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いつか月夜|寺地はるな
歩くことに取り憑かれていた時期がある。何か目的があるわけでもないのにひたすら歩く。最初の方は雑念に駆られるのだが、歩いていくうちに疲れて考えることをやめる。そうすると、知らぬ間に心が落ち着いていくのだ。「走る」よりも「歩く」方が自分には合っていた。
『いつか月夜』では、モヤヤンという不安の塊が登場する。モヤヤンは人や大きな丸に形を変えて、突然やってくる。主人公はそのモヤヤンが出ると散歩に行くことにしている。その不安の対処の仕方が私と似ていて主人公に親近感を覚えた。
最初は一人だった散歩だが少しずつ人数が増えていく。不安だけでなく、怒りや寂しさを抱えている人たちの夜の散歩。互いに悩みを打ち明けたり、打ち明けなかったり。主人公はかなり慎重な性格で、何を話すか/話さないかをぐるぐる考えている。その姿にもしかしたら苛々するかもしれない。何せ主人公はずっと悩んでいるのだ。それが解決するわけでもなくぐるぐる、ぐるぐる。
でも、私はそんな主人公を好きだなと思った。思ったことをすぐ口にする人よりも良い。必要以上に干渉せず、悩みを打ち明けても静かにただ頷いてくれる。何もしていないだけだと指摘されるかもしれないが、寄り添いには色んな形があって良いと気づかせてくれた。
印象に残っているのは母の「わたしのさびしさは、わたしのもんや」というセリフだ。結局悩みというのは、その悩みを持つ人にしか解決できない。どれだけ想像力を働かせても、それが正しかったかなんて分からない。一見突き放しているように見える行動が、誰かを守る行動に繋がっているかもしれないと思えたことがとても良かった。
会社員の實成は、父を亡くした後、得体のしれない不安(「モヤヤン」と呼んでいる)にとり憑かれるようになった。特に夜に来るそいつを遠ざけるため、ひたすら夜道を歩く。そんなある日、会社の同僚・塩田さんが女性を連れて歩いているのに出くわした。中学生くらいみえるその女性は、塩田さんの娘ではないという……。やがて、何故か増えてくる「深夜の散歩」メンバー。皆、日常に問題を抱えながら、譲れないもののため、歩き続ける。いつも月夜、ではないけれど。
(一部抜粋)