「心の傷や痛みの比較は不要」INFJドアスラムの実例
今回書くのは、すでに関係を絶った人のお話。
もう二度と会わなくなった人とのお話。
その人は、大変傷つきやすい人でたくさんのトラウマや痛みを抱えて生きていた。
ものすごく不器用な生き方しかできない人だった。
自分と重なることもあり、一時期仲良くなったのだが、ある一言がきっかけで「もう付き合うのはやめよう」と思った。
この人との事例にように、僕はある瞬間から「もう関わらないでおこう」と決意することが稀にある。
INFJ特有のドアスラムというやつだろうか。
一瞬で心のドアを閉じて、その人には何があろうと二度と開かなくなるのだ。
その人が僕に向かって放った言葉。それは「あなたの心の傷なんか、私に比べたら全然大したことない。そんなことで悩むなんておかしい」というもの。
つい感情的になって、口にしただけかもしれない。
しかし、この言葉を吐かれた瞬間「ああ、この人は自分の世界観のみで生きる人か」「他人に関心がなく、自己執着の塊だ」と得心した。
そして付き合うのをやめようと思い、それ以来二度と会っていない。
恐らく、上記の一言を耳にした瞬間、僕は深く傷ついたのだろう。
心の傷や痛みは、その人特有のものなので誰かと比較するものでもなければ競うものでもない。
人間が社会性を身につけた瞬間、他者と比較する機会が自然と増えた。
しかし、そもそも比較する必要がないものも確実にある。
そして比較することで苦しみを生み出すこともある。
「あなたの傷、悩みなど大したことがない」と言われた後、僕はあることを心がけるようになった。
自分の大切な人が、心の傷や痛みで苦しんでいたとしたら、できるだけ寄り添い「その人の視点では、どう感じるのだろう?」と可能な限り、想像を巡らすようになったのだ。
傷や悩みは当事者固有のものだ。
もちろん当人と同じように感じることは無理だろう。
自分の価値観や尺度で一方的に人をジャッジするのを避けるために何ができるだろう?
やはり相手の視点をどれだけ意識できるか、想像を巡らすことができるかが、大事になるはずだ。