HSPやINFJは、自分の全てを「ジャッジせず受容する」ことで、等身大のあなたらしい人生を歩めるようになる
我々は、気がつけばこの資本主義社会に投げ出され日々、競争させられ優劣というジャッジを受けている。
本当に「気がつけば……」という感じなので、そもそもそういった価値観を疑わない人も少なくない。
しかしそういった価値観は、外側から後天的に与えられた事実であることを忘れてはいけない。
もちろんアスリートのように競技を生業にする人は、競争で勝ち抜かねばならないし、勝負の中に生きがいを見い出す人もいるだろう。
しかし一方で「自分の方が優れている」「自分はここが優れている」と絶えずアピールしなければならない社会に、著しく疲弊する人もいる。
ずっと誰かからジャッジされる人生はつらいものだ。
弱みを見せた瞬間、攻撃され潰されるような世界もつらい。
恐怖や不安を覚え、仮面をつけないと、まともに生きられなくなっている人がどれだけ多いことか。
ジャッジされ続けた人は、いつからか誰かをジャッジし返すようになる。その結果、マウント合戦という残念な方向へ進んでしまう人も少なくない。
何かに対してジャッジをする癖がついた人は、必ず自分自身を厳しくジャッジする。
中には自身の長所や強みだけを見るようになり、短所から目を背ける人もいるだろう。
こういった内面の傾向は、他者へしばしば投影される。
「特定の条件だけを満たしたときだけ、猫かわいがりする毒親」というのは、自分の短所から目を背け続け、条件つきで自分を承認してきた人たちの別名だ。
結局は、自分にやってきたことを子供にも同じようにやっているにすぎない。
外出したとき、たまに目くじらを立てて店員さんにクレームを言っている人を見かけるが、クレーマーになる人ほど日頃から自他を裁き続けている。こういった人ほど晩年、孤立に陥りやすく、行き先は辛いものになる。
クレーマーも毒親の、その精神性は驚くほど似ている。
刃物を手放せない人なので、その刃物を外側に向ければ加害者になる。毒親が自ら亡くなる確率が割りと高めなのは、弱り切ったとき、ふいに刃物を自分へと向けてしまうからだろう。
刃物を手放さないということは、自分か他者のどちらかを傷つけるということだ。
黒澤明の「椿三十郎」ではないが、いい刀は鞘に収まっている。常に刀を握り続けなければならない人は、鞘すら持たず絶えず誰かの影におびえている。刀を握るその手は、緊張で汗ばんでいるにちがいない。
自分を裁こうとしない人は、人も裁かない。
ジャッジを手放すと優しくなれるし、温かさを感じた人が自然と集まる。
「生きるとは誰かを裁くこと」という勘違いに気づけた人は、幸せに向かって歩み出せる。
誰も裁かなくていいのだが、いつからか「裁きなさい」という価値観を植えつけられ争う人生を抜け出せなくなる人も。
「自分も相手も裁きなさい」という価値観は、呪いのようなものである。
あなたが自身にかけられた呪いに気づけたときに、あなたはあなたらしい生き方をできるようになるだろう。
合わない価値観を無理に背負わされたことで、これまでのあなたの人生は重たいものだったかもしれない。
勇気を出して鎧を脱ごう。
それさえできれば、あなたの足取りは軽くなる。鼻歌交じりに歩ければ、空を見上げる余裕だって生まれるだろう。
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