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【留学生活】Multifaithという概念と出会って

無宗教でも無信仰でもないんだけど…

大学生活の中で、たまーに、でも定期的に考えるようになったことがあります。宗教についてです。

私自身、自分をアイデンティファイするときはあまり○○教徒と認識していません。初詣に行って、クリスマスを楽しんで、仏教式の法事でお経聞きながら八百万の神はいるだろうなぁと思いつつ、ゴスペルを歌っています。高校は仏教系の高校だったのに、留学した姉妹校はカトリックだったし、大学はキリスト教でもエキュメニカル(超教派)です。こんな感じで、ここまでの20年ちょっと宗教についてあまりこだわらずに生きてきました。同じような人は身の回りに少なくないような気がします。

そんな私が自分の宗教観について考え始めたのは、大学に入ってから、特にゴスペルを歌うようになってからです。

キリスト者じゃないのに、ゴスペル歌っていいのかな?本当に自分の力ではどうしようもないことに遭遇した時、私が信じるもの、私を支えるものは何だろう?

授業やゴスペルで触れている分、確かにキリスト教の考え方には親しみを持つことはあるけど、同時にお経の内容は結構深いこと言ってるじゃんと思うし、神様はものから自然からそこら中に宿ってる気がするし…

一つのことを疑うことなく信じられることが羨ましいと感じるのと同時に、怖いとも思います。そういうことを考えるうちに、自分の宗教的なアイデンティティはどこだろうと思うようになりました。普段の社会生活で困ることはないけど、自分のアイデンティティがしっくりこないことへの不安が生まれたのです。

Multifaithという概念

そんな思いをうっすら抱きながら留学した先のベイツ大学で、とても興味深い概念に出会いました。

Multifaithという概念です。日本語にすると、「多信仰の」という意味になるのかな?オックスフォードの辞書だと、

Involving two or more religions
(二つ以上の宗教に関わること)

the Oxford Advanced Learner's Dictionary

なんだけど、私にはウィキペディアのほうがしっくりきました。

To be multifaith is to feel an affinity with aspects of more than one religion, philosophy or world-view, or to believe that none of them is superior to the others.
(Multifaithであるということは、一つかそれ以上の宗教、哲学、世界観に対して親和性を感じること。またはそのどれが優れているわけでもないと信じること)

Multifaith - Wikipedia

宗教としてだけではなく、哲学や世界観も含めて「親しみ(≠信じる)」を感じること、優れている/優れていないではないということに、ああこれだなぁとすごくしっくりきました。

ベイツにあるMultifaith Chaplaincy

ちなみにベイツ大学内にはMultifaith Chaplaincyという組織があります。

a “multifaith” community is, it is a group of people who create spaces for sharing and exploring identities, perspectives, convictions, and practices.
(アイデンティティ、視点、信念、実践を共有し、探求するための空間を作り出す人々のグループ)

Multifaith Chaplaincy, Bates College

ここでは、クリスマスやラマダンといった宗教のイベントを行うだけでなく、瞑想やヨガ、動物と触れ合うセラピー、あるテーマについてざっくばらんに語る会のようなものも企画しています。

私も、瞑想や温室で植物の絵を描く会などに参加したり、Anam Caraという「Soul fiend」とマッチングして2週間に一回お互いのことや価値観について話すアクティビティに参加したりしていました。

自分の在り方を、宗教だけではなく、哲学や世界観という観点、より「精神的なもの」としての観点から考える。そんな場でした。結局私の宗教的なアイデンティティは見つかっていないままだけど、そんなふわっとしたものでもいいのかなと思っています。ふわっと感じている、というのが自分のアイデンティティだというほうが近いかもしれません。

留学中に出会った、いつかもう少し勉強してみたいと思った、新しい考え方のお話でした。


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