健全な家庭は存在しない!?名越康文さんの「家族と絶望」という言葉に救われた
長らく自分の家庭のことを人に話せなかった。
その理由として
・言っても伝わりづらい
・そもそも人に言うもんじゃない
・機能不全的なところあるので言いづらい
などが挙げられる。
母子家庭だったこともあり、「自分の家だけ他と違うのでは?」という決めつけが自分の中にあったのも事実。
僕が思春期に入って兄が家庭で暴れ出し、まるでジャイアンみたいになって、僕はただただ怯える日々を過ごしていた。
そのことを人の言えるようになったのは、ここ最近かもしれない。
暴君化した兄へ長きに渡る恨みの感情があったことは確かだが、大人になって何とか折り合いをつけられ、今でも普通に話せるようになった。
20代前半に何がやりたいか、何ができるかわからなく数カ月、実家に引きこもっていることがあった。
母は何を言うでもなく、食事の用意をしてくれたが、このときの母子癒着している感じが辛かったとはっきりわかったのは、一人暮らしを始めてからだった。
家族は閉塞しやすい。内側へ向かいやすいのだ。
家族の問題を気軽に人へ伝えられない分、「こんなことになっているのは、うちだけかも?」という錯覚に捉われる。
テレビで流れる車のCMでは、健全な親子が愛情あふれる振る舞いをこれでもかと見せる。
僕はあの手のCMを嘘くさく感じてしまうので、見ていて気持ち悪くなる。
最近になって思うのだが、健全な家庭、健全な家族というのは幻想で、みんなどこかしら不健全な部分、破れ目のようなものを抱えている。
しかし、それを人に伝えるのは弱味を開示するようなところもあるし、日本人には「みっともないと思われたくない」という根強い信念、親に植え付けられた洗脳があるので、大っぴらに言いづらいのだ。
精神科医の名越康文さんの動画が好きで、学びを得られるためよく見ている。
ヤングケアラー向けの『ケアラーtube』というチャンネルに出演されている名越さんが、「誰でもみんな家族の中に絶望を抱えている」というテーマで語られていたのだが、これがとても良かった。
名越さんが「自分の家族を見てください。地獄ですから」「絶対、地獄の部分があるはずです」「それだけ(家族の問題点)に焦点を当てたら、ノイローゼになる部分を1つや2つや3つ絶対持ってるんです」という言葉を聞いて、「ああ、どこの家庭もそうなんだ」と心が楽になった。
・健全な家庭、不健全な家庭
・病んでいる家庭、病んでない家庭
みたいに白黒的な区分けをするから錯覚が起きやすい。
名越さんが語られたように、どこの家庭もきっと絶望的なところがある。
それを受容している人は「うちの家庭はこんな問題を抱えていて」と人に話せるし、否認、否定していたり受容できていないと、中々話せないだろう。
先日、大学教授の娘さんが権威主義者の父親が原因で精神のバランスを崩すにいたったという記事を投稿した。
ここの家庭なんか、恐らく父親は「うちの家族に問題なんかない」と強引に思い込んでいたのではないだろうか?
娘が刃物を握って暴れ回り警察を呼ぶ段階になって、「初めて、家族の問題を自覚した」というのでは遅すぎる。
noteに家族の問題書いて発信するというのも、立派な開示だ。
全ての家族はどこか不健全な部分がある。
この視点を持つことで楽になる人は、きっと多いはずだ。
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