Coast /海
海が、好きだ。
絵画でも、インスタレーションでも、ライブペインティングでも、制作活動で意識しているテーマがある。ゴールにしているのは、海と、そこにある調和。
人がいることで生まれるそれぞれの営みは、大きな目でみたら小さな点でしかないし、宇宙に散らばった無数の星か、森の中の無数の植物か、海の中の無数の魚とたいして変わらないのかもしれない。けれど、自分が出会ったもの、見たものは、確かに点ではなく時間を通して綴られる。自分一人たった一人で「これ」なのに、世界はもっと膨大で考えていたらキリがない。想像もつかない悲しいことも、ありえないほど偶然の喜びも、小さな点の中にきっとあるんだろうと、浜辺に座る。
私たちが悲しもうが、喜ぼうが、時間は平等にすぎるけれど、その全てが調和して壊れないで、いつかどうかそれぞれのストーリーが満たされますようにと願っていたい。海の水は何も言わずにそっと全てを繋ぐ存在のように思える。私たちはどうやら海からやってきたときいたことがある。遠くから見るとただの水なのに、近づくと砂浜があって、波があって、入ると少し冷たい。潜ってみたらここの中で続く営みの数々。
絵画では、色を通して2つの世界が重なること、光の雨が降り注ぐことをいつも考えている。それは、あちらとこちらの世界のことかもしれないし、誰かと誰かの関係性かもしれないし、夕暮れと朝焼けかもしれない。キャンバスの中で、帆布の中で、一つにしていく過程がとても重要だと思う。乾くのを待ち、もう一つの世界を重ねていくことが多い。乾かすという時間のインターバルを置くことで一旦冷静になる。時間が経てば見え方が変わるし、水分がなくなっていくことで顔料の落とし込まれた方は変化する。偶然の余白をあえて残すことで全てを作為的にコントロールしきれない部分のゆとりを持っていたい。それは生きていることと同義で、常に計画通りに物事が進んでいかないこととリンクしており、ベースの色をのせた時点でいつ手を止めておくかという判断がいつも難しいが、ゆっくりゆっくりと2つの世界を重ねていきたい。また、光の雨シリーズは、ベースの色の世界に降り注ぐ雨を描くことで、どの人々のストーリーもいつか満たされていくことを信じているし、今は満たされないその過程でさえも美しいということを可視化している。
インスタレーションでは、あえて対比させることで人の営みを普遍的に表していきたい。コンクリート=人工物、人が作ってきた社会規範、砂=自然界、海(全てを繋ぐ象徴、生まれる場所、還る場所)。白い箱はそれぞれの人の形をよりフラットに閉じ込める。まだ落とし込めていない部分も多く、作品としての耐久性などにも課題はあるけれど、今後この白い箱たちを量産することでまた見える世界が変わってくるのではないかと思う。描くこととは違う行為としての身体性や、モチーフを選び取る過程も奥が深いなと改めて思う。
ちょうど10年前、私が大学に入学した年に、東北に大きな津波がやってきた。当時東京も余震が続き、自粛ムードの中入学式は遅延し、学生生活はオリエンテーリングだけという幕開けだった。多くの方が亡くなった。大学の同級生の中にも上京が難しい中やっと下宿先を決めた子も少なくなかった。
あれほど大きな震災や津波の前で、私たちはあまりにも無力で、芸術の力を信じてやまなかった18歳の私にはどうしようもない焦燥感に駆られていた。自分が経験していないからこそ、簡単に語ることはできないし、寄り添うこともまだできない。題材てして選び取ることは、なんだかただ流行りに乗っている気がしてならなかった。美大に入学したら、もっと充実して美術の意味ややりがいを得られるのではないかと漠然と思っていたけれど、地震と津波によって揺らぐ世の中でさらにわけが分からなくなってしましった。
さて、どうしたものか。与えられた課題をこなすことも難しい。受験までは「受かる絵」ばかりを考えていたのに(そもそも正いかはおいといて)、ここでは個性が求められた。何がしたいのか、何を表現したいのか。「こうすべき」で考えていた私にはとても難解で、途方にくれた。
それからしばらく絵を描かなくなって、社会人になってまた絵筆をとろうと思った。作りたいと思うまで、いっそもうやめてしまおうと学生時代に決めていた。全く違うことをすると人は不思議で物足りなくなってしまうものらしい。18歳までの私とは全く違うモチベーションとインスピレーションを得られるようになっていた。大人になったんだと思う。他人の価値観や状況、自分のエゴや未熟さを少し受け入れられるようになった気がするし、自分だけのためではなくもっと普遍的なものを表現したいと感じるようになった。海の見えるアパートを借りてアトリエにした。
それから南の島に住んで、海がより近い存在になった。ここは暖かく、海を楽しむにはもってこいだった。むしろここにいる醍醐味を存分に楽しんでやろう。ことあるごとに海へ向かった。大きな珊瑚の塊の穴ぼこにできた潮溜りには熱帯魚がたくさんいて、ここの魚たちはとても人懐っこくて可愛い。もっと遠くまで船に乗って沖へ出たら、見たこともないほど大きな色の魚がたくさん釣れた。潮溜りと外洋の海の色は同じ青なのに全然違った。それから、サーフィンもした。ボードを持って波を待つ。勇気を持ってボードに立つ。たったそれだのことがとても難しい。でも悔しくて、立てたら楽しくて、終わった後の気持ち良い疲労感も愛おしかった。
時には理由もなく向い、パラソルを持っていくこともあったし、手ぶらで木陰を探す日もあった。言葉にできないことを、全て受け止めてもらえたような気がする。作品を作る時には、切り離していた感情を、海は受け止めてくれた。紛れもなく私は海の中にいた。
この頃から、作品を作る時にも「海」という漠然なイメージを持っていたような気もする。定期的に海へは行くようにしている。同じ場所でも、潮や日照時間、風や漂流物で全く異なった姿を見せてくれるの行くたびに発見がある。アトリエに戻ってゆっくり紐解く時間が気持ちいい。
いつも、自分の転機に海がどことなく近くにあった気がする。時には荒々しく、考えをぐちゃぐちゃにして、価値観をひっくり返しながら。そしてたくさんのものを受け止めてくれた気がする。生まれた場所が、岡山県の瀬戸内側で海は身近な存在だったことはとても大きく関係しているのかもしれない。かつて繁栄した海運や漁業、繊維の町で育った。時代が進んでも残る名残りを感じながら育った。ライブペインティングやキャンバスに使う帆布はこの布でかつて船を動かしていた時代があったことを彷彿とさせる。私の生まれ育った町はそうした帆布や繊維を作り、海運で物や人を運んで発展してきた。自分のルーツを大切にしたいし、生まれ落ちた場所を変えることはできない。
まだまだ、これからもどうしようもないことや、抱えきれない感情が溢れることがきっとあるんだろう。そうして、また私は海に行き、海と楽しんで、アトリエに戻って考え、ひらめき、作るんだろう。
その度にまた新しいものが降りてきて、分からなくなっていくけれど、繰り返していても少しずつ変化していく自分とそれぞれの営みを受け止めて楽しんでいたい。
どこへ向かってもいい。どこへでも海は繋がっているのだから。