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HSPやINFJは、主語が大きくなっているときほど「個別具体性」のある「丁寧な認識」を心がけよう
大きな主語を使い、物事を決めつける人がいる。
「男というものは〇〇であるべき」「女は〇〇である」などといった言葉の使い方を平気でする人に会うと、僕の中で警戒心が高まる。
何でも十把一絡げにする癖がある人は、物事を正確に認識しようという意思がない。
こういった人ほど、「AはBである」といった単純な公式を、己の脳内作り決めつけることで思考する時間を省けると、無意識に考えているのかもしれない。
HSPやINFJは、主語を大きくしすぎずに、可能な限り詳細に具体的な認識をするといいだろう。
そういった認識を持つことで、多様的に捉えることができる。そして何事にも例外があるということもわかるはずだ。
そういえば三島由紀夫のある小説の中で「認識と行動のどちらが大事か?」を議論する場面があった。
行動の発端となるのが認識というのは往々にしてあるし、やはり「その人が、どういった認識を持っているか?」は重要だ。
アルバート・エリスのABC理論のB(Belief)も、認識の一種だろう。
認識や認知が変化することで、結果や結論が変わる。
つまりどういった認識の習慣を持っているかによって、人生は大きく変化するのだ。
主語が大きくなっているとき、もしかしたらあなたは物事に向き合いすぎて疲れているのかもしれない。
丁寧な暮らしを心がけている人でも、コンディションや状況によって捉え方は雑になる。
人間なのだから、そういったときがあって当然だ。
ただしそういうときほど、自分のズレに気づいて早めに修正したいものである。