ポケモン非常識人が堕ちるディストピア
新しいポケモンアニメの第1話を観てみたんですよ。主人公も変わって一新するというじゃないですか。
観てみると、これがなかなか興味深い内容だったのです。おもしろい。できれば長めに観続けたいなと思います。今回は、我ながらおかしな感受性を発揮してしまった、ちょっと恥ずかしいアニメ鑑賞記です。
なお、大して重要な要素はないはずですが、ネタバレについては考慮していません。「猫ポケモンが出るの!? そういうことは黙っていてほしかった!」「仲間ができるの? それをバラすなんてありえない!」という方はアニメを観てからお読みください。YouTubeでも観られるようです。
化石のようなポケモン非常識人
まず、ぼくはポケモンのことをよく知りません。ゲームボーイでの発売当時(1996年)にすでに成人していて「世代じゃなかった」のが一番の理由です。べつに「興味ないね」とか「おもしろくなさそう」なんて思っていたわけではなくて、逆に「さぞおもしろいんじゃろうのう、じゃがワシは……」と老け込んでしまう感じ。わかりますかね、この「若さに当てられる」感覚が。
思えばミニ四駆も「世代じゃない」ため、少し歳の離れた世代が熱狂しているのを見てうらやましく思っていました。いつもなら、「まわりがやっていようがいまいが関係ない、ひとりで楽しむぜ!」と手を出すところなんですが「コミュニケーション」が重視される場合、さすがに手を出しにくいわけです。
あと、仕事でゲーム誌のライターなどをやっていた時期と被るせいもあります。仕事で関わらないゲームは逆にプレイしなくなったりするんですよ。特にビッグタイトルは攻略本の執筆者が雑誌記事も書くのが自然なので、記事を書く機会は、一部の人に集中しがちなのです。
もちろんピカチュウや、これまでのアニメの主人公だったサトシくんの存在は知っていましたし、ゲームも断片的に触ったことはあるんです。ただ、それが『ポケモンGO』や『ポケモン不思議のダンジョン』だと世界観はあるようでなかったりするわけですよ。
言うまでもないことですが、ポケモンというタイトル自体が「流行」を遥かに通り越して「常識」になっています。そのため、皆が知っている前提で語られる機会が多く、それらの2次的なポケモン・コンテンツに触れても「基本のキ」が抜け落ちたまま埋められずにここまで来たというわけです。
もちろんアニメも2次的な部分はあるでしょうし、さらに設定を一新するというのであれば3次的ですらあるかもしれません。でも、新しいアニメが今後のポケモンの常識の一端となっていくと思われますから、ここで観ないわけにはいかなかったのです。
少し重い始まり
さて、サトシくんにかわる新しい主人公のリコさんは、「悩み多き女」。新たに全寮制の"学校"に入学するということで年齢はぼかされているようですが、小1じゃないのは明らかなので中1かなあという感じ。
プリキュアもそうですが、女の子は特に背伸びをして「上を見る」傾向があるので、主な想定視聴者層は「中1以下」というところでしょうか。別に女児向けアニメになったわけではありませんけどね。男は幼児から枯れるまで大した変化がないので気にしなくていいんです。
で、そのリコさん。冒頭から新しい生活環境へのプレッシャーや自分自身のコンプレックスを巡る心情が描かれ、静かなトーンでの物語の始まりとなります。いいなー、深みのある人間ドラマを見られそうだー、とワクワクしていたところ……
バス停でむにゃむにゃ悩んでいたリコさんの前にバスが到着、そして二足歩行のポケモンが降りてきて……!
ポケモン常識人のみなさんにしてみれば普通のことなのかもしれませんが、ポケモン非常識人であるぼくはこのシーンでかなりギョッとしました。ポケモンがどれだけ人間社会に溶け込んでいるか、知らないのですから。
到着したバスから異形の者が降りてくる、というのはSFなどの冒頭シーンによくある視聴者が住む世界との違いを示すシーンです。SFならロボットの運転手が出てくるところ、転生モノなら……転生モノの場合はこのバスにひかれて死ぬのか。まあいいです。
話を戻します。しかもこのポケモン(もちろん名前を知らない)、手が長くてちょっと怖いうえに、バスを降りるなりいきなりリコさんの鞄に手を伸ばす! 降りてきて「お荷物お持ちしますよ」といったセリフがあればいいのですが「ウェイウェイ」みたいに言うだけなんです。かえって怖い、まちがいなく怖いよ!
リコさんもちょっと驚いて「あ、ありがとうございます」と言うので、そこまで「これが常識」というわけでもないようです。リコさんは初めてこの地方にやってきたということですから「おのぼりさん」的な驚きかもしれないですけどね。ぼくも「ポケモンおのぼりさん」なので同じ気持ちで大体あってる(?)はずです。たぶん。
直線上にあるものは
学校の寮に到着したリコの次の不安は「相棒ポケモン」が誰になるか、です。事前に面接があるものの、誰が相棒になるかはわからない。自分で相手を選べるわけではない。ということのようです。
そして翌日。リコさんたち生徒は、順々に教室で先生が渡すポケモンボールを受け取り、相棒が決まっていきます。
これ……。ブラッドベリ的なSF小説、あるいは日本の作品で言えばアニメにもなった竹宮惠子さんの超名作『地球へ…』を想起させます。
作品によって背景は異なりますが、決して万能ではない未来社会において子どもたち・若者たちが「現在にはある自由」を奪われている、という表現は若者の心情を描く"青春系SF"の定番です。これをもっと煮詰めていくと『侍女たちの物語』(ハンドメイズ・テイル)まで一直線です。
そういえば、いくらポケモン非常識人のぼくでも、前主人公サトシくんの名台詞「キミに決めた!」は知っています。ゲーム由来ではなく、アニメのセリフから常識の一部になったと聞いた気がします。このあたりはきっと今回のアニメでも踏襲されて、いずれはリコさんも複数のポケモンを従えるようになり、そのなかから選んでバトルを行なうようになっていくのでしょう。
ですから、メインのパートナーとなるとはいえ"1体目"に過ぎないポケモンを自分で選べないことは大した問題ではないように思えます。とはいえ、「主人公の女の子がパートナーを自分で選べない」という物語のスタートは、「行間」において意外と"重いもの"を表現してしまっているようにも考えられます。
そもそも事前の面接は「お見合い」のようであり、しかしお見合いには選択の余地が(一応)あるのにこれにはなく、加えてポケモンボールはいわゆる「ガチャ」的なもののカプセルにデザインが近いこともあって、重ね重ね「不自由」が(行間に)表現されしまっているわけです。
もちろん男の子なら選べる設定ではありませんし、きっと与えられたパートナーにも「運命だった」的な納得感は与えてくれるのだと思います。でも、リコさんの不安が強く描かれているこの第1話ならではの演出と相まって、妙に深読みできる作りになっているのです。これはいい! これはいいです!
そしてキャプテン・ピカ……
もちろん実際のアニメではBGMも明るく楽し気で、ぼくが感じている「そこはかとない不気味さ」は勝手に行間を読んでしまっているだけのこと。
物語の後編となる第2話で物語は急展開。なんだかんだで事件に巻き込まれたリコさんは、彼女を助ける「ライジングボルテッカーズ」と行動をともにするのですが、彼らの拠点が「飛行船」。複数の主要なクルーを中心にした群像劇が描かれていきそうなムードに名作SFドラマ『スタートレック』の気配を(勝手に)感じます。
もちろん、こちらが「SFアンテナ」を立てて生きているせいもありますが、あまりにもSFっぽさが気になるので、制作者についても調べてみました。
脚本は「佐藤大」さん。シリーズ構成にもお名前があるのでメイン・ライターで間違いないでしょう。Wikipediaの経歴をみてみると……
ほかにも数々のアニメ脚本を担当されていますが、SF系作品がとても目立ちます。そうか……ビバップか。
そして……
はい、納得。完全にふにおちです。
とてもとても期待できるので、ぜひ長く続けて観てみようと思います!
ただし……
また20年とか30年とか続くご長寿アニメにかもしれないと思うと、こっちもそろそろ最後まで観たくても観られないおそれが出てくることを心配してしまいます。まだそんな歳じゃないはずなんですけどね。気軽に「最後まで観ます!」とは約束できことに気付くことで、まだ遠いはずの未来を意識させられることもまた、このポケモンにそこはかとない"SF味"を感じる要因のひとつになっているのかもしれません。
最後まで見届けるのは若いひとたちに任せるべきかのう……と、再び老け込んでしまうのでした。よぼよぼ。
(おしまい)