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大切なことは、本当に目に見えない?

サン=テグジュペリと村上春樹

サン=テグジュペリの『星の王子様』は「大切なことは目には見えない」という言葉があまりに有名だが、わたしはその後のこっちの方が好き。

きみのバラをかけがえのないものにしたのは、きみが、バラのために費やした時間だったんだ

サン=テグジュペリ『星の王子様』

なんで目では見えないんやったっけ?ってなっちゃうから、こっちの方が心に直に刺さる気がして。

ゾウを飲み込んだボアの絵


ところで、わたしの大好きな村上春樹も同じようなことを言っている。

「効能があろうがなかろうが、かっこよかろうがみっともなかろうが、結局のところ、僕らにとってもっとも大事なものごとは、ほとんどの場合、目には見えない(しかし心では感じられる)何かなのだ。そして本当に価値のあるものごとは往々にして、効率の悪い営為を通してしか獲得できないものなのだ。」

村上春樹『走ることについて語るときに僕が語ること』


効率とかそういう概念を超えて築き上げたものが、本当に価値あるものになり得る。

村上春樹にとって走ることは、書くことを支える重要な営みで、二つの行為は互いに干渉しあっているような感じ。副業ではないけどパラレルキャリア的な。

やはり、大切なものは目に見えない?


価値あるものは目に見えず、一朝一夕には手に入れられない…
個人的にはサン=テグジュペリもハルキムラカミもそう言ってるなら、まあそうなんやろう、と思考停止しかけた。

でも、ほんとうに見えないのか?

たしかに、費やした時間は目に見えないが、それほど大切なものを見つけるbeforeとafterでは、それが変数になって目に見える別のところにも著しい変化があるはずではないか?

恋をして景色の見え方が変わる

努力した経験が、新しいことにトライしてみたくさせる

大自然に触れて地球を守りたくなる


大切なものは、間接的に見ようと思えばどうにか見れるのではないか、というのが今の私の考えだ。

残念ながら、今自分の手でこの仮説を検証することは難しい。正直、生きていくのだけで手一杯。

私がまた大学生に戻れたら『大切なものは本当に目に見えないのか?』研究をぜひ行動心理学でしたいと思う。

大切なものはなんぼあっても良いですからね

脳科学者の中野信子が著書『ペルソナ』で「人間は多面体だ」的なことを書いていたが、たくさんの面の自分を持って、自分を確実に幸せにできる価値あるものをたくさん持っておくことはかなり重要だと思う。(ある意味、自己が崩壊しないためのリスクヘッジでもある)。

村上春樹で言うと、書く自分、走る自分、音楽を聴く自分、翻訳する自分…的な?
星野源で言うと、作曲する自分、歌う自分、演じる自分、書く自分…など。

それにしてもハルキムラカミ、すごすぎる。
なんでこんな文章思いついちゃうの…感動通り越して引いちゃう…

ぜひ、文脈の中で出会っていただきたい🏃‍♀️

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