読書という苦役を押し付けるのを止めよう

こういうタイトルを書くと私が読書嫌いのように思われるかも知れませんが、世間一般から見れば十分に読書好きの部類に入るでしょう。最近は資格試験の勉強に時間を割いているため、以前よりもかなり読書量は減りましたが、かつては通勤時の電車内だけで新書一冊読むくらいでした、年間十数万円は買っていました。

上には上の方がいるでしょうけれど、一応は読書好きの端っこに位置する者から見て、読書離れ対策というものは往々にして的外れだなあと思うことは多々あります。

先日9月17日に発表された、文化庁による世論調査で、読書離れが過去最高に進んでいるというニュースがありました。

なぜか今さらこれに慌てている風な記事を書いている新聞もありましたが、現場の関係者はいずれこうなるということは当然ながら予想していたでしょう。予想していなかったらとてつもない阿呆ということになりますが、読書好きの方を阿呆呼ばわりするのははばかられますので、当然予想していたものとしておきます。

若者(というか日本人全て)の読書離れは今に始まったことではないですし、スマホの普及で多少の加速はあったにせよ、20世紀の内からずっと進んできたことです。逆に言うと、ピーク時には読書が情報入手先としてもっとも便利かつ手軽かつ有益だったからピークだったわけで、対抗策や競争相手が出てくれば読書離れが進むのは当たり前です。

これに対して、読書好きの人は警鐘を鳴らし、日本人が馬鹿になっていくと訴えます。

本当に馬鹿になっていくのかどうかはさておき、読書離れが進む原因の一つは、読書好きの人が強引に読書を押し付けることであると推測できます。

まず、小学校や中学校における読書感想文という稀代の悪政は、止めた方がいいです。今もやっているのかどうか知りませんけど。少なくともアレは読書好きを1人生み出す間に、読書嫌いを100人生み出します。

なんで無理矢理好きでもない本を読むという好きでもない習慣を押し付けられ、さらに感想文を書いて提出する宿題も押し付けられ、教師の意向に沿った内容でなければ怒られるという苦行・苦役を耐え忍んで実行しなければならないのか。

読書好きはこれが分かりません。読書が苦役だなんて思いもしないのでしょう。読書好きは、読書感想文の宿題が出たことを口実にして、親にお題になっていない本まで買ってもらおうと画策するくらいであり、「読まない」ことを選択する人のことを理解出来ず、挙げ句には軽蔑します。

だからこそ、世の中が読書好きと読書嫌いに分断されるのです。

読書感想文のように、読書は素晴らしい、読書しないとダメだ、読書しないと碌な大人にならないぞ、みたいな意識を押し付けることで、かえって読書離れを生み出している皮肉は恐ろしいものです。しかしもっと恐ろしいのは、この皮肉自体を読書好きの人たちは理解していないことでしょう。

読書離れが進むと長文が読めなくなり、困難が生じるとか損をするとかいう理屈は分かりますし、まさにその通りだと思います。実際、世の中のコンテンツ、情報の大半は文字情報であり、動画漫画だけで得られる情報は限られています。

ただ、ここで対策として、一部の新聞記事に書かれていた
「企業内で読書会をする」
「社会人がスキルアップのため読書をする」
とかあったのですが、そんなことをするから「苦役」になるのですよ。

読書嫌いの子どもが、読書感想文を押し付けられ、
「学校や先生が読めっていうから」
「親に怒られたくないから」
という理由で嫌々本を読むのと同じで、
「会社や上司が読めっていうから」
「家族を養わないといけないから」
という理由で嫌々本を読んで好きになるわけがありません。

かくして、情報入手元から書籍を意図的に外して、動画漫画ばかりを選ぶ社会人を拡大再生産していくことになるのです。

こうなるであろうと分かっている読書離れの進行が、その通りになっていって対策もまともに立てられない現状は、かつての少子化対策の失敗をなぞっているかのようです。読書離れについても少子化と同様に、種々の施策は失敗し続けるでしょうね。断言しても良いです。

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