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売れてるから偉い、は思い上がり

こんにちは、ひろんたです。これまでの営業経験を言語化、再現性のあるものに昇華させていきたいと思いnoteでの投稿を始めてみました。
今回は営業経験というより、過去に経験した苦い思い出と真正面から向き合い、学びを得たいなと思い投稿してみます。
過去の自分への戒めを込めての投稿ですが、「売り上げを出してるから偉い、主張を通してよい」、そんな思い違いをしていた過去からの学びを可視化したいと思います。


結果は出せていた、けれど周りは省みていなかった

滑り出しは上々

以前こちらで触れたように、6年間の大学生活(海外放浪しちゃってました)にけりをつけ、第一志望の企業に希望通りに働かせていただきました。学生時代に給湯器の訪問販売を長期インターンで行い、アポどり〜クロージングまでやり切った経験のあった自分は、周りの期待があったのはもちろん、自分自身へも「あんなきつい営業やってたし一番結果出せるでしょ」とか期待を胸に社会人生活をスタートさせます。

このワイの手にかかればお手のものよッッッ!!!と思うていました

蓋を開けてみれば、初めての展示会参加、架電のスタート、商談実施など幸運にも結果を出せました。ぶっちゃけ大きな挫折もなく、期待以上のパフォーマンスを出せていたので、良い滑り出しだったと思います。
が、日報の中で自社の取り組みについて意見をしたり、時には面と向かって上司、役員に意見をしたりと、噛みつき精神を発揮するのが玉に瑕でした。
冷静に振り返れば、展示会は会社のお金で参加させてもらっている、そもそも市場で知られているサービスであることは先人の尽力によるもの、こんな当たり前の前提に目を向けずに、「売り上げを作っているから意見していい、言いたいことは主張したほうが良い」と、思い上がっていたのでした。
そしてその思考の癖は翌年以降にエスカレートしちゃうのでした。

結果を出す=”必ず”評価されるという勘違い

順調な1年目とは打って変わり、全然結果の出ない日々が続く時期を経験するのが2年目でした。それまでのやり方が通用せず、目標未達が続く日々。(とはいえ3ヶ月だけなので、今思えば焦り過ぎじゃん、とも思う)反対に順調に結果を出し続ける同期たちの存在、時にはラッキー案件が彼らに割り振られ、自分にはこないことに対して苛つきが募ったり、彼らの何でもない言葉がいちいち鼻についたりと、まぁまぁなダークサイドに陥りました。
「同期が嫌いなわけではない、でも話したらきつい言葉を出しそうだ」と考えた自分は周りとの会話を拒み、自分で解決しようとする「The World」を構築。
周りからの見え方なども顧みず、会社では耳栓をして話しかけんなオーラを物理的にも出し、日報には「明日も頑張る」だけ記載したりと、不貞腐れた態度を取るのでした。書いてて思いますが、ちょうお子ちゃまプレイですね。

もちろん時は止まらない。

結果、目標は達成できる日々には戻ったものの、つっけんどんな態度、唯我独尊な日報、自分本位な行動がそれまで重なっていたので、信頼は得られず、自分には新しい仕事はアサインされないのでした。
「結果を出してるやつが一番偉い」、訪問販売インターンから頭に刷り込まれていたこの常識のもと、結果は出すために全力は出す、だけどそれに必要と思えないことには何も注力しないという周りを顧みない社会人になってしまったのでした。
当然、周りからの信頼を得られていないので、違う仕事を降るわけにも行かないだったでしょうし、それを理解してない自分は「周りより結果を出しているのになんで評価されない?」とより意固地に活動を続けてしまいます。

そして腫れ物になったしまった

周りの意見をあまり聞き入れず、売り上げは常人以上に作ってくる、でも会社への意見の仕方も踏まえて自己主張が強い、言葉にしてみるとやはり扱いづらい人材だと自分でも思います。
「私の歌を聴けー!」と言わんばかりに「ワイを見ろ!評価せよ!」と仕事の目的が評価されることにシフトしてしまっていた自分は結果を出すことに意地を張り続けます。日報では強めの言葉で意見を出したりと、周りへの影響を考慮しない日々。変わろうとしない、変われない自分に遂に転機が訪れました。それが360℃FB(フィードバック)。
上長、チームメンバーからのフィードバックをもとに個々人のパフォーマンスをMVVに沿った形で良いものにしていこう、そんな趣旨で行われたものでしたが、ここで大ダメージを食らってしまいます。
少しワクワクしながらも見てみた画面、そこには「腫れ物に触るようで扱いづらい」、そんなFBが記載されていたのでした。
曲がりなりにも目標達成に向けて努力し続け、結果を出し続けてきた当時の自分からすると、そのプロセス自体も全否定されたような気がして、仕事に手がつかなくなりました。

リアルにこの状態でした


「腫れ物になるために頑張ったんじゃない!」と心は叫んだものの、そんなこと言えないし、ましてや他にもきつめのFBをもらった(覚えてないけど、他人が見たらきついことが書かれていたとのこと)ことで、相談できる人も会社にいないと思い込み、八方塞がり。周りが敵にしか見えなくなってしまった自分は、心が折れて仕事が手につかず、診断の結果、「うつ病」と判断されたのでした。

自分良ければ全て良し、なんて起こり得ない

ということで、ざっくりとうつに至った経緯を書いてみたのですが、まぁ周りへの悪影響が大きい人間だったなと改めて感じます。
1社目を退社し、2社目で師匠と出会えてからは過去を消化して働けるよう多くのご支援をいただいたので感謝しかないのですが、同じ過ちを繰り返さないために学びをまとめると、
・働く動機は外に作らないこと
・視座の低さに伴う視野の狭さ
・周りへの影響を考慮しなされ
という3点に尽きるかなあと思います。

働く理由・目的は自分の内にあってこそ

当時の自分は、〇〇をしたくてその会社に入った、というよりも深く考えずにまずは企業に就職しておかないと、という理由で入社していたため、入社が目的となり、働く上での目的やゴールもない状態。そのため、働く理由をいつからか「社内で評価されたい」という承認欲求を据えてしまったがために、思い通りに行かない日々を過ごしていたと思います。
そら当然の話で、まず他人は変えられません。にも関わらず、それを変えようと頑張る→変わらない日々→イライラが募る→攻撃的になる→強い言動や態度に現れる→周りからの見え方はより悪くなる→もっと頑張る→以下略、、、と見事な悪循環。
変えられないものをモチベーションの源泉としてしまっていたので、自分ではコントロールできず、いつまで経っても手に入らない日々が続いていたのでした。
他人を変えるよりも自分を変える方が容易い、それでも自分を変えたくないのなら環境を変えるしかない、そんなことにも気づかず意地を張り続けたのがしくじりポイントだったと思います。

誰が契約しても会社としては同じこと

周りから評価されたいからもっと結果を出さないと、と思い込んでいたので、自分の数字しか見えていませんでした。でも、例えば自分がチームリーダーだったら、誰が数字を残しても同じチームの実績になる。営業マネージャーや部長目線なら、どのチームの数字であろうと事業目標を達成していれば、誰が数字を取っても変わらないしありがたいはず。
あくまでプレイヤー目線でしか物事を見れていなかったため、周り、ひいては組織への貢献という考えには思い至らず、自己中心的な行動に終始していたため、自分の提供できる価値はものすごく小さい範囲に収まっていたと思います。
低い視座しか持てなかったために、とても狭い視野の中でしか物事を見れておらず、結果的に自分の提供価値を最大化する行動が出来ていなかったのがもったいないなと今では思います。

組織で働く=周りへ影響を与えるんだよ

めちゃくちゃ当たり前のことかもしれないのですが、当時の自分は組織で働くがゆえに、周りへ良くも悪くも影響を与えることについて無頓着だったと思います。
結果を出すことへのこだわりが強かったこともそうですが、あくまで自分の結果だけに執着し、周りへの影響、配慮に欠けてしまっていたなと痛感します。
もしかすると、営業は結果を出してなんぼ、結果を出していれば何も文句は言われない、という考えや価値観に及ぶ人はいるかもしれません。
上記のような価値観で運営されている組織もいると思いますし、僕も近い考えを持っていましたが、そんな行動をしている自分を俯瞰するとデメリットしかないなと気付かされたのが以下のnoteです。

出典:https://note.com/nagam/n/naaab2bc2dba5
EVeM創業者長野さんのnote。僕も新卒でこの研修受けたかった。

仮に自分が飛び抜けた結果を出していたとしても、自分の言動や行動によりチームメンバーないしは事業部メンバーに悪影響を与えていたとしたら?
自分は良くても、組織に所属している都合上、組織が結果を出せていなければ、市場からは良い評価はされず、株主→上層部→マネジメント→メンバーという構造でネガティブな評価の煽りを自分もくらう。
そんな単純なことにも気づけず、ネガティブな影響を与えるような発言や振る舞いをしてしまっていたので、今思えば腫れ物という評価は言い得て妙だなと腑に落ちています。
目の前の成果を追い求めることはもちろん大事だし、結果を出してこそのプロフェッショナルとも思いますが、人の集合体に属している以上、組織全体に対して価値を提供できると、より素敵だしプロみが増してかっこええ!と今では思います。


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