐️


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山林
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