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『月の満ち欠け』 佐藤正午

月の満ち欠け
佐藤正午/岩波書店

あたしは、月のように死んで、生まれ変わる――この七歳の娘が、いまは亡き我が子? いまは亡き妻? いまは亡き恋人? そうでないなら、はたしてこの子は何者なのか? 三人の男と一人の女の、三十余年におよぶ人生、その過ぎし日々が交錯し、幾重にも織り込まれてゆく、この数奇なる愛の軌跡。

私は『夏の情婦』という短編集で佐藤正午を知った。整えられた文体や艶っぽい表現に惹かれて、もっと佐藤正午に浸りたいと思うようになり、今回『月の満ち欠け』を読んだ。

現代の話と過去の話を激しく行き来しながら、少しずつ真実が見えてくる"ミステリ仕立て"の構成。時系列が複雑だからややこしくなりそうなのに、混乱しなかった。さらに伏線が明かされるタイミングが絶妙で、これが文章力かと思い知った。

全てを読むと、なんて壮大なラブストーリーなんだと頭を抱えた。「あたしは、月のように死んで、生まれ変わる」と印象的なセリフがあるが、本当にロマンチック。でもそれを打ち消すような真面目な文体があることで、作品に荘厳な雰囲気が生まれたと思う。

素敵なラブストーリーに見える反面、何度生まれ変わっても、三角を探し出すという気概が私には恐ろしくも思える。相手への愛情はもちろん、執着心もないと成立しないだろう。この愛情を純愛と呼ぶか、それとも執着と捉えるかで物語の印象は変わりそうだ。

読んでいる中で主人公を小山内にしたのは何故なのだろうとずっと疑問に思っていた。私なら瑠璃か三角を主人公に置くのに、と。その答えがまさかラストにあるとは思わなかった。今までの話は長い長い前置きだったと気づいたとき、佐藤正午の構成力に慄くのだった。


小説を読んでから映画も見たが、作品の持つ雰囲気がしっかり反映されていたと思う。映像で見ると瑠璃は三角を追いかけただけではなく、新しい自分を楽しんでいたようにも思える。仲のいい両親、自分を踏み躙らない親友。瑠璃の生まれ変わりは人生をやり直すという意味でも必然だったのかもしれない。

何度生まれ変わっても会いたいと思える人が自分にはいるだろうか。まだ「死」に現実味がないからぴんと来ないけれど、会いたい人にいつでも会えるとは限らないと『月の満ち欠け』を読んで感じた。

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