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「モラハラ、パワハラの種」の自覚後の自己受容について
僕のnoteを読んでくださっている人は、「こいつ、よく自己愛という言葉を使うなあ」と感じられているはず。
歪んだ自己愛を持つ人間のことが許せず、「少しでも被害を減らせたら」と意気込んで書いたのがkindle書籍一冊目に出したこちら。
こちらの書籍の巻末で「少なからず自分も自己愛者と同じ傾向を持つことがわかりました」と正直に吐露した。
実は、一冊目を書くまで「自分は自己愛者とは無関係」という思いがどこかにあったのだが、書き進めていくうちに「いや、これ自分にも似た箇所があるぞ」と認めざるをえなくなったというのが真相。
正直言って認めたくなかったのだが、否定や否認を超えて受容できたときに「自分にそういう部分があると自覚しておこう」と思えるようになり、自己理解が深まった。
僕が定義している自己愛者というのは、歪んだ自己愛を持ち、それゆえ様々なハラスメントで周囲の人を苦しめる人達。
自己愛自体は誰しも持っている。
自分をしっかり好きでいるために、自分を愛する健全な自己愛は持っていた方がいいし、自分をしっかり愛せている人間の方が、他者に優しくしやすい。
度々、歪んだ自己愛者のことを記す僕は、彼ら彼女らに強い執着を持っており、明らかに意識している。
意識せざるをえないということは、他人事ではなくどこか重なりがあるということなのだろう。
アルコール依存症は「否認の病」と称されるが、受容したくないことを突き付けられたとき、多くの人は「自分は絶対に違う!」と声高に否認したがる。
ドイツの精神科医であるキューブラー・ロスは、人が受け入れがたい自身の死を受け入れるプロセスとして
否認(と隔離)・・・死を運命として受け入れられず、事実(検査結果など)を疑い、孤立する
怒り・・・「どうして自分が」と怒りを覚え、周囲にぶつける
取引・・・死の恐怖から逃れようとして、何かにすがろうとする(宗教、補完代替治療、寄付など)
抑うつ・・・死は避けられないことを悟り、喪失感(ロス)に絶望し、なにも手につかなくなる
受容・・・死を避けられない運命として受け入れ、心に安らぎを得る
上記の5段階を示したが、この過程を辿るには死だけに限らない。
受け入れがたい、目を背けたいことに目を向けてゆっくりと受容していく過程では、様々な葛藤がある。
そしてようやく受容できたときに、安心を得るのだ。
すぐに受容できる人の方が少なく、多くは時間を要する。
自分の負の面をしっかり認識して、「だからこそ人を傷つけないように注意しよう」というところまで落とし込むことは重要である。
「自分は絶対、加害者にはならず、そういったこととは無縁である」と思い込んでいる人は危険だと思う。
歪んだ自己愛者の周囲は死屍累々だが、それはきっと彼ら彼女らが、自身の負の面を認めずに「お前らのせいで自分が苦しむんだ」と他責、他罰の段階にとどまっているからだろう。
モラルハラスメント、パワーハラスメントの種は、もちろん僕も含めて多くの人が持っているし、誰にでもその兆しがある。
それを認めた上で、自分の負の部分をどう自覚し、コントロールして、他者と調和していくかが大事だ。
人はちょっとしたきっかけで、加害者にも被害者にもなるのだ。