
終の棲家というけれど(後編)
DQX(ドラゴンクエストX)でのマイホーム購入失敗の反省から、リアル物件では積極的に下見をしていくことにしたわけですが、そのなかには「事故物件」もあった――という話の続きです。
下見したその物件のひとつでは高齢者の自殺があったのだそうです。でも、不動産屋はあまり詳しいことを教えてくれません。そりゃそうですよね、聞けば聞くほど"身近"に感じてしまいますからね。
でも実際には、室内に入ると「見えてくるもの」があったのです。
見えてくるもの
もちろん、凄惨な現場みたいなものがそのまま保存されていたわけではありません。不幸中の幸いで早期発見だったらしく、血痕や汚物などによって住人が亡くなったことが見た目に影響することはなく、実際、どこでなにがあったかは見ただけではまったくわかりませんでした。
ただし、人生を終えるその日まで住んでいたわけですから、意図して退去したのとは事情がまったく異なります。生活が"途切れた"瞬間がそこに残されているのです。
もちろん、物件を売却するにあたって家財道具は遺族によって処分され、簡単な掃除は行なわれた状態です。ただし、ハウスクリーニングのようなプロによる清掃は行なわれていないため、"いろいろ"目につく状況だったのです。
実は「これがその跡かな?」と思う場所が何ヵ所かあったのですが、もちろん何度も自殺できる人はいません。
ぼくら夫婦が「これかな?」「こっちかな?」みたいな話をしていると、さすがに見かねた不動産屋が「実はこっちで、こう……」と教えてくれたのですが、その場所はぼくらが疑った場所とは違ったのです。
でも、じゃあその「跡」はなに? という話になるわけです。
部屋になにか液体をこぼしてそのままにした様子や、キッチンに食べ物を盛大にぶちまけたとわかる跡が何ヵ所も残っていて、そのひとつひとつが日常とは異なる「凄惨な現場」なのです。普通に生活していたらその派手な汚れを放置するわけがない、という「跡」がいくつも残されていることに疑問を感じてしまいます。
また、和室の畳に残された日焼けの跡からは「家具が妙なところに置かれていた」こともわかります。亡くなった場所もその部屋で、入口を狭めるように家具を置いていたと推測できるのです。
そして普通の人なら放置しないような数々の汚れは、つなげて見れば「道」になってその部屋へと続いていました。そのほかの部屋は畳や床の痛み、壁の汚れもほとんどないことから、一人孤独に暮らしていたことも容易に想像がつきます。
さらに、その物件では住人が亡くなる少し前に一部をリフォームをしたことがわかります。なぜわかるかと言えば、それは「妙に綺麗」だからです。
例えば浴室がピカピカで、リフォーム後はほとんど使っていなかったことがわかります。なにせ軽い気持ちで様々な物件を見ましたから、この物件の特異性はすぐ目につきます。しかも浴室は床が高く、浴槽に入りやすいように改造されているなど、住人が身体になんらかの困難を抱えていたことも推測できます。少しお風呂に入りやすくしたところで、あまり入る気にはなれなかったのでしょう。
ファミリーが暮らせるサイズの場所に一人で暮らし、身体に困難を抱えて家のなかも外も自由に出歩けず、食べ物を床にこぼしても放置し、お風呂にも滅多に入らない日々が続き、そして――。
なお、その物件を案内してくれたのは事故物件であることをきちんと明示してくれる良心的な不動産屋でしたが、隠して売ろうとする不動産屋もあるそうです。その場合は「妙に安い」といった"ヒント"もないでしょうから、自分で見抜くしかなさそうです。
前編にも書いたように、今後は団塊の世代が亡くなっていくなかで多くの物件が放出されていきます。人口減少も始まっているため買い手市場になることが予測されるなか、阿漕な不動産屋が跋扈するおそれもありますから、これから物件を探す人はぜひご注意ください。
いつ課金をとめるのか
ぼくは家族や友人に自殺をした人はなく、みなさんも多くは駅での人身事故の影響を受けるくらいがもっとも身近と言える経験になることでしょう。事故物件を訪れるのも初めてだったのですが、そこで見つけた「人が自死に至る道」にはなんとなく"既視感"がありました。
それはオンラインゲームの社会における、人との別れです。
オンラインゲームには、リアル生活を犠牲にしてまでのめり込むプレイヤーが大勢いますが、彼らの多くはいつの間にか去っていきます。学生だったプレイヤーが就職したとか、今度結婚するんだ、と言ってやめていくのはポジティブでいいのですが、そのオンラインゲームの世界で「やることがない」とぼやき、嘆き続けた末に姿を消す人たちもたくさんいます。残されたプレイヤーから見ると、彼らは"自死"に至ったように見えることがあるのです。
オンラインゲームをプレイしていると「なんのためにやっているかわからない」という言葉を聞くことがありますが、これはリアルの人生も同じです。
人の心の動きにリアルもゲームも違いはなく、「なんのためにやっているか」の答えは誰も知らないのが当たり前だと言えます。でも、知らないままでも生きていたいと思ったり、あるいは死を恐れることで惰性的に生を続けることは普通のことでしょう。むしろ生や死の意味を深く考えてしまったときに"途切れ"の時が訪れます。
オンラインゲームの場合は「課金」継続の判断がその引き金になりやすいのは明白なのですが、だからこそ「課金止め」によって姿を消すことは軽視されがちです。「もう飽きたのなら、課金を止めるのは当たり前」と思いますからね。姿を消すといっても、毒を飲んだり、首を吊ったりするわけではないため、周囲はその心の動きに鈍感になりがちです。
そして、「課金」はリアルにも存在することも忘れてはいけません。
持ち家に住んでいれば固定資産税を取られ、借家に暮らせばそれより多い金額の家賃が必要になります。言うまでもなく、ほかにも諸々の「税金」やそれに近い"タカリ"が存在します。こういった制度によって「支払いを続ける意味」を繰り返し考えさせることは高齢者や体が不自由な人に生か死かを迫り、その天秤を傾けさせる効果があることは疑いようがありません。
せめてオンラインゲームの運営のように「課金を続けてほしい」という気持ちからでも、皆が気分よく日々を過ごせるように尽力する社会であれば良かったのですが、リアル社会にその気配はまったくないのが残念です。
オンラインゲームをプレイしていると、いじめで学校へ行けなくなったり、職を失った人などと出会うことがありますが、彼らは決して日々を陰鬱として暮らしているわけではありません。社会のなかに居場所があって、自分の存在意義が見つかれば、活力を取り戻し、心も蘇ることを、ぼくらはこの目で見てよく知っています。
現実には意義のある人生だからといっていつまでも好きに生き続けることはできず、やがて怪我や病気、寿命などによって人生を終えることになりますが、そのときの自分の居場所が「終の棲家」だとすれば、それは木や石でできた建物のことを指すとは限らないのではないでしょうか。

(おしまい)