HSPやINFJは「あなたがあなたでいること」を祝福することが「幸せへの第一歩になる」という話
幸福感は、自分軸がないと得られない。
我々が暮らす社会では、常に比較にさらされる。
ときには「自分は、あの人よりも幸せなのだろうか?」と比べることだってあるかもしれない。
結論から述べると、誰かとの比較が常態化している時点で、本当の幸せから遠ざかっている可能性が高い。
幸福感というのは、あなたの内側からじんわり広がるものだ。
「この行為が楽しくてしかたない」というのは、幸福というより快楽側に傾いている。
「依存的幸せも幸福の一種」というのは、自身の不都合な現実から目を逸らしたい人が好む論理だろう。
没頭できる時間は確かに幸せだが、ドーパミン中毒のような状態は、やがてあなたの心身を破壊するかもしれない。
幸せとは条件つきではない。
あなたがあなたに生まれ、あなたらしく生きている日々をリラックスした状態で、ごく自然に肯定できること。
きっとそれを幸福と呼ぶのだろう。
現代社会は、競争にさらされる機会があまりに多い。
競争させられていると、その人にとって重要な価値観が何かわからなくなる。
ラットレースに無理やり参加させられた人は、幸せであるかよりも、まず勝つことを目下の目標とする。「負けたら全てが終わる」という不安にかられている人ほど、ゆとりがない。いつも人を蹴落とすことに必死だ。
「勝ち続けているはずなのに、ちっとも幸せでない」という人がいる。こういった人に必要なのは、ラットレースから離脱する勇気かもしれない。
常々「他者よりも、自分の方がすごい人間であることを証明したい」と考えている人ほど、優越感を覚えることが幸福であると勘違いしている。
なぜそんな勘違いを起こすのか?
幸せでないからだ。
幸せでない人ほど、正しさや枠組みの奴隷になる。
幸せを感じる力が弱いから、あるいは欠落しているから「絶対に正しい何か」「揺るぐことのない何か」が欲しくなる。
気づけば正しさに依存して、正しさで人を裁き始める。
外側に基準を求めた時点で、他人軸になりかねない。
皮肉なことに条件や原理に依存すると、幸せはどんどん遠のく。
幸せはすでに、すぐそこにあるのだ。しかし、永遠にその事実に気づけない人もいる。
幸せに気づくには、勇気とゆとりが必要なのだ。そのふたつがそろえば、感謝が生まれる。
あなたがあなたでいることを、あなたが自然体で祝福する。
それが幸せへの第一歩になるだろう。