努力不要論「HSPやINFJは苦を伴う矯正&強制より本来の自分にふんわり戻る感覚を大事にした方がいい理由」
日本の教育は、長所を伸ばすよりも短所を克服することに重きが置かれている。
圧倒的な成果を出す天才よりも、平均的で凹凸や個性の少ない人間を増やそうとしているように映る。
「スペシャリストよりもゼネラリストを」といった感じで、社会に適応する人間を大量生産するような鋳型にぎゅぎゅっと押し込むようなアプローチを行ってきた。
高度経済成長期は、そのやり方がドンピシャで合っていたが、今はもう形骸化している。
全員を同一の鋳型に当てはめる手法はもう古い。
そちらに関しては過去に投稿したこちらの記事で触れている▼
儒教文化の影響か、軍国主義の名残か日本人は努力や苦労が好きだ。
真面目な国民性ゆえなのだろう。
自他に厳しく、血がにじむような努力を重ねて自己の変容を望むところがある。
力道山のプロレスではないが「耐えて耐えて耐え抜いて最後にカタルシスを覚える」みたいな展開を好む人も少なくない。
「エヴァンゲリオン」の碇シンジのように「〇〇しては駄目だ!」みたいに考え、自分へ課した禁止令で苦しむ人がなんと多いことか。
苦労、苦心、苦行、苦役など「苦」のつく言葉が日本語には多く「苦労した人だけが成長し、成功できる」といった神話が今でも信じられている。
これらは全て噓である。
傍からは「ストイックで努力の塊」と映る人は、目的があって自分を変容させるのが楽しむため、その行為に没頭しているような印象を与えるに過ぎない。
それは誰かから強制されたことではなく、自分を苦しめるものでもなく、意欲的に主体的に選んでいるため当人にとって必要な行為なのだ。
人は腑に落ちたときに変われる。「気づけばすでに変わっている」といってもいいだろう。
「あっ、そういうことだったのか」と腹落ちした瞬間、変容するのが人間なのだ。
実はそこに強制力はない。
ふわっと柔らかく変容するようなイメージだ。
「柔よく剛を制す」ではないが、本当に強い人ほどしなやかである。しなやかな人とは素直さで変わることを恐れず人の話にまず耳を傾ける姿勢を持つ。そして、さまざまな場面を楽しめる人のことを指す。
反対にカチコチに凝り固まった一見、強く見える人ほど変化を恐れて保守的だ。すぐ怒りだしマウントをとりたがる人ほど、怯えが常態化し他責することでギリギリ心のバランスを保っているのだろう。
心優しいHSP、INFJは元来しなやかに変容する力を持っている。
なので社会に矯正された偽りの鎧のような自己から、本来の自分にふわっと戻るような感覚が持てれば生きやすくなる。
自分に鞭打つような生き方は、HSP、INFJにフィットしない。
瞬間、瞬間を楽しみ、好奇心に目を輝かせ、変化を積極的に楽しみ受け入れる。
岩のように硬くなるのではなく、水のような柔らかさで軽やかな柔軟性を持ちながら日々を味わう。
そういった暮らしが送れる環境を整えれば、HSP、INFJのあなたの人生がさらに豊かになるのは間違いない。