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サラバ!|西加奈子

初めて『サラバ!』を手にした時、ボリューム!と思った。一人の人間の三十七年が詰まった作品だから、上・中・下にもなるよね。暗い話が続いて読み進めるごとに辛くなったけれど、スピード感に押されてあっという間に読んだ。

姉が歩に向けて言った「あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ。」という言葉が印象に残っている。信じると言えば、この作品には様々な「宗教」が登場する。イスラム教、ヤコブが信仰しているコプト教、仏教、ユダヤ教。拠り所という意味では矢田のおばちゃんが生み出した「サトラコヲモンサマ」も。

きっと人はそんなに強く出来ていなくて、何か拠り所なり、信じるものがなくては心が負けてしまうときが来るのだろう。辛いことを乗り越えるために必要なものを「信じる」。それはとても自然なことだと思う。人によっては宗教かもしれないし、物や身近な人かもしれない。姉にとっては幹だった。

信じることはプラスばかりではない。『サラバ!』には、信じたことで起こりうる「危うさ」についても書かれている。地下鉄サリン事件や、消えていくサトラコヲモンサマの行く末、エジプトで起こった「アラブの春」。信仰は危険とも隣り合わせなのだ。悪い人に騙されるかもしれない、怪しい宗教に入ってしまうかもしれない。信じるものを誰かに決めさせてはならない、という姉の言葉がじわじわと効いてくる。

話は三十七歳の歩の目線で語られる。姉に比べて順風満帆に進んでいた歩が、人生に立ち止まったときに書こうと決意したのが、この『サラバ!』という小説だ。最後にはこう書いている。

ここに書かれている出来事のいくつかは嘘だし、もしかしたらすべてが嘘かもしれない。登場する人物の幾人かは創作だし、すべての人が存在しないのかもしれない。僕には姉などいなくって、僕の両親は離婚しておらず、そもそも僕は、男でもないかもしれない。

p.285(文庫 下)

私たちが『サラバ!』の何を信じるかは、私たちに委ねられている。そんなメッセージを残して終わっていくので、本を閉じた後でも『サラバ!』が続いていくように思えた。

僕はこの世界に左足から登場した――。
 圷歩は、父の海外赴任先であるイランの病院で生を受けた。その後、父母、そして問題児の姉とともに、大阪での新生活を始める。幼稚園、小学校で周囲にすぐに溶け込めた歩と違って姉は「ご神木」と呼ばれ、孤立を深めていった。
 そんな折り、父の新たな赴任先がエジプトに決まる。日本人学校に通うことになった歩は、ある日、ヤコブというエジプト人の少年と出会うことになる。

小学館(一部抜粋)

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