![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/169965814/rectangle_large_type_2_b53b2ea0a0a511b54031b91cf558bd6c.jpg?width=1200)
犬のかたちをしているもの|高瀬隼子
ひどい、が読み終えたとき最初に浮かんだ感想だった。出てくる人みんなひどいな、冷めてるな、でも人間らしさもあるな。良く捉えれば自分と向き合っていて、悪く捉えれば自分勝手で他者に対して思いやりがない。そんな登場人物たちを愛せるわけがなかったけれど、『おいしいごはんが食べられますように』を読んだ時と同様に、「こういう人いるよな」と思わせる作品だった。
タイトルの「犬のかたちをしているもの」とは、主人公が飼っていた犬に対して抱いていた愛の重さ(かたち)である。付き合っている彼氏に対して、ロクジロウ(犬の名前)と同じくらい愛せているだろうか、と愛の指標にしている場面が印象に残っている。果たして犬に対しての愛と、人間に対する愛は同じ種類なのだろうか?見返りがなくても満足する愛が真実の愛なのか?でもそれは現実的に難しいと思う。犬に対してならまだしも、人間に対して見返りを求めないなんて、それは自分が傷つくばかりではないか。
「女性」に生まれたことについて考えてみる。子供という文字が浮かんでくる。子供を産むことができる。いいや、もしかしたら病気か何かで産めない体かもしれない。でも、男性のように初めから子供を産まないように出来ている体とは違う。子供を、と考える時に色んなことに考えを巡らす必要がある女性と違って、男性はその全てを考えなくても成立してしまう。それがとても残酷なことのように思える。この小説に出てくる主人公の彼氏も本当の意味では優しくない。何も考えていない。それでいて責任から遠い。だから考えなくなるのだろう。
高瀬隼子の文章は読んでいると痛いところを突かれた、という気分になる。目から逸らし続けていたものを真正面から向き合わなければという気持ちにさせる。私はこの小説を女性よりも男性に読んで欲しい。出来れば大人になる前に読んで欲しい。しっかり責任が取れる大人になって欲しいから。高校生の課題図書にしても良い気がする。
間橋薫、30歳。21歳の時に卵巣の手術をして以来、男性とは付き合ってしばらくたつと性交渉を拒むようになった。ある日、郁也に呼び出されコーヒーショップに赴くと、彼の隣にはミナシロと名乗る見知らぬ女性が座っていた。そして「間橋さんが育ててくれませんか、田中くんと一緒に。つまり子ども、もらってくれませんか?」と唐突な提案をされる。セックスもしないし出来にくい身体である薫は、考えぬいたうえ、産まれてくる子供の幸せではなく、故郷の家族を喜ばせるためにもらおうかと思案するのだったが……。
(一部抜粋)